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2017/02/27

鄰の笛 (芥川龍之介・小穴隆一二人句集推定復元版)

 [やぶちゃん注:これは芥川龍之介と盟友の画家小穴隆一の二人(ににん)句集で、大正一四(一九二五)年九月一日発行の雑誌『改造』に「芥川龍之介」の署名の龍之介の発句五十句と小穴一游亭隆一の発句五十句から成るものとして発表されたものである。私は当該初出誌を所持せず、現認したこともないので断言は出来ないが、龍之介のものが「芥川龍之介」署名である以上、以下の小穴隆一分も「小穴隆一」署名と考えてよいと思う)。

 今回、小穴隆一の随筆集「鯨のお詣り」の全電子化注をブログで完遂したが、その中に小穴隆一分の「鄰の笛」が掲載されていた。そこで岩波書店の正字の旧「芥川龍之介全集 第九卷」の「詩歌」に載る「鄰の笛」の芥川龍之介分と、その小穴隆一分を合わせて、形の上での初出形を、推定復元したものが本テクストである。当該「芥川龍之介全集第九卷」の編者の「後記」によると、文末に「後記」で始まる一文があるとされているので、そこに載るその「後記」を小穴隆一分の後に配してみた。順序は芥川龍之介・小穴隆一とした。小穴隆一を前に持ってくることは改造社側が認めなかったであろうと推断したからである。また、柱がないとおかしいので、頭にそれぞれ「芥川龍之介」「小穴隆一」という署名を配した芥川龍之介のパートの最後に『――計五十句――』とあるので、同じものを小穴隆一パートの最後にも附してみた。くどいが、推定復元であって、初出実物は見ていないので注意されたい

 なお、大正十四年七月、芥川龍之介は、この二人句集「鄰の笛」掲載について以下のような記載を残している

 七月二十七日附小穴隆一宛葉書(旧全集書簡番号一三四八書簡)では、

「冠省 僕の句は逆編年順に新しいのを先に書く事にする、君はどちらでも。僕は何年に作つたかとんとわからん。唯うろ覺えの記憶により排列するのみ。これだけ言ひ忘れし故ちよつと」

とある。続く八月五日附小穴隆一宛一三五〇書簡では、

「あのつけ句省くのは惜しいが 考へて見ると僕の立句に君の脇だけついてゐるのは君に不利な誤解を岡やき連に與へないとも限らずそれ故見合せたいと存候へばもう二句ほど發句を書いて下さい洗馬の句などにまだ佳いのがあつたと存候右當用耳」

と続き、八月十二日附小穴隆一宛一三五四書簡では、

「けふ淸書してみれば、君の句は五十四句あり、從つて四句だけ削る事となる 就いては五十四句とも改造へまはしたれば、校正の節 どれでも四句お削り下され度し。愚按ずるに大利根やもらひ紙は削りても、お蠶樣の祝ひ酒や米搗虫は保存し度し。匆々。」

最後に八月二十五日附小穴隆一宛一三五八書簡で、

「改造の廣告に君の名前出て居らず、不愉快に候。」

となって、出版社関係の個人名が挙げられ、経緯と今後の対応が綴られている(ちなみに筑摩書房全集類聚版の同書簡では、ここが八十二字分削除されてある)。

 察するに、芥川龍之介は親友の小穴を軽く見た、『改造』編集者への強い不快感を持ったのである(それと関係があるやなしや分からぬが、翌大正十五年の『改造』の新年号の原稿を芥川は十二月十日に断っている。以上は私が「やぶちゃん版芥川龍之介句集 続 書簡俳句(大正十二年~昭和二年迄)附 辞世」で注した内容の一部に手を加えたものである)。

 なお、その経緯の中に現われる「大利根や」は以下の小穴隆一の、

 

大利根や霜枯れ葦の足寒ぶに

 

の句を、「もらひ紙」は、

 

よごもりにしぐるる路を貰紙

 

を、「お蠶樣の祝ひ酒」は、

 

ゆく秋やお蠶樣の祝ひ酒

 

を、「米搗虫」は、 

 

ゆく秋を米搗き虫のひとつかな 

 

