小穴隆一「鯨のお詣り」(51)「影照斷片」(9)
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昭和二年の夏に芥川さんは東日(とうにち)に「本所兩國」を書いた。その差畫(さしゑ)を藤澤古實(ふるみ)氏かするはずであつたところ、藤澤氏が辭退してしまつたので、岸田劉生に「銀座」あり、われもまたの勢いで、芥川さんは自身畫(ゑ)も兼ねようと、カットには橋、㈠の畫(ゑ)のところは芥川家が載つてゐる昔の地圖を臨模(りんも)、といつた次第で第一日分を作つた。しかし後(あと)十四日分が如何(どう)にもならず、結局前日になつてその差畫急に私に廻つた。
今日になつてみると、あの時、芥川さんが後十四日分勝手なものを續けて作られなかつた物かとも思ふ。
[やぶちゃん注:「二つの繪」版の「芥川の畫いたさしゑ」の前半に使われている。]
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