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2017/01/18

ブログ900000アクセス突破記念 梅崎春生 風早青年

 

[やぶちゃん注:昭和三〇(一九五五)年八月発行の『別冊文藝春秋』(第四十七号)に初出。後に単行本「侵入者」(昭和三二(一九五七)年角川書店刊)の所収された。

 作中に出る「マンボ・イタリアーノ」(Mambo Italiano)は一九五四年に私の好きなアメリカ人ジャズ・シンガーのローズマリー・クルーニーRosemary Clooney)が歌い、全米ビルボード・チャート最高位十位を記録するヒットとなった曲で、同年中にペギー葉山が、翌年には雪村いづみがレコード録音しており、ペギー葉山はまさにこの初出の年の大晦日の「NHK紅白歌合戦」で本曲を歌っている(リンク先は総てYou Tube の音源。ローズマリー・クルーニーのそれは動画)。

本電子テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが900000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年1月18日 藪野直史】] 

 

   風早青年 

 

 初めに荷物が送られてきた。大きな荷物、小さな荷物、固い荷物、やわらかい荷物。それらがどさどさと我が家に運び込まれてきた。納戸(なんど)はほこりだらけになった。

 二三日経って、風早青年の姿が、風の如く我が家の玄関にあらわれた。ズックの手提(てさ)げをひとつぶら下げ、手拭いを首に巻き、シャツ姿の軽装である。僕の顔を見て、エへへとわらった。眼尻をゆるめるようにしてわらった。

「とうとうクビになりましてね」と風早青年は左手で首の根をチョンチョンと叩いた。「それで思い切って、東京に出て来ましたよ」

「君のクビが飛んだって、それが僕に何の関係があるんだい?」僕は言った。「勝手に荷物なんか送りつけられては困るねえ」

「はて。先にお願いのハガキを出しといた筈ですが――」

「そんなハガキ、受取らないよ」

「はて、おかしいな」風早君は手提げを下に置き、あちこちポケットなどを探す仕種(しぐさ)をした。「すると、出し忘れたのかな」

 僕が黙っていると、彼はますますあわてて、ズボンの折返しなんかを調べたりしている。そんなところにハガキがはさまる筈があるものか。仕方がないから僕は言った。

「まあ一応上れよ」

 風早君は玄関先で靴も靴下もとり、手拭いを首から外し、足をばたばたはたきながら、のそのそと上ってきた。六年前からくらべると、身体もやや大きくなり、うすら鬚(ひげ)なんかを生やして、大人びてきている。

 畳に坐るとピタリと両手をつき、ていねいに頭を下げ、下げたまま諳誦(あんしょう)みたいな口調であいさつをした。

「ながらく御無沙汰をいたしました。今後ともなにぶんよろしくお願いいたします」

『今後とも~』と僕は胸の中で言った。『今後ともはイヤだよ。俺は君に何かしてやる義務もなければ、責任もない』

「君の荷物はあちらにあるよ」僕はむっとした顔で納戸の方を指さした。「飯は食ったか?」

 食っていないと言うので、僕はおひつとおかずを出してやった。風早君はおひつの中の御飯をおどろくべく多量に食べた。おかずはカマスの干物にツクダ煮だ。カマスの干物はあまり新しくなかった。

「東京の魚はおいしくないですね」食後の番茶を飲みながら、風早君は言った。「あちらのとくらべものにならん」

 あちらとは彼の故郷で、九州の海浜の町で、魚がよく獲れるところだ。そりや獲りたての魚の方が旨いにきまっている。

「東京の魚。東京の魚ってどこで食ったんだ。まだ東京に来たばっかりだろう」

「来たばっかりです」彼はきょとんとして言った。「ここでカマスを食べました」

 僕はうんざりして、もう何も言う元気がなくなった。それから彼は納戸に入り、荷物の梱包(こんぽう)を解き始めた。口笛を吹きながらその作業をやっている。時々、チェッとか、アリャとか、乱暴だなあ、なんてひとりごとを言ったりしている。しばらくして僕がのぞくと、荷物をすっかり整頓し、納戸のあちこちに配置し、当人は納戸の主みたいな表情であぐらをかき、キザミ煙草をくゆらしていた。若いくせにキザミ煙草とは生意気な! その煙草盆も、我が家のではないところを見ると、梱包の中に入れて持ってきたにちがいない。彼は僕の顔を見るなり、先手を打つように言った。

