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2017/01/20

柴田宵曲 妖異博物館 「狸の心中」

 

 狸の心中

 

「想山著聞奇集」に心中の話が二つある。一つは大坂の話で、二三度遊んだに過ぎぬ女郎から心中を持ち掛けられ、今宮の森まで出掛けたものの、本當に死ぬ氣にはならず、最後に煙草を一服しようとして火を打つ途端、夜番の者に大聲で叱られたのを横合に逃れ去る。三日ほどたつて、昨夜今宮の森に心中があつたと聞き、それとなく尋ねると、女はやはり自分に心中を持ち掛けた女郎で、相手は遠國より來てゐた、かなり年を取つた男と知れた。「死神の付たると云ふは噓とも云難き事」といふ標題になるので、それほど變つた話ではない。もう一つの方は慥かに奇集の名に背かぬものである。

[やぶちゃん注:梗概は短いが、実は原典は挿絵もあり、しかも意想外に長大なので章末に回す。要はこれは不可解な心理現象としての病的な「心中」願望の異常心理を枕としたものであって、標題の「狸の心中」とはズレるから短いのである。

「今宮の森」「今宮」は現在の大阪府大阪市浪速区恵美須西にある「えべっさん」今宮戎(いまみやえびす)神社のこと(但し、現行では同神社の鎮守の森は航空写真では存在しない)。後掲する原典ではこの女郎のいた遊廓を「島の内」とし、ここからなら「えべっさん」は南西へ二キロ圏内になる。]

 尾張國熱田在井戸田村の百姓の娘にふみといふ女があつた。後には宮宿の築出し町へ來て、旗籠屋の飯盛女になつてゐたが、これに心中を持ち掛けられたのが髮結ひの抱への某である。約束の時刻にかねて死場所と定めた秋葉の森へ來て見ると、女の姿はどこにも見えぬ。それきり捨て置くわけに往かず、女の奉公先に立寄れば、九ツ(午後十二時)頃までは居りましたが、それから姿が見えません、と云つて搜索中であつた。女の方は九ツ時に家を出て秋葉の森で男と落ち合ひ、更にそれより二三町先の古木森々たる恐ろしい森へ行つた。こゝで道端の榎の木の五又にも六又にも岐れたところに、腰帶をわなにして懸け、その兩端で兩人一度に首を縊る。これを釣瓶(つるべ)心中といふのは、その腰帶を釣瓶繩に見立てたのであらう。男は至つて輕く木の又まで釣り上つたのに、女の方は重くて足先が地についたまゝ死なうとしても死ぬことが出來ない。夜が明けて通行人に發見されたが、腰帶の端に縊られてゐたのは、猫ほどの大きさの狸で、目方が輕いため、木の又まで釣り上げられ、又に引込まれて死んで居つた。女は死なれずに濟んだが、うつけ者のやうになり、この事を傳へ聞いた髮結ひの男も、少しうつけのやうになつた。この狸は人を化かす能力を具へた者で、この近邊に折々怪しい事のあつたのも、彼の所爲であらうと云はれてゐる。この晩は女をたぶらかさうとして自ら縊るに至つたのか、それとも狸自身死神に付かれて居つたのか、そこまではわからない。

[やぶちゃん注:これも原典(やはり挿絵附き)は章末に示す。

「尾張國熱田在井戸田村」現在の愛知県瑞穂区井戸田町附近と思われる。ここ(グーグル・マップ・データ)。私の妻の実家にごく近い。

「宮宿の築出し町」「宮宿」は「みやじゆく」で東海道五十三次第四十一番目の宿場。一般には「宮の宿」と呼ばれ、公的には熱田宿と称した。「宮の渡し」として知られ、熱田神宮の門前町・湊町でもあった。「築出し町」「築出」は「つきだし」と読み、同宿にあった三大遊里(神戸(ごうど)・伝馬(てんま)・築出の順にランキングされていた)の一つがあった。

「秋葉の森」桜山の名古屋市立大学の南、瑞穂区瑞穂通に秋葉神社がある(グーグル・マップ・データ)。

「二三町」約二百十八~三百二十七メートル。]

 狸の心中などは前代未聞の珍事かと思ふと、これにもやはり先例がある。本郷櫻の馬場あたりの奉公人同士の戀で、櫻の馬場で心中と決したが、日暮過ぎに男が來た時は、女は已に待つて居り、用意の紐を首に纏ひ、木から飛んだ。これは尾張の例と反對に、女は何の事もなく縊れ死し、男は足が地に屆いて死に至らぬ。そこへ約束の女がやつて來て、男の苦しむ體を見、且つ自分と同じ女が死んでゐるので、びつくり仰天して聲を立てた。人が集まつて來て介抱の結果、男は蘇り、一切の事情を打明けたが、縊れた女はいつの間にか狸の本性を現してゐた。若い二人の突き詰めた心持は、主人達の同情を買ひ、親元へ話して夫婦にするやうに取りはからつたといふのだから、心中話には珍しい大團圓である。狸は櫻の馬場心中の約束を聞き、笑談半分に女に化けたのであらうが、思ひがけず自分が死し、却つて二人のなかだちをする結果になつたと「耳囊」は記してゐる。

[やぶちゃん注:これはもう、私の「耳囊 卷之八 狸縊死の事」をどうぞ。

 「想山著聞奇集」の二話の第一段落目の大阪のエピソードは同「卷の四」の「死に神の付たると云(いふ)は噓とも云(いひ)難き事」【2017年5月31日追記:当該話を別に厳密に校合して電子化注したので、ここにあったものは削除し、以上でリンク配置とした。】

 次の第二段落のそれは、同書「卷の五」の「狸の人と化(ばけ)て相對死(あひたいじに)をなしたる事」である。【2017年6月11日追記:当該話を別に厳密に校合して電子化注したので、ここにあったものは削除し、以上でリンク配置とした。】

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