小穴隆一「鯨のお詣り」(52)「影照斷片」(10)
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一、若(も)し集を出すことあらば、原稿は小生所持のものによられたし。
二、又「妖婆」(「アグニの神」に改鑄(かいちう)したれば)「死後」(妻の爲に)の二篇は除かれたし。
この間(あひだ)の文字を見る。人はそこに、妻の爲にと告げおく事の彼の背後を搜すであらう。「自分が勝手な事をしておいて、勝手な事が言へや義理ではない。」「自分のやうな人間が『死後』の如き物を書いた事は間違(まちがひ)である。」と、言てゐた彼を、彼は其儘(そのまま)傳へて殘してゐる。
――集を出すことのために、訂正を試みた彼の筆(ふで)を二三の箇所に示す芥川龍之介集(現代小説全集、新潮社版(はん))を自分は所持する。これ亦その箇所を示す「夜來の花」は、彼の遺族の所有となつてゐる。自分の「夜來の花」は間違つて彼の死後も其儘に彼の家(いへ)に留り彼の「夜來の花」が自分の家に移つた。
[やぶちゃん注:前半部分は「二つの繪」版の「妻に對する、子に對する」に使用されている。
「芥川龍之介集(現代小説全集、新潮社版)」死の一ヶ月半後の九月十二日に新潮社から刊行された。因みに、新潮社は芥川龍之介の遺書によって土壇場で理不尽にも生前の全集刊行の契約を破棄されている。「 芥川龍之介遺書全6通 他 関連資料1通 ≪2008年に新たに見出されたる遺書原本 やぶちゃん翻刻版 附やぶちゃん注≫」を参照されたい。
「夜來の花」は中国特派旅行の直前(東京出発大正一〇(一九二一)年三月十九日)の三月十四日に新潮社から刊行された芥川龍之介の第五作品集。収録作品は「秋」「黒衣聖母」「山鴫」「杜子春」「動物園」「捨兒」「舞踏會」「南京の基督」「妙な話」「鼠小僧次郎吉」「影」「秋山圖」「アグニの神」「女」「奇怪な再會」の十五篇。これ以降、龍之介の作品集の殆んどの装幀を小穴隆一が手掛けることなった。
『その箇所を示す「夜來の花」は、彼の遺族の所有となつてゐる。自分の「夜來の花」は間違つて彼の死後も其儘に彼の家(いへ)に留り彼の「夜來の花」が自分の家に移つた』この部分はやや解り難いが、芥川龍之介は非常にマメで、小穴がここで述べているように、初出誌や初刊の単行本に後から訂正や改稿を手書きで加えたりしている(実際に全集本文の中には、そうしたものと校合して本文確定がなされているものがある)から、これは作品集「夜來の花」初刊筆者本で、芥川龍之介が本文に書入れをしたものが、本書刊行時である昭和十五年に於いても、何故か、小穴隆一の手元に置かれてあり、小穴隆一への献呈本が、何故か、芥川邸に置かれてある、ということを言っているのだと私は読む。]
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