の句を指すから、当然と言えば当然乍ら、芥川龍之介の望んだ句は削除対象四句から外されていることが判る。さらに、「鯨のお詣り」の「鄰の笛」の後には、追加するように、 

 

  小春日

蘇鐡(そてつ)の實(み)赤きがままも店(みせ)ざらし 

 

  歳暮の詞

からたちも枯れては馬の繫(つな)がるる 

 

ゆく年やなほ身ひとつの墨すゞり

 

  アパート住ひの正月二日

けふよりは凧(たこ)がかかれる木立(こだち)かな 

 

四句が掲げられて、その後に前の「隣りの笛」を含めて『大正九年――大正十四年』のクレジットを打っている。このことから、小穴隆一が自分の五十四句の中から、芥川龍之介の五十句に合わせるために送られてきた「鄰の笛」校正刷で削除した四句は以上の四句である可能性が高いと私は考えている。

 芥川龍之介の「鄰の笛」は、既に「やぶちゃん版芥川龍之介句集 二 発句拾遺」で電子化注しているが、今回、初学者向けに注を大幅に追加した。相同句や改稿句があり、それらについて注をしたものが「やぶちゃん版芥川龍之介句集 一 発句」にあるので、それらも参照されたい。

 芥川龍之介と小穴隆一の友情の思い出に――【2017年2月27日 藪野直史】]

 

 

 鄰の笛

   ――大正九年より同十四年に至る年代順――

 

 

 芥川龍之介

 

竹林や夜寒のみちの右ひだり 

 

木枯や目刺にのこる海のいろ 

 

臘梅や枝まばらなる時雨ぞら 

[やぶちゃん注:「臘梅」「らふばい(ろうばい)」と読む。双子葉植物綱クスノキ目ロウバイ科ロウバイ Chimonanthus praecox。中国原産。一月から二月にかけて、やや光沢を持った外側の花弁が黄色、内側中心にある花弁が暗紫色の、香りの強い花を開く。「梅」と附くが、バラ科サクラ属スモモ亜属ウメ Prunus mume の仲間と思われがちであるが、全くの別属である。唐の国から来たこともあり唐梅とも呼ばれ、また中国名も蠟梅であったことに因む。本草綱目」によれば花弁が蠟のような色であって尚且つ臘月(旧暦十二月の異名)に咲くことに由来するという(以上は主にウィキの「ロウバイ」の記載を参考にした)。] 

 

お降りや竹深ぶかと町のそら

[やぶちゃん注:「お降り」「おさがり」と読む。元日又は三が日の雪又は雨を言う。新年の季語。] 

 

  一游亭來る

草の家の柱半ばに春日かな 

 

白桃の莟うるめる枝の反り 

[やぶちゃん注:「白桃」は「はくたう(はくとう)」で桃(バラ目バラ科モモ亜科モモ属モモ Amygdalus persica)の品種水蜜桃の一種。明治三二(一八九九)年に岡山県で発見された。

「莟」「つぼみ」と読む。] 

 

炎天にあがりて消えぬ箕のほこり

[やぶちゃん注:「箕」「み」と読む。穀物を篩(ふる)って、殻(から)や芥(ごみ)を分けるための農具。] 

 

桐の葉は枝の向き向き枯れにけり 

 

元日や手を洗ひをる夕ごころ 

 

  湯河原

金柑は葉越しにたかし今朝の露 

 

  あてかいな、あて宇治の生まれどす

茶畠に入日しづもる在所かな

 

白南風(しらばえ)の夕浪高うなりにけり

[やぶちゃん注:「白南風」は「しろはえ」とも読み、梅雨が明ける六月末ごろから吹く南風を言う。夏の季語。] 

 

