小穴隆一「二つの繪」(49) 「雛」
雛
さんがさんじふにちといつて、三月三日には蓬餅をこしらへ、今年は寒いので蓬がこまいの、暖かで大きいの、などと語りあつてはゐても、昔から地には雛祭りはなかつた。山のいりつこの、さういふふしぎなところに、二十ケ月ほど暮らしてゐるうちには、その日その日の新聞を、みないでゐることも平氣になつてしまつてゐた。東京に戾つてまる三ケ月日で、家にも新聞をいれて貰ふことにしたら、久振りの新聞には、らんまんの春を待つ雛人形が、百貸店に、人形店に、華やかなデモをくりひろげてゐるのを載せてゐる。一番高價なのは、京都物十五人揃ひで、なんと六萬圓と書いてある。
なんと、お雛樣は家にもあつたがと、私は家の雛人形を思ひだした。家には、男の子も、女の子もゐないが、お雛樣も幟もあるにはある。
私の家の雛人形は、いへない萬圓のお雛樣だ。
私が義足で步けるやうになつて、父の家をでて、アパートで暮らすやうになつてから、芥川のところの義ちやんが、いつもいつしよに錢湯にいつてくれてゐたものだが、その義ちやんに、今度くるときに、桃の枝を買つてきてとたのんでおいたら、挑の枝といつしよに持つてきてくれたお雛樣だ。
お雛樣には桃の花をかざらう。さういふ心がけの人にはといつて、桐の小箱のなかに、もみでつつんである奈良人形の雛をくれたのは、芥川か、奧さんか、芥川から貰つた雛とだけで、獨り者のときも、女房をもつてからも、一度としてさういふことを考へたこともなかつたが、芥川も死んで二十一年、今年はお雛樣に桃の花をかざらうと思ひ、そんなことが頭にうかびあがつてきた。 (昭和二十三年)
[やぶちゃん注:「さんがさんじふにち」は三月三日が三と三が重(じゅう)する日の意であろう。数列で最初に再び現われる陽数「三」が重なるという陰陽五行の祝祭的意味であると私は採る。
「昔から地には雛祭りはなかつた」よく判らない。「山のいりつこの」「地」とは、田舎の謂いかね? しかし、雛祭りのない田舎というのは、私には正直、よく判らないのだ。……
……まあ、しかし、君の厭らしいあの意味深さが、あまり感じられない、いい短章ではないか……それにしてもだ……小穴よ……葛巻義敏は確かにクズであり、家ダニであったかも知れぬ……知れぬが、しかし……それをこれから本書の掉尾でテツテ的に声高かに言い立てることとなる君が……ここで若き日の彼を「義ちやん」と優しく呼んでいるのは――極めて奇異で「ヘン」ではないかね? 小穴よ……君は実は――芥川龍之介を自分だけの、ものにしたかった――のではないか? 「義ちやん」と同様に……ね…………]