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2017/02/22

柴田宵曲 妖異博物館 「適藥」

 

 適藥 

 

 京の油小路二條上ル町、屛風屋長右衞門の倅長三郎、十二歳になる少年が不思議な病にかゝつた。腹に出來た腫物に口があつて、はつきりものを云ひ、食物は何によらず食ふ。あまり食ひ過ぎては如何かと云つて食はせぬと、大熱を發し、樣々に惡口する。醫師が代る代る治療を加へても、何の利き目もなかつた。病のはじめは五月中旬であつたが、七月に至り菱玄隆といふ博識の名醫に診察を乞うたところ、かういふ病人は本朝では聞いたことがない、異朝の書物に見えてゐるといふことで、先づいろいろな藥を例の口に食はせて見た。然る後、彼が厭がつて食はぬもの五七種を集めて調劑し、病人に服用させた。定めし惡口を云ふであらうが、構はず服藥をお續けなさい、と云つて飮ませて見ると、もの言ふ聲も次第に嗄れ、食物も漸く減じて來た。十日ばかりたつて、長さ一尺一寸、頭に一角のある雨龍の如きものが糞門から出たのを、直ちに打ち殺した。元祿十六年の話といふことになつてゐる(新著聞集)(元祿寶永珍話)。

[やぶちゃん注:私の好きな人面疽(じんめんそ)・人面瘡(そう)物である。因みに言っておくと、しかし、私は人面疽物では手塚治虫の「ブラックジャック」の「人面瘡」以外は面白いと思った作品がない。映画の二重体物の「バスケット・ケース」などはあまりのレベルの低さに最後は大笑いしてしまった。

「嗄れ」「しやがれ」。

「元祿寶永珍話」筆者未詳。本書は国立国会図書館デジタルコレクションの画像でここから視認出来る。以下に「新著聞集」の方の「雜事篇第十」の「腹中に蛇を生じ言をいひて物を食ふ」を何時もの仕儀で以下に引く(これは同書の掉尾に配されたものである)。

   *

京あぶら小路二條上ル町、屛風や長右衞門といふ者の子、長三郎とて十二歳になりし、元祿十六年五月上旬に、夥しく發熱し、中旬にいたり、腹中に腫物の口あきて、其口より、言便あざやかに、本人の言にしたがひて、ものをいひ、又食事、何によらずくらひけり。若食過ていかゞやとて、押へて噉さゞりければ、大熱おこり、さまざま惡口し、罵り辱しめたり。医師、代る代る來りて、巧をつくしゝかど、何のしるしなかりしが、七月におよび、菱玄隆とて、博識の高医、懇に見とゞけて、かゝる病人、本朝にはいまだつたへ侍らず。異朝の書典にみへ侍りしとて、種々の藥味を、件の口にくはせ試て、かれがいなみて喰はざるものを、五七種あつめ配劑し、さだめてかれ、いぶせくおもひて、いかばかり惡口せんずれ共、すこしもいとひなく服用したまへとて、本人にたてかけ呑せければ、一兩日にぜんぜんに件の口のこゑかれ、食物もやうやくに減少し、十日ばかりして、糞門より、長一尺一寸、額に角一本ありて、その形、雨龍のごとくなる者飛出しを、卽時に打殺してけり。

   *

何やらん、実在するヒト寄生虫らしいしょぼい結末については次段の注の引用も参照されたい。]

 

 腹中に物あつて何か言ふ話は、應聲蟲と称する。「鹽尻」の記載は殆ど右の通りで、菅玄際なる醫者が、雷丸の入つた湯藥三帖を服せしめんとするに、腹中の聲大いに拒んで、その藥用ふべからずといふ。強ひて飮ませた結果、日を經て聲嗄れ、一蟲を下す。蜥蜴(とかげ)の如くにして額に小角ありといふ。菱玄隆と菅玄際の如きは、筆寫の際に生じた誤りと見るべきであらう。