秋の日や竹の實垂るる垣の外

[やぶちゃん注:「竹の實」種によって大きく異なるが、竹類(単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科 Bambusoideae)は非常に長いスパン(六十年から百二十年周期)で開花し、尖塔状部の頭にごく小さな実をつけ、全個体が枯死する。人間の寿命から見ると非常に珍しい現象に見え、竹林全体(同一個体群であることから)や同一種群が大規模に共時的且つ急速に衰滅することから、鼠が多量に発生するとか、広く凶事の前兆ともされてきた。タケ亜科マダケ属マダケ Phyllostachys bambusoides で百二十年周期とされ、地球規模で一九六五年から一九七〇年頃に一斉開花したことから、次期の開花は孟宗竹(タケ亜科マダケ属モウソウチク Phyllostachys heterocycla forma pubescens)で推定六十七周期と言われる(但し、事実上の確認は二度しかなされていない)。私は確かに小学校六年の終り、一九六八年の冬に裏山で沢山のそれを見た。先っぽには米粒のような小さな白い実が入っていた。次期の真竹の開化は二〇九〇年前後、私はもう、いない。] 

 

野茨にからまる萩のさかりかな

 

荒あらし霞の中の山の襞 

 

  洛陽

麥ほこりかかる童子の眠りかな

[やぶちゃん注:芥川龍之介の中国特派を素材とした随想「雜信一束」の「十 洛陽」を参照されたい(リンク先は私の注釈附電子テクスト)。] 

 

秋の日や榎の梢(うら)の片なびき

[やぶちゃん注:「梢(うら)」「末」とも書く。「梢(こずえ)」と同義で枝先のこと。] 

 

  伯母の言葉を

薄綿はのばし兼ねたる霜夜かな

[やぶちゃん注:旧全集では、この句の注記として大正十三(一九二四)二月一日発行の雑誌『女性』に、全集後記によると「冬十題」という大見出しで掲載された(これは諸家十人の冬絡みの小品と言う意味であろう)、「霜夜」参照とある。該当部分をすべて以下に引用する。太字「はんねら」は底本では傍点「ヽ」。

   *

        霜 夜

 霜夜の句を一つ。

 いつものやうに机に向かつてゐると、いつか十二時を打つ音がする。十二時には必ず寢ることにしてゐる。今夜もまづ本を閉ぢ、それからあした坐り次第、直に仕事にかかれるやうに机の上を片づける。片づけると云つても大したことはない。原稿用紙と入用の書物とを一まとめに重ねるばかりである。最後に火鉢の始末をする。はんねらの瓶に鐵瓶の湯をつぎ、その中へ火を一つづつ入れる。火は見る見る黑くなる。炭の鳴る音も盛んにする。水蒸氣ももやもやと立ち昇る。何か樂しい心もちがする。何か又はかない心もちもする。床は次の間にとつてある。次の間も書齋も二階である。寢る前には必ず下へおり、のびのびと一人小便をする。今夜もそつと二階を下りる。座敷の次の間に電燈がついてゐる。まだ誰か起きてゐるなと思ふ。誰が起きてゐるのかしらとも思ふ。その部屋の外を通りかかると、六十八になる伯母が一人、古い綿をのばしてゐる。かすかに光る絹の綿である。

 「伯母さん」と云ふ。「まだ起きてゐたのですか?」と云ふ。「ああ、今これだけしてしまはうと思つて。お前ももう寢るのだらう?」と云ふ。後架の電燈はどうしてもつかない。やむを得ず暗いまま小便をする。後架の窓の外には竹が生えてゐる。風のある晩は葉のすれる音がする。今夜は音も何もしない。ただ寒い夜に封じられてゐる。

     薄綿はのばし兼ねたる霜夜かな

 

   *

「はんねら」とは南蛮焼の一種で、江戸時代に伝わった、無釉又は白釉のかかった土器。灰器としては、普通に用いられたようである。] 

 

庭芝に小みちまはりぬ花つつじ 

 

  漢口

ひと籃の暑さ照りけり巴旦杏

[やぶちゃん注:先に引いた「雜信一束」の「二 支那的漢口」では、この句を示す前の本文に「漢口」に対して「ハンカオ」とルビしている。ここでもそう読むべきであろう。

「籃」は「かご」。

「巴旦杏」は「はたんきよう(はたんきょう)」と読む。これは本来は、中国語ではバラ目バラ科サクラ属ヘントウPrunus dulcis、所謂「アーモンド」のことを言う。しかし、どうもこの句柄から見て、漢口という異邦の地とはいえ、果肉を食さないずんぐりとした毛の生えたアーモンドの実が籠に盛られているというのは、相応しい景ではないように私は思う。実は中国から所謂「スモモ」が入って来てから(奈良時代と推測される)、本邦では「李」以外に、「牡丹杏(ぼたんきょう)」・「巴旦杏(はたんきょう)」という字が当てられてきた。従って、ここで芥川はバラ目バラ科サクラ属スモモ(トガリスモモ)Prunus salicina の意でこれを用いていると考えるのが妥当であると私は考えている。] 

