小穴隆一「鯨のお詣り」(62)「子供」(1)「猫におもちや」
子供
猫におもちや
仔猫を貰つて大事にしてゐたものである。その頃の私は月に二三囘外出するかしないかのの暮しをしてゐた。それは足がわるくてろくろく步けないから、長い間にさういふ習慣が自然と私についてしまつてゐたのだ。私は外出をする。さうすると、必ず猫のために何か買つてやらなければ、落着いて街にゐるわけにもゆかなかつた。私はいつも氣をつけて猫のよろこびさうなおもちやを街でさがしてきたが、畢竟私は人間であり、仔猫といへども猫は獸であるから、私の買つてきたものに猫はいつも滿足してはゐなかつた。猫に買つたのではあるが、人の子のおもちやはこれを人の子に、いつか一つ二つと人の子にやつてしまつた。
私には子供がない。それがために、いつか大道商人がらスモール・バアドを買つて、「坊チヤンが喜びますぜ」と愛嬌をふりまかれた私は、私の笑ひをしたがその時の笑ひを依然として今日(こんにち)でも持つてゐる。
猫のおもちやだといつて人の子のおもちやがなかなか買へるものではない。
[やぶちゃん注:「スモール・バアド」子供の大型玩具の乗用ペダル・カーに同名のものがあるが、これは戦後の一九六〇年代以降の出現であるし、流石に猫のためのおもちゃには買って帰るまい。デコイ風の小鳥の木製フィギアか、小鳥の形をした木笛か(しかし後者だったら小穴隆一ならそう説明する気もする)。識者の御教授を乞う。]
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