小穴隆一「鯨のお詣り」(68)「子供」(7)「銅像の手」
銅像の手
一體私の幼年時代の大人という者はげえねえ、子供のこはがる話ばかりして聞かせてゐたものである。萬藤(まんとう)の先代が大學病院に入院してゐた頃、伯母も松本から來てゐて、私の家(いへ)に泊つてゐた。入院してゐた萬藤の伯父は、病院の銅像がいけない子供を喰べて地だらけな口をして、每晩夜中になると窓から自分の室(しつ)に遊びにきていろいろな話をする、そんな話を私に聞かせた。私は或る晩私の胸に觸つた手を、銅像の手だと思つて、聲も出せず蒲團のなかで兩手を力いつぱいに握りつづけてゐたが、床をならべて寢てゐた伯母の手にちがひないのである。私は後年、每晩子供を喰べる銅像の前に改めて立つてみて妙な氣がした。先代の萬藤は寫眞を見れば全くにが蟲を嚙潰(かみつぶ)したといふ面(つら)である。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。私なら事実でなくても、エンディングを「私は後年、每晩子供を喰べる銅像の前に改めて立つてみて妙な氣がした。先代の萬藤は寫眞を見れば全くその銅像と瓜二つの、にが蟲を嚙潰したといふ面であつたからである。」としたであろう。小穴隆一の嘘はつけない生真面目さが伝わってくる。
「萬藤」不詳。小穴の親族であろうが、商家の屋号のようである。]
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