小穴隆一「鯨のお詣り」(59)「鯉」
鯉
睡蓮の鉢を三つ四ついれられる程の池を去年の庭にこしらへた。ついでにめだかをいれておいた。すると秋にはめだかの子が出來た。そこでこれは別にガラスの器に收容してその池にいれておいた。然し始めてのことなので注意が足りず、一夜の雨に五十ぴきばかりの子を一つも殘さずなくなしてしまつた。めだかの子は器から溢れだして親に喰べられてでもしまつたらしい。そこで今年は用心して、櫻の花びらがお向ひから一つ二つとこの池に浮んでゐる日頃(ひごろ)から、再びめだかの卵をみつけだした。注意よろしく現在は、人が「やあ、熱帶魚?」と聞く程、卽ち大方の人にはまだめだかかとはつきりわからぬ五六分(ぶ)位(ぐらゐ)の魚(さかな)となつてゐる。
[やぶちゃん注:「五六分」一・五~一・八センチメートルほど。]
お向ひのお醫者さんの家には池らしい池があつて五六圓どこの鯉が泳いでゐるのだ。このお醫者さんのおばあさんにめだかの卵を若干進呈した。すると俄然お向ひの人達は自家(じか)の池、金魚鉢などのなかに魚(さかな)の卵を物色しはじめた。さうして鯉の卵だといふものを僕の家(うち)に呉れた。家(うち)の細君は欣喜(きんき)として、砂糖甕(さたうがめ)だか味噌甕(みそがめ)だか知らぬが甕(かめ)を庭に出してきて、この鯉の卵の目鼻に注意を集中しだした。卵は甕にあること一兩日で孵り何やら魚(さかな)のかたちはして菱(ひし)の葉の陰に動きだした。
この鯉が生れてから幾日であつたであらうか。
関西に轉地してゐた年下の友人が、昨夜突然夫婦づれで我家(わがや)を訪れてきた。この人達もめだかの子をつかまへて「やあ、熱帶魚ですか。」と言つてゐる。甕を疊の上に持出して鯉の子を見せたら、「あら、これが鯉? 丸煮(まるに)に出來るあの鯉?」と妻君は感心してゐた。
僕は若い女の凄い空想に驚いた。
○
小さい庭のまんなかに醬油樽を埋(い)けて、金魚の池としてゐたことがある。然しこれは、實際には犬の水呑場(みづのみば)やあつたのかも知れない。
始め庭さきで、ぢやぶ、ぢやぶつ、といふ音がした時には何んだと思つた。まだあの時は犬を飼つてはゐなかつた。
その池? に鯉を買つていれておきたいと細君はいふ。
入物(いれもの)が小さいから駄目だと自分はいふ。その夏はそれですんだ。翌年またも鯉を買つてはいけないかといふ。承知をしたら、ほんとは去年に買うつてあるのだといふ。どこに置いてあるのだと聞くと預けてあるといふ。どうせ十錢か十五錢の鯉なら小つぽけなものだらう、それにしても一年もたつてゐればまた少しは大きくなつてもゐるだらう。とつて來いと言つたら早速に飛出して行つた。行つたら店(みせ)の親爺が、どの鯉を預つたのだかわからなくなつてしまつたからどれでも好きなのを持つてゆけと言つたといふ。そこで細君は一番大きいのを貰つて元氣で歸つてきた。それは到底醬油樽に住(すま)へる代物(しろもの)ではない。樽から飛出すのをつかまへて入れ入れしてゐるうちに、何時(いつ)か猫か犬にとられてしまつた。
以前借家に居た時の話である。
[やぶちゃん注:志賀直哉風の小品である。小穴隆一の文章にしては、迂遠な表現やまどろっこしい描写が殺がれており、微笑ましい。しかし、芥川龍之介が生きていたとして、これを褒めたかどうかは別問題ではある。私は基本、志賀が嫌いだから判らぬと言っておくにとどめる――と――小穴隆一風に終わることとしよう。]
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