[やぶちゃん注:「應聲蟲」ウィキには「応声虫」の項がある。以下に引いておく(下線やぶちゃん)。『応声虫による症状』『があらわれた人物の説話は、中国の『朝野僉載』や『文昌雑録』、『遯斎間覧』などに記述がみられ、本草書である『本草綱目』には応声虫に効果があったとされる雷丸(らいがん)や藍(あい)の解説文中にもその存在が言及されている』。『応声虫が人体の中に入り込むと、本人は何もしゃべっていないのに腹の中から問いかけに応じた返事がかえって来るとされる。雷丸(竹に寄生するサルノコシカケ科の一種で漢方薬の一つ』(信頼出来る漢方サイトによれば、サルノコシカケ科 Polyporaceae のライガン Omphalia lapidescens の菌核を乾燥したものとあった)『を服用すれば効果があり、虫も体外に出るという』。『腹の中から虫が声を出すという症状を受け、中国では「自分の意見をもたず付和雷同した意見のみを言う者」を応声虫と揶揄して呼んだともいう』。『日本においても、回虫などの寄生虫のように人間の体内に棲む怪虫によって引き起こされる病気であるとされ、人間がこの病気に冒されると、高熱が』十『日間ほど続いて苦しんだ後、腹に出来物ができ、次第にそれが口のような形になる。この口は病気になった者の喋ったことを口真似するため、応声虫の名がある。喋るだけでなく食べ物も食べる。自ら食べ物を要求し、これを拒むと患者を高熱で苦しめたり、大声で悪口を叫んだりもする』。『江戸時代に記された説話集『新著聞集』や随筆『塩尻』に見られる説話では、以下のように語られている』(ここに原典を出した「新著聞集」の梗概があるが省略する)。また、「閑田次筆」には以下のような話がある。元文三(一七三八)年、『応声虫に取り憑かれているという奥丹波の女性の話を見世物小屋の業者が聞きつけ、見世物に出そうと商談に訪れた。その女性の家を訪ねたところ、女性は確かに応声虫の病気を患っているらしく、腹から声を出していた。女性の夫が言うには、寺へ参拝に行った際、腹から出る声を周囲の人々が怪しみ、とても恥ずかしい思いをしたので、見世物など到底無理とのことだった。こうして業者の思惑は外れてしまったという』。『これらの話は、実在の寄生虫である回虫を綴ったものであり、回虫が腹にいることによる異常な空腹感や、虫下しを飲んで肛門から排泄された回虫の死骸を描写したものであるとも考えられている』『が、前述のように応声虫はもともと中国に存在する説話であり、また『新著聞集』にあるものなどは中国に伝わるものに人面瘡の要素(口のようなできものが発症する点)が加わっており、中国の文献を単純に換骨奪胎し脚色しただけのものであるとする説もある』とある。

「鹽尻」江戸中期の尾張藩士で国学者であった天野信景寛文三(一六六三)年~享保一八(一七三三)年)の随筆。全千巻とも言われる一大随筆集(現存は百七十巻程)。私は所持しない。]

「齊諧俗談」に「遯齋閑覽」を引いてゐるのは、一人の道士の説により、本草を讀んで、その声に應ぜざる藥を飮ませよといふことになる。雷丸に至つて遂に答へなきを見、雷丸を服せしめて癒えたとある。異朝の書物に見えてゐるといふのは、或はこれかも知れぬ。併し「酉陽雜俎」には左の腕に出來た腫物の話がある。この腫物はいはゆる人面瘡で、ものを言ふことはなかつたが、酒を與へれば吸ひ盡し、食物も大概のものは呑却する。名醫の言に聞いて、あらゆるものを與へてゐるうちに、貝母といふ草に逢著したら、腫物は眉を寄せ、口を閉ぢて、敢て食はうとせぬ。貝母の適藥であることを知り、この搾り汁を注いで難病を治し得た。本草を讀んで雷丸に至り答へぬなどは、いさゝか留學的知識に富み過ぎてゐる嫌ひがある。「酉陽雜俎」の記載が古いところであらう。

[やぶちゃん注:「齊諧俗談」「せいかいぞくだん」と読む。大朏東華(おおでとうか:江戸の者とする以外の未詳)著の怪異奇談集。記載は「卷之三」の「應聲蟲」。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。

   *

遯斎閑覧(とんさいかんらん)に云、往古(むかし)人あり。其人、言語を發する度に、腹中にて小き聲ありて是に應ず。漸々に其聲大なり。然るに一人の道士ありて云、是(これ)應聲蟲なり。但本草を讀べし。其答ざるものを取て、是を治せとおしゆ。困て本草を讀に、雷丸に至て答へず。終に雷丸を數粒服して、すなはち愈たりと云。

   *

「遯齋閑覽」中文サイトによれば、宋代の范正敏の撰になる歴代笑話集とある。中文サイトで同書を閲覧したが、この叙述は見当たらなかった。

「酉陽雜俎」「ゆうようざっそ」(現代仮名遣)と読む。唐の段成式(八〇三年~八六三年)が撰した怪異記事を多く集録した書物。二十巻・続集十巻。八六〇年頃の成立。ここで言っているのは、以下。記事にある原文を加工させて貰い、頂戴した。

   *

許卑山人言、江左數十年前、有商人左膊上有瘡、如人面、亦無它苦。商人戲滴酒口中、其面亦赤。以物食之、凡物必食、食多覺膊内肉漲起、疑胃在其中也。或不食之、則一臂瘠焉。有善醫者、教其歷試諸藥、金石草木悉與之。至貝母、其瘡乃聚眉閉口。商人喜曰、此藥必治也。因以小葦筒毀其口灌之、數日成痂、遂愈。

   *

「貝母」「ばいも」と読む。これは中国原産の単子葉植物綱ユリ目ユリ科バイモ属アミガサユリ(編笠百合)Fritillaria verticillata var. thunbergii の鱗茎を乾燥させた生薬の名。去痰・鎮咳・催乳・鎮痛・止血などに処方され、用いられるが、心筋を侵す作用があり、副作用として血圧低下・呼吸麻痺・中枢神経麻痺が認められ、時に呼吸数・心拍数低下を引き起こすリスクもあるので注意が必要(ここはウィキの「アミガサユリに拠った)。]

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