小穴隆一「二つの繪」(29) 「影照」(4) 「ヴァレンチノ」
ヴァレンチノ
大正十五年の冬、鵠沼にゐた僕らは、芥川、芥川夫人との三人は、一度横濱に行つてオデオン座であつたらう、ヴァレンチノの「熱砂の舞」を見た。芥川は「かうやつて死んだ者がまだ動いてゐるのをみてると妙な氣がするねえ、」と言つてゐた。(ルドルフ・ヴァレンチノ一八九五―九二六、一九二六年卽ち大正十五年八月二十三日に三十一歳の若さで死ぬ、「熱砂の舞」は遺作となる。父は伊太利人、母はフランス人。)
昭和二年の秋、芥川の家で大勢とシネマのなかの生前の芥川を見た。芥川はその改造社の現代日本文學全集の宣傳用フィルムのなかに動いてゐて、なんともいへぬ顏をしてゐるのだ。
[やぶちゃん注:この映画鑑賞の事実は年譜上にはない。しかし、芥川龍之介は幾つかの印象的で実験的な優れたシナリオを書いているように、大の映画好きで、死の直前にも自作の映画化などの話をしている(死の月の七月三日の宮坂年譜を参照されたい)。
「ヴアレンチノ」ルドルフ・ヴァレンティノ(Rudolph Valentino 一八九五年~一九二六年)はサイレント映画時代のハリウッドで、そのエキゾチックな容姿で一世を風靡したイタリア出身の俳優。芥川龍之介より三つ若い。死因は胃潰瘍の手術後の予後の悪化による腹膜炎かと思われる。
「熱砂の舞」“The Son of the Sheik”(「シークの息子」)は一九二六年作で、ジョージ・フィッツモーリス(George Fitzmaurice)監督になるロマンス・アクションのサイレント映画(ヴァレンティノの代表作の一つである一九二一年のジョージ・メルフォード(George Melford)監督の「シーク」(The
Sheik)の続編(本邦では翌大正一一(一九二二)年八月二十三日に帝国劇場で公開)という設定で、そこで彼が演じた主役アラブの族長アーメッドの美貌のサハラ砂漠の息子アーメッド(同名)を、再び、ヴァレンティノが演じたが、これがヴァレンティノの遺作となってしまった。七十四分。
「現代日本文學全集の宣傳用フィルム」こちら(You Tube)の0:30以降の動画。白い前掛けの子が次男多加志、今一人の、龍之介に先立って木登りするのが長男比呂志である。その前の菊地寛とのパートの皆々が扇子をしきりに使っているところ、和装の服装の感じ、比呂志が龍之介に被せる麦藁帽子から見ても、死の年の初夏六月頃の撮影かと推測される。]