「実際鉄道会社は乱暴ですなあ。蓄音器なんかガタガタになって、こりゃ使いもんにならん」

 見ると隅の茶簞笥(ちゃだんす)(これも彼のもの)の傍に、小型の電蓄がちゃんと置いてある。電蓄がどうなろうと、僕に何の関係があるというのか。彼はけろりとして、電蓄の上の一枚の紙片を僕にさし出した。

「ハガキ、ありましたよ。出し忘れて、蒲団(ふとん)の間にはさまっていた」

 うっかりと僕はそれを受取ってしまった。ひっくりかえして見ると、今度会社をクビになったから上京したいということ、東京には知人もなければツテもないから、メドがつくまで同居させて呉れということなどを、下手くそな字と文章で、くにゃくにゃと書きつけてある。僕が読み終えると、彼は茶簞笥からがさがさした紙包みをサッと僕の前にさし出した。

「オヤジから呉々(くれぐれ)もよろしくとのことでした。これは詰らないものですが」

 それもうっかりと受取ってしまった。

 それで風早青年はまんまと僕の家に居付いてしまった。

 納戸を居城として、毎日々々どこかに出かけて行く。

 狐みたいな顔をしているくせに、なかなかのおしゃれで、ポマードや化粧品や、小型の鏡台までも買い込んだ。金使いも割に荒いらしい。

 クビになったのなら無収入の筈だが、どこから金を都合してくるのか。その点を質問すると、彼はへへッと首をすくめて言った。

「退職金がありますし、それに失業保険もね」

 失業保険というやつは、月に三回か四回に分割して支払われるのだそうで、その度に彼は職安にそれを受取りに行く。毎日外出するのは職安その他に職を探しに行くというのだが、どうもそれは信用出来ない。

 映画を見たりパチンコをやったり、そんなことばかりをしているらしい。酔っぱらって戻ってくることもある。納戸の中でへんな身振りをしながら、ヘイとかウーとかうなっているのを、僕は見たことがある。

 ある日家内が僕に言った。

「あの子ねえ、どうも失業保険が切れるまで、東京でブラブラ遊ぶつもりらしいわよ」

「何故それが判る?」

「うちの子供にそんなことを話したらしいのよ。半年は東京で遊ぶって」

「おい、おい。半年もうちで遊ばれちゃ困るよ」

「あたしも困るのよ。だってあの子はひどい脂足(あぶらあし)で、歩くと畳や廊下がべたべたになるのよ。それにあの子はへんなにおいがする。動物園の狐みたいな」

 メドがつくまでという約束だったが、当人にはメドを早くつける気持はないし、その努力もしていないらしい。仕方がないから追い出そうという気持にこちらがなると、それを察するのか偶然なのか、彼は何か土産物を持って戻ってくる。子供に絵本を買って来たり、玩具を買って来たりするのだ。子供がワッとよろこぶものだから、ついにこちらも切り出しにくくなってしまう。

 子供を手なずけることによって、彼は延引策をはかっているらしい。

 童謡のレコードを買ってきて、それをあのガタガタの蓄音器にかける。子供は大よろこびだ。ところが器械のどこかが狂っているので、レコードは波を打ちながら回り、したがって歌声も酔っぱらいのそれのように、呂律(ろれつ)が乱れるのだ。その呂律の乱れを子供たちは喜んでいるのかも知れない。

