小穴隆一「鯨のお詣り」(65)「子供」(4)「子供の復讐」
子供の復讐
草箒(くさばうき)を持つて、大勢で赤とんぼを追ひかけまはつてゐた私、お菓子は家(いへ)の玄關のわきの部屋にはいるといつでもあつた。胸の高さまであつたその木箱に、そつと手を入れては、いつぱいに摑出(つかみだ)してゐた私、おばあさんから黑砂糖を貰つてしやぶつてゐた私。
日野家(ひのや)はおぢいさんの家に向つて左鄰(どな)り、右鄰りの家に二人の子がゐた。
私はなんで腹を立ててたか、兄弟、その弟が家の前を通るのをめがけて家のなかにつつたつたままで石を投げた。石はその子の頭にあたつて、その子は頭をおさへて泣きながら家にとんでいつてしまつた。頭から血が流れてゐたやうに思つてゐるが、おぢいさんから叱られた記憶もなし、その事あつて間もなくその子の家に行つて、茶の罐(くわん)の蓋を薄い餅にあてて、せんべいを何枚かつくつて遊んだ覺えのあるところを思ひ考へると、せいぜい瘤(こぶ)の一つ位(ぐらゐ)といふところかも知れない。
私は私のしたことを忘れてゐて、一日(にち)、私が石を投げつけたその兄弟に誘はれて山に行つた。兄弟は麥畑(むぎばたけ)の上に屋根を出してゐる牛屋(うしや)を指さして、一寸あそこまで行つてくるからここに待つておいでと、私を殘したまま靑い麥畑の中に驅込むんでしまつた。どの位(くらゐ)待つてゐたかいまもつてわからないが、私は殘されてぢつと待つてゐた。日がとつぷり暮れて私はその山路(やまぢ)に泣いてゐた。暗いなかから私に聲をかけた大人がゐた。その大人は私の伯父であつた。私は薪(まき)を背負つた伯父に連れられておぢいさんのところに歸つてきた。
後年幾度か、私は、私が六歳の時泣いて立つてゐた場所を、なつかしんでそこに立つてみた。
私はうし公(こう)とそれから私に復讐をしたその兄弟がなつかしく、度々(たびたび)人々にその行方を聞いてもみたが、誰(だ)れもうし公やその兄弟の事を忘れてゐて知つてゐる者がない。
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