 

  病中

赤ときや蛼鳴きやむ屋根のうら

[やぶちゃん注:「赤とき」は「曉(あかつき)」に同じい。

「蛼」は「いとど」。本来、狭義には直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目カマドウマ上科カマドウマ科カマドウマ亜科カマドウマ属カマドウマ Diestrammena apicalis を指すが、本種は無翅で鳴かないので、ここは、剣弁亜目コオロギ上科Grylloidea のコオロギ類を指すと読んでよかろう。] 

 

唐黍やほどろと枯るる日のにほひ

[やぶちゃん注:「唐黍」「たうきび(とうきび)」で玉蜀黍(とうもろこし)のこと。

「ほどろ」は、はらはらと散るさまであるが、ここでは唐黍の穗のほおけたさまを指すのであろう。] 

 

しぐるるや堀江の茶屋に客ひとり

[やぶちゃん注:「堀江」は大阪市の真ん中、道頓堀と長堀の間にある地名。堀江堀がそこを南北に分けていて、待合茶屋が多かった。]

 

  再び長崎に遊ぶ

唐寺の玉卷芭蕉肥りけり

[やぶちゃん注:唐寺は唐四箇寺とも呼ばれ、中国様式建築の顕著な崇福(そうふく)寺・興福寺・福済(ふくさい)寺・聖福(しょうふく)寺の四寺があるが、これはその中で最も古いとされる崇福寺と思われる。] 

 

木の枝の瓦にさはる暑さかな 

 

蒲の穗はなびきそめつつ蓮の花 

 

  一游亭を送る

霜のふる夜を菅笠のゆくへ哉 

 

  園藝を問へる人に

あさあさと麥藁かけよ草いちご 

 

山茶花の莟こぼるる寒さかな 

 

  菊池寬の自傳體小說「啓吉物語」に

元日や啓吉も世に古簞笥

[やぶちゃん注:「啓吉物語」は大正一三(一九二三)年二月に玄文社より出版されたもの。岩波版新全集「隣の笛」の本句の注解で山田俊治氏は『「啓吉」「雄吉」「準吉」などの作者を思わせる人物[やぶちゃん補注:作者とは菊池。]を主人公にして、その幼年期から学生時代、そして結婚生活を描いた短編を収録。この句はその表紙を飾る』とあり、更に「世に古簞笥」については『「世に経(ふ)る」を掛ける。』とし、太祇(該当注解では「祗」を用いているがこれは誤りである)の「元日の居ごころや世にふる疊」『を参考にして新婚の菊池の箪笥が古くなるように、啓吉物も一巻になったことを祝す』歳旦句と解説している。] 

 

雨ふるやうすうす燒くる山のなり

 

  再び鎌倉の平野屋に宿る

藤の花軒ばの苔の老いにけり

[やぶちゃん注:(京都の平野屋の支店)」現在の鎌倉駅西口の、私の好きな「たらば書房」から、市役所へ抜ける通りの右側一帯にあった平野屋別荘(貸別荘。旧料亭。現在の「ホテルニューカマクラ」(旧山縣ホテル)の前身)。「京都の平野屋」は愛宕街道の古道の一の鳥居の傍らで四百年の歴史を持つ鮎茶屋のことと思われる。京都でも私の特に愛する料亭である。] 

 

  震災の後、增上寺のほとりを過ぐ

松風をうつつに聞くよ夏帽子 

 

春風の中や雪おく甲斐の山

[やぶちゃん注:『改造』初出はこれ但し、この句、底本の岩波旧全集では、芥川龍之介の他でのこの句の上五が総て、 

 

