逃げの余裕
僕はこの一年、安眠出来ずに、三時過ぎに目が覚めてしまうのを、実に困ったものだと思い続けている。
が、しかし、
「安眠出来ない。」
と言う輩の言葉を聴くと、僕は
「では、死にませう。」
と言いたくなるのを常としている。究極の安眠とは「死」であるが、しかし死にたくないというなら、その代償を捜す労をその人は惜しんでとしか思えぬからである。
何も出来ないと本気で思っているのなら、そ奴は活きている価値を自身が放棄しているとしか思えぬからである。
そう表明することで、誰かに救いを求めるのは、精神疾患というよりは、至高の怪しい神や、胡散臭い思想に自己証明を求めれば、よかろう。
俺はそうした愚劣な心の余裕を持たないだけである。
死を語る奴は必ずそうした「逃げの余裕」を無意識に担保している。
と言う輩の言葉を聴くと、僕は
「では、死にませう。」
と言いたくなるのを常としている。究極の安眠とは「死」であるが、しかし死にたくないというなら、その代償を捜す労をその人は惜しんでとしか思えぬからである。
何も出来ないと本気で思っているのなら、そ奴は活きている価値を自身が放棄しているとしか思えぬからである。
そう表明することで、誰かに救いを求めるのは、精神疾患というよりは、至高の怪しい神や、胡散臭い思想に自己証明を求めれば、よかろう。
俺はそうした愚劣な心の余裕を持たないだけである。
死を語る奴は必ずそうした「逃げの余裕」を無意識に担保している。

