小穴隆一「二つの繪」(30) 「影照」(5) 「死顏」
死顏
七月二十二日の夕べ、芥川はサンドウィッチ、僕はハムライス、どちらも芥川の家でこしらへたものを食べてから、いつも二人だけの話になるときのやうに横になつた。
七月二十四日の朝、僕は義ちやんの畫架を借りて芥川の死顏を寫してゐた。
「ゑのぐはつけないの?」
と僕ちやん(比呂志君)が畫布をのぞいて言つた。
「あとで、」僕はさう言つた。
僕ちやんが安心して行つたと思ふと、もう一度帳面を持つてそばにきた。が、このクレイヨンの畫家は遂に寫生をしなかつた。
檢屍官が「そのまま、」と言つてくれたのはありがたかつた。それでも多少芥川のからだは動かされた。頸筋のところから、めきめき色が變つてきたので僕は筆を投じた。畫はF十號である。人に聞いた話ではあるが武者小路實篤は、木炭で形をとつて、繪具を點々においてあるこの畫をみて、毒でああなつてゐたのかと言つたといふ。點々は繪具を畫面全體につける時間がなくてさうなつてしまつてゐるので、芥川の死顏そのものは全く綺麗であつたのだ。
[やぶちゃん注:「F十號」既出既注。Fは一般に人物用キャンバスで、「十號」は五百三十×四百五十五ミリメートル。ここに出るデスマスクは底本のカバー画として既に掲げた。]
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