春雨の中や雪おく甲斐の山

 

となっていることから、誤植と判断して改めている(後記からの推定)。確かに「春風」では句としても変である。] 

 

竹の芽も茜さしたる彼岸かな 

 

風落ちて曇り立ちけり星月夜 

 

小春日や木兎をとめたる竹の枝

[やぶちゃん注:「木兎」は「づく(ずく)」或いは「つく」で、所謂、「ミミズク」のこと。鳥綱フクロウ目フクロウ科Strigidae のフクロウ類の内、羽角(うかく。兎に「耳」のように毛が立っている部分)を持つ種の総称である。古名は「つく」であるが、ここは「ずく」と読みたい。] 

 

切利支丹坂は急なる寒さ哉

[やぶちゃん注:「切利支丹坂」現在の文京区小石川にあった切支丹屋敷近くの急坂。現行では「庚申坂」の方が一般的。サイト「東京坂道ゆるラン」の「謎多き数々のキリシタン坂」に江戸時代から現代に至る地図と詳しい解説が載る。「切支丹坂」と呼ばれた場所は複数あり、リンク先を見ると、文京区公認の切支丹坂が如何にもそれらしいが、しかし、芥川龍之介がそこを確かに名指していると明確な断定は出来ぬ。] 

 

初午の祠ともりぬ雨の中 

 

乳垂るる妻となりつも草の餠

[やぶちゃん注:大正十三年五月二十八日付室生犀星宛旧全集書簡番号一一九八書簡によれば、五月十五日に犀星の世話で兼六公園内の茶屋三芳庵別荘に二泊した旅での詠吟の改作。「やぶちゃん版芥川龍之介句集 四 続 書簡俳句(大正十二年~昭和二年迄) 附 辞世」を参照されたい。]

 

松かげに鷄はらばへる暑さかな

[やぶちゃん注:「鷄」は「とり」。鷄(にわとり)。] 

 

苔づける百日紅や秋どなり

[やぶちゃん注:「百日紅」はフトモモ目ミソハギ科サルスベリ属サルスベリ Lagerstroemia indica であるが、音数律から見て、音の「ひやくじつこう(ひゃくじつこう)」で読んでいよう。] 

 

  室生犀星金澤の蟹を贈る

秋風や甲羅をあます膳の蟹 

 

  一平逸民の描ける夏目先生のカリカテユアに

餠花を今戶の猫にささげばや

[やぶちゃん注:「一平逸民」漫画家岡本一平。「逸民」(いつみん)とは、世を逃れて気楽に暮らしている人のこと。この句については芥川龍之介の「澄江堂雜詠」(リンク先は私の電子テクスト)の『四 「今戸の猫」』の本文と私の注を参照されたい。

「カリカテユア」カリカチュア(英語:caricature:イタリア語語源)。戯画・漫画・風刺画の意。] 

 

明星の銚(ちろり)にひびけほととぎす

[やぶちゃん注:「ちろり」は銅や真鍮製のお燗に用いる容器。筒形や円錐形で下の方がやや細く、注ぎ口と取手とがある。この句も芥川龍之介の「澄江堂雜詠」の「二 ちろり」参照されたい。] 

 

  寄内

臀立てて這ふ子おもふや笹ちまき

[やぶちゃん注:「寄内」は漢文表記で「内(ない)に寄す」で、妻への贈答句の意。]

 

日ざかりや靑杉こぞる山の峽(かひ) 

 

臘梅や雪うち透かす枝のたけ

[やぶちゃん注:この句も芥川龍之介の「澄江堂雜詠」の「一 臘梅」を参照されたい。] 

 

春雨や檜は霜に焦げながら

 

鐵線の花さき入るや窓の穴

[やぶちゃん注:「鐵線」キンポウゲ目キンポウゲ科キンポウゲ亜科 Anemoneae 連センニンソウ属 Clematis Clematis亜属 Viticella テッセン Clematis florida。原産地は中国で、現地では「鉄線蓮」と呼ばれ、本邦への移入は万治四・寛文元(一六六一)年~寛文一一(一六七一)年頃とされる。]

