小穴隆一「鯨のお詣り」(91)「一游亭句集」(3)「鵠沼」
鵠沼
卽事
甲蟲(かぶとむし)落ちて死んだるさるすべり
海濱九月
膝ををる砂地(すなぢ)通(かよ)ふや黃(あめ)の牛
二百二十日も無事にすみたるにて
去年(こぞ)の栗ゆでてすみたるくもりかな
潮騷(しほさ)ゐや鶺鴒(せきれい)なとぶ井戸の端(はた)
らん竹(ちく)に鋏(はさみ)いれたる曇り哉
[やぶちゃん注:「らん竹」「蘭竹」であるが、これは特定の植物種ではなく、東洋文人画の蘭と竹を配したもの絵を指している。蘭・竹・菊・梅の四種の植物は、中国では古来より「四君子(しくんし)」と称され、徳・学・礼・節を備えた人のシンボルであった。蘭は〈高雅な香と気品〉を、竹は冬にも葉を落とさず青々として曲がらぬところから〈高節の士〉を指すとされた。ここはそうした絵に鋏を入れて切り裂くという画家ならではの反逆的シチュエーションと私は採る。大方の御叱正を俟つ。]
ひときはにあをきは草の松林
わくら葉(ば)は蝶(てふ)となりけり糸すゝき
この釜(かま)は貰ひ釜(がま)なるひとり釜(がま)
[やぶちゃん注:「二つの繪」版の「鵠沼・鎌倉のころ」パートの「鵠沼」に参考画像として私が出したこの絵の釜であろう。]
人に答へて
鵠沼はひとり屋根にもの音をきく
湯やたぎる凍(し)みて霜夜(しもよ)の松ぼくり
夜具綿(やぐわた)は糸瓜(へちま)の棚に干しもせよ
若衆二人にて栗うりをなすに
大(おほ)つぶもまじへて栗のはしり哉
うすら日(ひ)を糸瓜(へちま)かわけり井戸の端(はた)
鳳仙花種をわりてぞもずのこゑ
つぼ燒きのさざえならべて寒(かん)の明け
足袋(たび)を干す畠(はたけ)の木にも枝のなり
垣(かき)に足袋干させてわれは鄰りびと
しちりんに手をかくること
またあるべくもなき鵠沼を去るにのぞみ
一冬(ひとふゆ)は竈(かまど)につめし松ぼくり
大正十五年
[やぶちゃん注:クレジットは底本では二字上げ下インデントでポイント落ち。]
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