小穴隆一「二つの繪」(37) 「影照」(12) 「女持ちの紙入」
女持ちの紙入
芥川本の裝幀にはじめて關係した「夜來の花」(大正十年三月新潮社版)のときのことである。
芥川に紙に刷つてあつた表紙の見本刷りをみせると、これを木版屋にさういつて布に二枚刷つてもらつてくれたまへ、机に置くのにいいからといはれて、原稿用紙の下に敷くのかと思ひ(このごろはどうか、以前はこつとう屋とか支那雜貨を商ふ店でみかけた、淸朝時代の服からとつた布に裏をつけて小さいふくさのやうに仕立てたものに、芥川は原稿用紙をのせてゐた。室生犀星さんのところあたりには今日でもさういふものがあるかもしれぬ。)伊上凡骨に、芥川さんの賴みだができるだけ藍を濃くして刷つてみてくれとたのんで、刷つてもらつたものを屆けると、今度は、君、どこかいい細工物屋を知らないか、これで女持ちの紙入を二つこしらへてもらひたいのだがといふので、鎗屋町(現在の銀座西四丁目四)の淸兵衞さんに相談にゆくと、並びの川島甚兵衞の店のよしべいさんを紹介してくれ、そのよしべいさんに連れられて、丸善のそばかと思つた橫丁のしもたやにいつて、その家の人と相談して、裏は鹽瀨の古代紫にしてもらふことにしたが、出來上つたものをみると、表がごりごりの白木綿に藍だから、イキなものになつて桐の箱にはいつてゐた。それを早速、田端(芥川家)に持つていつて話してると、はしご段に音がするなり芥川は掌をあげて、僕に〝しつ〟といひ、にやり笑つてふりかへると、せつかくの紙入れをうしろに積んだ本のかげにかくしてしまつた。はしご段に音がしたのは、奧さんが茶を運んできた足音であつたが、一つは奧さん一つはだれとばかり考へてゐた僕はなにもいへず、なにくはぬ顏をしてゐる芥川と微笑をかはしてゐた。
[やぶちゃん注:「夜來の花」は芥川龍之介の第五作品集で、これ以降、龍之介の作品集の殆んどの装幀を小穴隆一が手掛けることなった。題簽は小沢碧童。これ。
「伊上凡骨」(いがみぼんこつ)は既出既注の木版画彫師であるが、再掲しておく。本名は純蔵。徳島県生まれで、浮世絵版画の彫師大倉半兵衛の弟子。明治時代に於ける新聞・雑誌の挿絵は原画の複製木版画であったが、凡骨は洋画の筆触・質感を彫刀で巧みに表現し、名摺師の西村熊吉の協力を得て、美事な複製版画を作った人物である。
「鎗屋町」「やりやまち」と読んでおく。
「川島甚兵衞の店」現在の株式会社「川島織物セルコン」の前身の一つ「川島織物」。
「鹽瀨」塩瀬羽二重(しおせはぶたえ)の略。経糸・緯糸ともに生糸を使用した厚地の羽二重で、経糸を密に緯糸に太糸を用いた絹の生織物の一種。組織りは平織りで、経糸と緯糸の浮かし方で模様を織り出したものを特に「紋塩瀬」という。]
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