            ――計五十句――

 

 

 小穴隆一 

 

  信濃洗馬にて

雪消(ゆきげ)する檐(のき)の雫(しづく)や夜半(よは)の山(やま)

[やぶちゃん注:「洗馬」は「せば」と読む。中山道の宿名。現在の長野県塩尻市洗馬。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

伸餅(のしもち)に足跡つけてやれ子ども

 

雨降るや茸(たけ)のにほひの古疊(ふるだたみ) 

 

百舌鳥(もず)なくや聲(こゑ)かれがれの空曇(そらぐも)り 

 

  雨日

熟(う)れおつる蔓(つる)のほぐれて烏瓜(からすうり)

 

けふ晴れて枝(えだ)のほそぼそ暮(くれ)の雪

 

  庚申十三夜に遲るること三日 言問の
  渡に碧童先生と遊ぶ

身をよせて船出(ふなで)待つまののぼり月(づき)

[やぶちゃん注:ブラウザの不具合を考え、前書を改行した。以下、長いものでは同じ仕儀をした。以下、この注は略す。

「庚申十三夜」旧暦九月十三日の十三夜に行う月待(つきまち)の庚申(こうしん)講(庚申の日に神仏を祀って徹夜をする行事)。但し、ここの「庚申」とは、その定日や狭義の真の庚申講(庚申会(え))を指すのではなく、ただの夜遊びの謂いと思われる。

「言問の渡」「こととひのわたし」。浅草直近東の、現在の隅田川に架かる言問橋(ことといばし)の附近にあった渡し場。架橋以前は「竹屋の渡し」と称した渡船場があった。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

薯汁(いもじる)の夜(よ)から風(かぜ)は起(た)ち曇(くも)る 

 

山鷄(やまどり)の霞網(かすみ)に罹(かゝ)る寒さ哉(かな)

[やぶちゃん注:「山鷄(やまどり)」鳥綱キジ目キジ科ヤマドリ属ヤマドリ Syrmaticus soemmerringii を指すが、ここは広義の山野の鳥の謂いで、必ずしも同種に限定する必要はなく、もっと違う小型の山野鳥のように思われる。

「霞網(かすみ)」二字へのルビ。] 

 

手拭(てぬぐひ)を腰にはさめる爐邊(ろべり)哉 

 

  厠上

木枯(こがらし)に山さへ見えぬ尿(いばり)かな

[やぶちゃん注:「厠上」後でルビを振っているが「しじやう(しじょう)」と読み、「厠(かわや)にて」の意。] 

 

鳥蕎麥(とりそば)に骨(ほね)もうち嚙むさむさ哉

 

わが庭をまぎれ鷄(どり)かや殘り雪 

 

  暮秋

豆菊(まめぎく)は熨斗(のし)代(がは)りなるそば粉哉

[やぶちゃん注:「豆菊(まめぎく)」キク亜綱キク目キク科キク亜科ヒナギク属ヒナギクBellis perennis のことか。] 

 

籠(かご)洗ひ招鳥(をどり)に寒き日影かな

[やぶちゃん注:「招鳥(をどり)」は現代仮名遣「おとり」で、「媒鳥」「囮」の字を当てる。鳥差しに於いて仲間の鳥を誘い寄せるために使う、飼い慣らしてある鳥のこと。「招き寄せる鳥」の意である「招鳥(おきとり)」が転じたものとも言われる。秋の季語である。] 

 

  冬夜 信濃の俗 鳥肌を寒ぶ寒ぶと云ふ

寒(さ)ぶ寒ぶの手を浸(ひた)したる湯垢(ゆあか)かな

 

雉(きじ)料理(れう)る手に血もつかぬ寒さかな 

 

壜(びん)の影小窓に移す夜寒(よさむ)哉 

 

鶴の足ほそりて寒し凧(いかのぼり) 

 

大利根(とね)や霜枯(しもが)れ葦(あし)の足(あし)寒(さ)ぶに 

 

尺あまり枝もはなれて冬木立(ふゆこだち) 

 

まろまりて落つる雀の雪氣(ゆきげ)哉 

 

