小穴隆一「鯨のお詣り」(93)「後記」 /「鯨のお詣り」~了
後記
「鯨のお詣りは如何した鯨も隨分ながい晝寢だなあ」。「お詣りの道中はなかなかながいですねえ。」と、人々が笑へば、自分も笑つてゐた。その間に、ここまる一年の月日がたつてしまつてゐた。一年の月日が自分に窮餘の一策を教へた。自分は一策を得た。それで「この九月には、いよいよ鯨をお詣りさせてしまひせせう。」といふ橋本政德君の言に同感の意を表することとした。窮餘の一策、それは、この本の扉の文字を松下英麿君に書いて貰ふことにあつあ。松下君の筆を煩はしたのは、同君が、この本を出版しようと言ひ出した中公論社内の發願人であらう、それに對しての愛想ではない。日頃、豪快に飮み、帋縑と見るや、則ち墨塗りの至藝を發揮するといふ噂のある同君の藝當に執着してしまつてゐるからである。
[やぶちゃん注:「橋本政德」不詳。中央公論社の編集者か。
「松下英麿」(明治四〇(一九〇七)年~平成二(一九九〇)年)編集者で美術研究家。長野県生まれ。早稲田大学英文科卒業後、中央公論社に入社、本書刊行の昭和一五(一九四〇)年からは『中央公論』編集部長を務めた。
「帋縑」「シケン」と音読みする。「帋」は「紙」に同じで、「縑」は訓「かとり」(「固織(かたお)り」の音変化)で、「目を緻密固く織った平織りの絹布」、「かとりぎぬ」のことで、要は墨書・揮毫し得るものという謂いであろう。]
文字や表紙等の板の彫りには伊上次郎君を煩はした。次郎君は、拙い自分の畫を生かして彫つてくれてゐた、故伊上凡骨の息子である。たとへば、芥川龍之介之介の黃雀風の表紙、あの當時の凡骨の彫師としての氣合ひは、今日では感謝の種である。
[やぶちゃん注:「伊上凡骨」「いがみぼんこつ」と読む。木版画彫師。本名は純蔵。徳島県生まれで、浮世絵版画の彫師大倉半兵衛の弟子。明治時代に於ける新聞・雑誌の挿絵は原画の複製木版画であったが、凡骨は洋画の筆触・質感を彫刀で巧みに表現し、名摺師の西村熊吉の協力を得て、美事な複製版画を作った(以上は「百科事典マイペディア」に拠った)。Kozokotani氏のブログ『「北方人」日記』のこちらの記事によれば、「伊上次郎」は実際には実子ではなく養子で、後に二代目「凡骨」を継いだらしい。]
見返しには父の生家の林泉圖を複製して用ゐた。安政二卯年調であるから、亡父誕生十年前の林泉である。
昭和十五年夏 小穴 隆一
[やぶちゃん注:以下に奥付を画像で示す。]
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