 彼がいないところで子供に歌わせると、その蓄音器の影響で、へんな歌い方になってしまっている。教育の上からもそれは面白くないことだ。僕は言ってやった。

「その電蓄、修繕に出したらどうだね?」

「出そうと思ったんですが、修理屋に聞いてみると、四千円もかかるそうで、もったいない」

「四千円かかったって、使い物にならないよりいいじゃないか。修繕しない方がよっぽどもったいないぜ。それに子供にへんな歌い癖がついてしまって、教育上も面白くないよ」

 次の失業保険がおりたら修繕する、という約束になったが、その前に彼の方が家を出て行くことになった。失敗をやって家内を怒らせたのだ。

 どういう失敗かと言うと、彼はごきげん取りのつもりで、子供にマンボ・イタリアーノと言う歌を教え込んでしまったのだ。これではその母親が怒るのも当然だ。

「何ですか、あの子!」母親は激怒して僕に訴えた。「年齢も行かぬ子に、ヘイ・マンボなんかを仕込んで!」

 仕方がないから僕も覚悟をきめて、風早青年を書斎に呼びつけた。

「君の生活態度を見ていると、もうこれ以上君が僕の家にいるのは、不合理のように思う」と僕は言った。「君は来た当座はキザミ煙草などを吸っていたが、近頃では洋モクを吸っているようだね」

「はあ。洋モクの方がおいしいものですから、どうしても」

「しかしだね。洋モクを吸えるような経済状態なら、なにも僕の家にいないで、よそに部屋を求めたらどうだね?」

「へえ」きょとんとしている。

「それに君は仕事を探しに毎日外出しているというが、ウソだろう。毎日遊んでいるのだろう」

「いや、探すには探しているんですが、なにしろこの不景気で、職が見付からないんですよ。遊んでいるなんて、飛んでもない」

「だって君のポケットには、喫茶店のマッチや、映画のプログラムや、パチンコの玉なんかがよく入っているぜ。遊んでないとは言わせないよ」

「ひでえなあ」あわててポケットを押えて、彼は大声を立てた。「他人のポケットを無断でしらべるなんて、ひでえなあ」

「ひどいことはないよ。しらべるなんて人聞きが悪い。のぞいて見ただけだ」

 それからマンボ・イタリアーノの件などを取り上げ、それを極め手にして、ついに彼を説き伏せることに成功した。納戸がタダであることに彼は大いに未練があるらしかったが、ヘイ・マンボの弱味があるので、ついに退散の気持になったようである。

 それから三日後に、彼はふたたび荷物をまとめて出て行くことになった。

 出て行くすこし前に、彼は蓄音器をかかえて、僕の部屋にやって来た。

「ながながお世話になりました」彼はピタリと両手をついて、ばかていねいな頭の下げ方をした。「二箇月も御厄介になったお礼心に、この電蓄を差し上げることにいたします」

「それは有難う」僕は頭を下げた。「喜んでいただいとくよ」

「それについてですけれどね」彼は電蓄をいとしげに撫でさすった。「この電蓄はちょっとこわれているでしょう。それでその分だけの金額を僕にいただけませんか」

「え?」

「ええ、つまりね、この電蓄は、故郷(くに)からあなたのところに送ったために、こんなにガタガタになったのでしょう?」

「それはそうだ」

「だから、つまり、こわれたのは、あなたの責任ということになりますね。あなたがいなければ、この電蓄はこわれるような運命にならなかった。そういうわけでしょう?」

「おいおい、それはおかしいよ」

「おかしくはないですよ」彼は断乎として言った。「昨夜考えてみたが、理窟としてはそうなるんですよ。その電蓄をあなたに差し上げる。そのかわりに、こわした責任をあなたに持って貰う。これでピッタリと計算が合うんですよ」

 実に自信あり気な口調だったし、そう思い込んでいるのを説得するのも面倒なので、僕は千円紙幣を四枚とり出して、彼に渡してやった。彼は器用な指付きでそれを数え、ポケットにしまい込み、またばかていねいに頭を下げた。

「へっ、確かに」

 その日の午後、彼は意気揚々と、荷物と共に我が家を出て行った。いつの間につくったのか、女友達が二人も手伝いに来たのには僕もおどろいた。もっともその二人ともあまり美しくはなく、それに手伝いとは名ばかりで、キャアキャアと歌ったり騒いだりしてばかりいた。

 その日以来、風早青年は一度も僕の前に姿をあらわさない。別段こちらも用事はないのだから、それでも結構だ。

 れいの電蓄は、がらんとした納戸の片すみに、今でもこわれたままで置かれてある。四千円出せば修繕出来るのだが、風早青年に四千円をとられ、また別口に四千円を支出するのは、何だかもったいない気がするから、そのままにしてあるのだ。こわれたままだから、物の役には立たない。どうも僕は風早青年から、四千円をタダで巻き上げられたような気がして仕方がないのである。

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