  三の輪の梅林寺にて

厠上(しじやう) 朝貌(あさがほ)は木にてかそけき尿(いばり)かな

[やぶちゃん注:「三の輪の梅林寺」現在の東京都台東区三ノ輪にある曹洞宗華嶽山梅林寺であろう。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「厠上」は電子化した通り、句上部に同ポイントで入る。但し、これは句の一部ではなく、句意を強調するために前書とせずに句頭に掲げたもので、或いは小穴隆一はポイントを小さくする予定だったものかも知れぬ。似たような用例は芭蕉の名句、

 狂句こがらしの身は竹齋(ちくさい)に似たる哉(かな)

は言うに及ばず、後の芥川龍之介の大正一五(一九二六)年九月の『驢馬』「近詠」欄初出形、

 破調(はてう) 兎(うさぎ)も片耳垂(かたみみた)るる大暑(たいしよ)かな

でも見られる。そこでは芥川龍之介は「破調」のポイントを落している。但し、後に龍之介はこれを前書に移している。] 

 

  すでに冬至なり そこひの伯父は
  庭鳥の世話もづくがなければ賣つ
  ぱらふ

餌(ゑ)こぼしを庭に殘せる寒さかな

[やぶちゃん注:「そこひ」漢字では「底翳」と書き、視力障害を呈する眼疾患の広く指す古語。現在でも以下の眼疾患の俗称として用いられている。「白そこひ」(白内障)・「青そこひ」(緑内障)等。

「づくがなければ」こちらの記載によれば長野方言のようである(現代仮名遣では「づく」は「ずく」のようである)。「億劫でそれをする気が起こらない・根気がない・やる気が続かない」といった感じの意味合いを持つものと考えてよい。

「庭鳥」「にはとり」。鷄。] 

 

連れだちてまむしゆびなり苳(ふき)の薹(たう)

[やぶちゃん注:「まむしゆび」別名「杓文字(しゃもじ)指」とかなどと呼ばれるが、医学的には「短指症(たんししょう)」と称し、指が正常より短い形態変異を広く指す。爪の縦長が短く、幅があって、横に爪が広がっているような状態に見える。実際には手の指より足の指(特に第四指)に多く見られ、成長とともに目立つようになるという。女性に多く見られる遺伝的要因が大きいとされる先天性奇形の一種であるが、機能障害がない限り(通常は障害は認められない)は治療の対象外である。ここは蕗の薹を採るその手(兄弟の子らか)であるから、手の指、特に目立つ親指のそれかも知れぬ。一万人に一人とされるが、私は多くの教え子のそれを見ているので、確率はもっと高く、疾患としてではなく、普通の他の個体・個人差として認識すべきものと考える。ここは姉妹か兄弟か、孰れにせよ童子をキャスティングするのがよい。] 

 

  望鄕

四五日は雪もあらうが春日(はるひ)哉 

 

庭の花咲ける日永(ひなが)の駄菓子(だぐわし)哉 

 

  端午興

酒の座の坊(ぼう)やの鯉(こひ)は屋根の上

 

桐の花山遠(とほ)のいて咲ける哉

 

夏の夜の蟲も殺せぬ獨りかな 

 

豌豆(ゑんどう)のこぼれたさきに蟆子(ぶと)ひとつ

[やぶちゃん注:「蟆子(ぶと)」「蚋」(ぶゆ・ぶよ)に同じい。昆虫綱双翅(ハエ)目カ亜目カ下目ユスリカ上科ブユ科 Simuliidae
に属するブユ類の総称。体長は標準的には二~八ミリメートルで蠅に似るものの小さい種が多い(但し、大型種もいる)。体は黒又は灰色で、はねは透明で大きい。♀の成虫は人畜に群がって吸血し、疼痛を与える。これ自体も(「豌豆」は夏)夏の季語である。] 

 

餝屋(かざりや)の槌音(つちおと)絕ゆる夜長かな 

 

  澄江堂主人送別の句に云ふ 

   霜のふる夜を菅笠のゆくへ哉

  卽ち留別の句を作す

木枯にゆくへを賴む菅笠(すげがさ)や 

 

