小穴隆一「鯨のお詣り」(44)「影照斷片」(2)
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いま考へてもはづかしいが、私は入院中人が教へてくれる歌を、なんでも、苦痛をごまかすために歌つてた。
さういふ際に、一度、芥川さんにぶつかつた。「それでは僕も歌はう。」と言つて、芥川龍さんが大聲でうたつたのは一中節(ちうぶし)である。勿論、病室の看護婦達は啞然となつてしまつた。
私が足首を切斷される時には芥川さんも立會つた。
病室で待つてゐた遠藤の語るところによれば、芥川さんは、まつさをになつて室(しつ)に歸つてきたさうである。さうして「僕は血管を抑へてぶらさがつてゐる澤山のピンセツトの、どれか一つでも落ちて、あれがあのまゝはいつていつたら大變だと、どうしようとそればつかり急に心配になつてきて見てゐずにはゐられないうちに、どうしても、いくらやつても首がくうつと抑へられるやうにのめつてきた。」と言つてゐたといふ。この芥川さん、後に、「君、いまだから言ふが、あのときピンセツトが一つ落ちたよ。もつとも、下島先生に聞くと、血管が一つ位(ぐらゐ)しばらずにはいつたつて大丈夫ださうだ。」なぞといふいやがらせを何度か私に言つたものである。
[やぶちゃん注:「大聲でうたつたのは一中節である」何度も注しているが、芥川龍之介が愛した伯母フキは江戸浄瑠璃系三味線音楽の源流である一中節(いっちゅうぶし)の名取であった。
「ピンセツト」鉗子(かんし)。
「あのまゝ」結束鉗子が落ちて、内部にその血管が結束されぬままに辷り込んでしまい、そのまま術式が終わって縫合されてしまうことを指しているようである。]
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