小穴隆一「二つの繪」(56) 『「芥川龍之介」讀後』
「芥川龍之介」讀後
大正十二年の夏を鎌倉の平野屋ですごしてゐたときに、離座敷にゐた岡本かの子、芥川さんと何何さんとは關係がありはしませんか、わたしは芥川さんに會ひたくて、前に何何さんに紹介してとたのんだのですが、何何さんは、芥川さんはわたしの紹介がなければ、女の人には合はないといつてました、何何さんがさういふことをいつてるところをみると、わたしには、確かに關係があると思はれます、と、かの子のねばり強さで詮議をされたときには困つたが、「芥川龍之介」が文學界に載りはじめたときに、宇野さんの文章で、芥川の「早業」が書かれてゐるのをみたときも困つた。宇野浩二の奴、困つた奴だと思ひながら續きをつづけて讀んでゐるうちに、話はいつか芥川の作品についての感想批評に移つてゐた。それが僕のやうに、芥川の書いたものに對して、批評ぬきであつたものには、いい手引になつた。いちいちもつともと頭をさげた。
が、生徒といふものは、教師の顏をみながら、えてしてくだらぬことを考へてゐるもののやうで僕もまたその例にもれない。
宇野さんは、芥川の木のぼりの映畫を、(さて、映畫が開始されると、すぐこの陰氣な暗い風景があらはれ、「おや」と思つてゐる間もなく、平屋の家の屋根の上に、頭から、肩から、しだいに姿をあらはしたのが芥川だ。やがて屋根の上に全身をあらはした芥川は「ぱつと兩手を左右に開いたかと思ふと、目にもとまらぬ早さで、枯木のやうな樹木の枝に飛びつき、兩手で枝をにぎると殆んど同時に飛鳥のごとく、股をひらひて、木の股に兩足をかけた」と説明してゐるが、芥川は下からのぼり、樹の枝をつたはつていつて手摺を跨いで、二階の部屋にはいつてゐるのだ。大體氣味のわるい、さうして、一秒に十六コマといふ動作がぎくしやく映る昔のフィルムだから、みる人に錯覺をおこさせる代物だが、宇野さんの頭にもさう逆に映つてゐたのが面白かつた。その映畫のフィルムは芥川の家に保存されてゐるであらうし、岩波書店にもあつて、僕は田端でみてから廿六年ぶりで去年また岩波でみせてもらつてゐる。
宇野さんとは、「秋山圖」の趣向をとつた本は、芥川が僕にくれた甌香館集の補遺畫跋のなかにある記秋山圖始末であらうことや、「馬の脚」について當時の、いろいろのながい話と事情などを話合つてみたいと思つてゐるが、芥川に紹介され、瀧井君に紹介されてゐても、どういふものか、宇野さんとはまだいつもお互にお時儀だけに終つてしまつてゐる。
芥川が、宇野がといつて、宇野さんの話をするときの、宇野がといふことばの調子には宇野さんに對する愛情があつたものだ。宇野さんも「芥川龍之介」のあとがきを淚をこぼしこぼし書いてゐたことであらうと思つてゐる。
(昭和二十八年六月)
[やぶちゃん注:最後の丸括弧クレジットは、底本では二字上げ下インデントである。
「何何さん」一応、秀しげ子としておくが、これは当時の岡本かの子の状態(精神変調から回復した予後状態)から考えると、ちょっと別な女性(例えば当時、平野屋に同宿していた谷崎潤一郎の先妻千代夫人の妹で女優の小林勢以子)の可能性などもある(勢以子と芥川龍之介との関係を噂する向きも事実あるが、私は全くないと考えている)。
「芥川龍之介」盟友宇野浩二による渾身の大作「芥川龍之介」は昭和二十六(一九五一)年九月から同二十七(一九五二)年十一月までの『文学界』に一年三ヶ月に及ぶ長期に連載されたもの。私の電子テクスト注上巻・下巻を参照。
『宇野さんの文章で、芥川の「早業」が書かれてゐる』私の宇野浩二「芥川龍之介 上巻」で「早業」で検索されたい。
「芥川の木のぼりの映畫」既出既注の、元は改造社の円本全集「現代日本文学全集」の宣伝用フィルム」であるこちら(You Tube/0:30以降の動画)。
「宇野さんの頭にもさう逆に映つてゐたのが面白かつた」これは技師が誤って逆様にフィルムを回したか(当時の映写機ではその可能性はないと思う)、或いは、私には宇野浩二の精神病の後遺症による病的な記憶変性とも読めるが、如何?
「甌香館集の補遺畫跋のなかにある記秋山圖始末」複数回、既出既注。]
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