  望鄕

山に咲く辛夷(こぶし)待つかやおぼろ月 

 

しやうぶ咲く日(ひ)のうつらうつら哉 

 

庭石も暑(あつ)うはなりぬ花あやめ 

 

  長崎土產の產り紙、尋あま少なるを貰ひて

よごもりにしぐるる路(みち)を貰紙(もらひがみ) 

 

  大正十二年正月脫疽にて足を失ふ
  松葉杖をかりて少しく步行に堪ふるに
  及び一夏を相模鎌倉に送る 小町園所見

葉を枯(か)れて蓮(はちす)と咲(さ)ける花(はな)あやめ 

[やぶちゃん注:「小町園」鎌倉の現在の横須賀線ガードから東北部分にあった料亭。芥川龍之介が独身の時から贔屓にしていた。なお、後にここの女将(おかみ)となった野々口豊(とよ)は既婚者であったが、龍之介と彼女とは間違いなく関係があったと推定され、彼女に龍之介は心中を懇請した可能性も深く疑われている。]

 

  短夜

水盤に蚊の落ちたるぞうたてなる

[やぶちゃん注:「水盤」(すいばん)は底の浅い平らな陶製又は金属製の花活け。楕円形や長方形のものが多く、盛り花や盆栽・盆景などにも使用される。夏の季語。] 

 

  平野屋にて三句

藤棚の空をかぎれをいきれかな

 

山吹を指すや日向(ひなた)の撞木杖(しゆもくづゑ) 

 

月かげは風のもよりの太鼓かな 

 

  思遠人 南米祕露の蒔淸遠藤淸兵衞に

獨りゐて白湯(さゆ)にくつろぐ冬日暮(ふゆひぐ)れ

[やぶちゃん注:「鯨のお詣り」の「游心帳」で前書にルビを振っており、「思遠人」は「ゑんじんをおもふ」で、「祕露」は「ペルー」

「蒔淸遠藤藤兵衞」遠藤古原草(こげんそう 明治二六(一八九三)年~昭和四(一九二九)年)は俳人・蒔絵師。本名は清平衛。「蒔淸」は「まきせい」でその組み合わせによる、一種の綽名であろう。「海紅」同人で、前に出た小澤碧堂や、また小説家仲間の滝井孝作(俳号・折柴)の紹介で知り合った。] 

 

しぐるるや窓に茘枝の花ばかり

[やぶちゃん注:「茘枝」は「れいし」で、ムクロジ目ムクロジ科レイシ属レイシ Litchi chinensis。花はこれ(ウィキ画像)。] 

 

  よき硯をひとつほしとおもふ

ゆく秋を雨にうたせて硯やな 

 

  せつぶんのまめ

よべの豆はばかりまでのさむさかな 

 

みひとつに蚊やりうち焚く夜更けかな 

 

笹餅は河鹿(かじか)につけておくりけり

[やぶちゃん注:「河鹿」これは奇異に思われる向きもあろうが、私は断然、これは両生綱無尾目ナミガエル亜目アオガエル科カジカガエル属カジカガエル Buergeria buergeri であると思う。その何とも言えぬ美声を賞玩するために人に贈ったのである。これは近代まで嘗ては普通に季節の贈答として行われていたからである。] 

 

ゆく秋やお蠶樣(かひこさま)の祝ひ酒

 

ゆく秋を米搗(こめつ)き虫(むし)のひとつかな

[やぶちゃん注:鞘翅(コウチュウ)目カブトムシ亜目コメツキムシ上科コメツキムシ科 Elateridae に属する小型昆虫の総称。但し、和名を「コメツキムシ」とする種は存在しない。仰向けになると自ら跳ねて音を立てて元に戻る種が多く、それが米を搗く動作に似ていることからの呼称である。]

            ――計五十句―― 

 

後記。僕の句は「中央公論」「ホトトギス」「にひはり」等に出たものも少なくない。小穴君のは五十句とも始めて活字になつたものばかりである。六年間の僕等の片手間仕事は畢竟これだけに盡きてゐると言つても好い。卽ち「改造」の誌面を借り、一まづ決算をして見た所以である。 芥川龍之介記

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