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2017/02/25

柴田宵曲 妖異博物館 「天狗の誘拐」(2)

 

 天狗に誘拐される話は、「四不語錄」「黑甜瑣語」「續道聽塗說」「梅翁隨筆」「耳囊」等に記されてゐるが、天狗とあるだけで、畫にあるやうな鼻高の姿などはない。登場するのはきまつて山伏である。知らぬ間に遠隔の地に伴はれ、未知の山川を見て歸る。山伏でなくても、不思議な人物に出遭ひ、忽ちのうちに戾つて來るといふのが多いやうに思ふ。たゞ少し變つた例として、「甲子夜話」の記載を一つ擧げて置きたい。

 嵯峨の天龍寺に近い遠離庵といふ尼寺に、十九になる初發心の尼が居つたが、或時尼達四五人連れで、近くの山へ蕨採りに行つたところ、庵へ歸つて見ると、十九の尼だけがゐない。途中で災難に遭つたか、狐狸にでもたぶらかされたかと心配して、皆で祈禱などをしてゐるうちに、それから三日ほどたつて、淸瀧村の木樵が山中の溪川で、若い尼が衣を洗つてゐるのを見かけた。顏色も靑ざめてゐるので、どうしてこんな山奧に來たか、と尋ねたら、自分は愛宕山に籠つてゐる者だと答へる。木樵がいろいろと賺(すか)して淸瀧村まで連れ歸り、遠離庵へ知らせて來たから、その夜駕籠で迎へにやつた。その尼は實體な無口の者であつたのに、庵へ歸つて後も、頻りに大言壯語して人を罵る。飯を三椀ほど山盛りにして食べると、そこに仆れて、その後は鎭靜に還り、最初からの話をした。蕨を採つてゐるうちに、年頃四十ばかりの僧が杖をついて近付いて來た。その言葉に從ひ、杖を持ち眼を塞いでゐたら、大分遠いところへ來たと覺しく、金殿寶閣などが見えた。團子のやうなものを與へられたが、非常に旨く、更に空腹を感じなかつた。僧は尼に向ひ、そなたは貞實な者であるから、愛宕へ往つて籠れば善い尼になれるであらう、追々方々見物させる、讚岐の金毘羅へも參詣させるなどと云つた。庵に歸つた翌日も、あの坊さんがおいでになつたと云つたが、他の人には何も見えぬので、天狗の所爲といふことに定め、尼は親里に歸すことにした。「甲子夜話」はこの記事の末に「或人云ふ、これまでは天狗は女人を取り行かぬものなるが、世も澆季に及びて、天狗も女人を愛することになり行きたることならんか」といふ評語を插んでゐる。

[やぶちゃん注:「遠離庵」「をんりあん」と読んでおく。「厭離」と音通するからである。

「淸瀧村」現在の京都市右京区嵯峨清滝町

「澆季」「げうき(ぎょうき)」と読む。「澆」は「軽薄」、「季」は「末」の意で原義は「道徳が衰え、乱れた世」で「世も末だ」と嘆息するところの「末世」を指す。単にフラットな「後の世・後世・末代」の意もあるが、ここで静山が言っているのは、鎖国で閉塞して爛れきった江戸時代の末期の世相を前者として捉えていたものでもあろう。

 以上は「甲子夜話」の「卷之四十九」の第四十条目の「天狗、新尼をとる」である。所持する「東洋文庫」版で示す。なお、「哺時」は午後の非時(ひじ)である「晡時」。音は「ほじ」で申(さる)の刻。現在の午後四時頃を指す。また広く「日暮れ時」を言うので、ここは「ひぐれどき」と訓じている可能性もある(「東洋文庫」版ではそうルビを振る)。但し、私はここは尼寺でのシチュエーションであるからには、「晡」ではなく「時」(ホジ:食事の時間。本来は仏僧は午前中一回の食事しか摂らず、それを「斎(とき)」と称するが、それでは実際にはもたないので、午後に正規でない「非時」として晩飯を摂る)の意であると(同じく午後四時頃になる)考える。「少尼」は「わかきあま」と読む。「芴然」は「こつぜん」で「芴」は野菜、特に蕪(かぶら)の類。柴田は菜っ葉のように真っ青な顔の意でとっているが、或いは根茎の白さで青白い謂いかも知れぬ。「鿃ぐ」本来は「瞬(またた)く」の意だが、底本では「鿃(ふさ)ぐ」とルビする。

   *

嵯峨天龍寺中瑞応院と云より、六月の文通とて印宗和尙語る。天龍寺の領内、山本村と云に尼庵あり。遠離庵と云。その庵に年十九になる初發心の尼あり。この三月十四日晡時のほどより、尼四五人て後山に蕨を採にゆき、歸路には散行して庵に入る。然るに新尼ひとり帰らず。人不審して狐狸のために惑はされしか、又は災難に遭しかと、庵尼うちよりて祈禱宿願せしに、明日に及でも歸らず。その十七日の晡時比、隣村淸滝村の樵者薪採にゆきたるに、深溪の邊に少尼の溪水に衣を濯ふ者あり。顔容芴然たり。樵かゝる山奥に何かに、して來れりやと問へば、尼我は愛宕山に寵居る者なりと云。樵あきれて彼れをすかして淸滝村までつれ還り、定めしかの庵の尼なるべしと告たれば、其夜駕を遣はして迎とりたり。尼常は實體なる無口の性質なるが、何か大言して罵るゆゑ、藤七と呼ぶ俠氣なる者を招て、これと對させたれば、尼還る還る云て、去らば飯を食せしめよと云ふ。乃食を与へたれば、山盛なるを三椀食し終り卽仆れたり。其後は狂亂なる體も止て、一時ばかりたちたる故、最初よりのことを尋問たれば、蕨を採ゐたる中、年頃四十ばかりの僧、杖をつきたるが、此方へ來るべしと言ふ。。その時何となく貴く覺へて近寄りたれば、彼僧この杖を持候へと云て、又眼を鿃ぐべしと云しゆゑ、其若く爲たれば、暫しと覺へし間に遠方に往たりと見へて、金殿寶閣のある処に到り、此所は禁裡なりと申し聞かせ、又團子のやうなる物を喰ふべしとて与へたるゆゑ、食ひたる所、味美くして今に口中にその甘み殘りて忘られず、且少しも空腹なることなし。又僧の云ひしは、汝は貞實なる者なれば、愛宕へ往きて籠らば善き尼となるべし。近々諸方を見物さすべし。讚岐の金比羅へも參詣さすべしなど、心好く申されたるよし云て、歸庵の翌日も又、僧の御入じやと云ゆゑ、見れども餘人の目には見へず。因てこれ天狗の所爲と云に定め、新尼を親里に返し、庵をば出せしとなり。或人云ふ。是まで天狗は女人は取行かぬものなるが、世も澆季に及びて、天狗も女人を愛することに成行たるならんか。

   *

この話、私は全く妖気(ようい)を感じない寧ろ、佯狂(ようきょう)を疑う善意に解釈するなら、このなったばかりの若き尼は、実は尼になりたいなどとは思っていなかったか、同じ修行の尼僧らとの関係に於いて実は激しいストレスを持っていたことから、一種の精神的な拘禁反応による心因性精神病からヒステリー症状を発し、突発的に山中へ遁走してしまい、保護されて庵に戻ってからも病態が変化しただけで、遂には幻視(僧の来庵)を見るようになったのだ、と診断出来なくもないが、それより全部が芝居と考えた方が遙かにずっと腑に落ちる静山の最後の皮肉も実はそうした悪心をこの尼の心底に見たからではあるまいか、とも思われるのである。]

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