小穴隆一「二つの繪」(55) 「映畫の字幕」
映畫の字幕
昭和二年、久米正雄が製作した映畫のなかに、死ぬ前の芥川龍之介のものがある。それを、當時のものは一秒に十六コマであるが、今日のものは二十四コマと教はり、芥川龍之介の死後、田端の芥川の家で大勢の人達といつしよに見た時から數へると、二十六年ぶりになるが、思ひがけず岩波映畫製作所で再び見る機會を得た。岩波書店では、その映畫に登場してゐた時には、數へ歳八つと三つの此呂志、也寸志の兩君、それに行年何歳かであつた僕との三人に、昔の古いフィルムを寫してみせ、その見てゐるところを撮影して、短かすぎるフィルムに後をつけてのばしたものを作り、地方の講演會に使ふものの一つにしようといふのであつたが、芥川龍之介が映つてゐるフィルムといふのは、「パパ木登りをしよう」「小穴君たまにはトランプもいいね」のほんの僅か二た場面のものである。
映畫に現はれる芥川は、誰れもがなつかしむ、颯爽たるおもかげはみせずに、世にも悲しい顏で出てくるのを豫かじめ覺悟でゐたが、「パパ木登りをしよう」といふ、覺えのなかつた傍若無人のその字幕には、僕は驚きもし、不服であり、得心できないことであつたから、その場で、芥川のところでは、當時、養父も養母も、伯母さんも、僕ちやん(比呂志君)までも、芥川を〝龍ちやん〟といつてゐたもので、芥川家はパパ、ママなどといふハイカラさの無い家であつたのだから、字幕は改むべきであると指摘して、比呂志君の同感を得たが、岩波の人は、龍ちやんではいまの人には通じないといつてゐるだけであつた。僕は暑さと不愉快で、映畫には、岩波のK氏の解説が錄音されると聞いてゐたことも忘れて、そのときは、さうか、やんぬるかなで歸つてきてたが、その七月十三日からは、パパと龍ちやんが、頭のなかにくすぶつてて困つてゐるのである。
僕は今日でも、字幕のパパを龍ちやんに改めるか改めないかは、岩波書店が、記錄映畫として持つてゆくか、それとも商業映畫に墮して持つてゆくかの境だと思つてゐる。龍ちやんちとパパとの相違が、存外いまの人にすぐ通じて、芥川龍之介全集の本家の、岩波の人には通じないのだとも疑つてゐる。(昭和二十七年)
[やぶちゃん注:最後の丸括弧クレジットは、底本では本文から下がって二字上げ下インデントである。
ここで小穴隆一は「久米正雄が製作した映畫」と言っているが、これは少なくとも後半部分は小穴自身が先の「ヴァレンチノ」で「現代日本文學全集の宣傳用フィルム」としたこちら(You Tube/0:30以降の動画)のフィルムである。「小穴君たまにはトランプもいいね」は見たことも聴いたこともないから、或いは同宣伝用フィルムの未使用部を継ぎ合せて久米が新たに編集したものだろうか? 識者の御教授を乞うものである。孰れにせよ、ここで語られている岩波映画製作所のものは、それに新たに勝手なテロップ「パパ木登りをしよう」「小穴君たまにはトランプもいいね」が附けられてしまったもののようである。この画像は岩波に残っていないのだろうか? この小穴の岩波への憤懣は非常に共感するものである。]
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