小穴隆一「鯨のお詣り」(6) 「山鉾のおもちや」
山鉾のおもちや
「今度の七月には又祇園さんのお祭りがありますさかいお出でやしとくれやす。」
京都年中行事曆(こよみ)のところを見てゐると、七月十七日、祇園山鉾(やまぼん)順行神輿渡御と記してある。
[やぶちゃん注:「やまぼん」はママ。誤植とも思えるが、暫くママとする。]
先頃の歸りしなには、女へ土産に宿のおかみさんから向うのおもちやを貰つた。念のはいつたことに、この貰つたおもちやのなかには祇園山鉾(やまぼこ)といふのがあるのだ。このおもちやがまた考へさせる。「奧さんと御一緒におこしやす。」はどうでもよいとして、この山車(だし)か御輿(みこし)か分らぬ物の屋根につきぬけて立つ樹(き)は、杉か松かと畫室の隅に据ゑつけた食堂の卓子(テーブル)の上に置いては眺めてゐる。私は松とも思ふ。杉とも思ふ。松と見るのは繪畫によつて養はれてゐる概念らしい。杉と見るのは叡山に登つて出來た感じらしい。
「今度の七月には又祇園さんのお祭りがありますさかい來とくれやす。」
[やぶちゃん注:「祇園祭」公式サイトのこちらを見る限り、この「太子山」を除いては松、「太子山」のみが檜とある。私は祇園祭自体を見たことが、ない。]
「どうも松は雨氣(あまけ)を嫌ふとみえるなう。」
昔のこと、雨の日に、煙管(きせる)の吸口を頰にきつくあてがひながら祖父はつぶやいてゐた。祖父は八十八歳でその一生を終つたが、眞夏でも腰板(こしいた)のついた袴(はかま)をつけ手甲(てかふ)菅笠できちんと支度をして、庭の草むしりに餘念のない人であつた。松の木が雨氣(あまけ)を受けてその葉をすぼめる可愛(かはい)らしさを、私が知つたのはこの祖父のおかげである。
「どうも松は餘程水が好きだとみえるわい。」
昔のこと、晴れた日に、茶を汲みながら伯父はつぶやいてゐた。伯父は七十何歳かでその一生を終つた。伯父は七十何歳かでその一生を終つたが、癇癖(かんぺき)が強くて物事に成功せず不遇な人であつた。松の木が池の水に、川の水に、根から枝をさしかけてゐるその姿をおぼえたのはこの伯父のおかげである。
[やぶちゃん注:「伯父は七十何歳かでその一生を終つた。伯父は七十何歳かでその一生を終つたが」衍文のようにも思われるが、小穴隆一はこうした繰り返しをよくするので、暫くママとする。]
「祇園さんのお祭りにはたんとごツそしてまつてまツせ。」
此間(このあひだ)の歸る路(みち)汽車で元活動女優であつた人と私は一緒になつた。京都からはどの位離れたところか、「旅」「アサヒグラフ」にも一トとほり目を通してしまつてゐた時に、目の前の扉(ドア)が開(あ)いて「ここは空いてをりまして?」といふその人を見たが、その人は會釋をすると箱の隅に席をとつてゐた私と向ひあつて腰をおろしてしまつたのである。私は改めてそのハンド・バツク一つ、新靑年一册、驛の立賣(たちうり)が賣つてゐる網にはいつた蜜柑を持つたきりの女を見た。女は京都驛で、ホームまで私を送つてきた宿の母娘(おやこ)に見付(みつけ)られ、次の箱に乘りこんだのに、母親のはうに、窓際(まどぎは)につかれ、發車近くまで何か話しかけられてゐたその人であつたからである。
「失禮ですがあなたはさつき宿のおかみさんと話をしていらした方でせう。」
「ええ。」
「お繪はお出來になりまして?」
お繪はお出來になりましてで兵隊刈りの私は一寸困つてしまつた。何んでもないことであるが、元活動女優で何々だと宿の娘が私に告げたやうに、女優さんには畫家の何々であると母親のはうも教へてゐるとわかつては、此頃は耳も少々遠くなり汽車の窓際で聞きとれなかつたからと、改めてその名を當人に尋ねる活潑さを失つたのである。
私はそこで無口でゐるのが利口と考へてゐた。
女優さんは蜜柑をよく食べた。さうして時々パイプで煙草を吸つて煙草を吸つてゐた。この人に私は蜜柑を二つ貰つたが、女が男の席の雜誌の上に、網のなかに一つ殘つた蜜柑をのせておいた。これが男卽ち私を苦しめた。私は靜岡のあたりでその殘つた蜜柑の始末に弱りだしたのである。然し、弱りだしても私は片方(かたはう)また、女卽ち女優さんが同樣に蜜柑一つに苦しんでゐる、その神經をも認めてゐた。蜜柑は取りのけて雜誌を持つて降りやうか、蜜柑を貰つてポケットにいれ、雜誌は小脇にしてホームへ降りるべきであらうか、それとも食べてしまはうか。私の考へ方は遲く、汽車は速いから、何時(いつ)か熱海も過ぎてしまつてゐて、食べるには頃を失つてゐた。そこでまた女優さんのはうを見ると、やはり東京驛が迫るにつれて、隨分人を苦しめた蜜柑に對する考へはさしつまつてきてゐる樣子であつた。すると、私の心は突然に急囘轉で、女と蜜柑の結果を興味あることにした。――然しである。私達の汽車が濱松町にさしかかると、女優さんはみがかれた形のよい指さきで蜜柑を雜誌の上からころがして、眞劍(しんけん)と笑ひ、安心をした惡戲ツ子のやうに笑ひをしてみせた。さうして笑ひながら挨拶をすますと、身を飜して扉(ドア)の向うの以前の箱のはうに姿を移してしまつた。
蜜柑の始末がついて晴々と愉快に私は家に歸れたのである。
「祇園さんのお祭りにはたんとごつそしてまつてまツせ。」
[やぶちゃん注:これは事実であろうが、明らかに、芥川龍之介の「蜜柑」の(リンク先は私の古い電子テクスト)、あまり面白くないインスパイアだ。ただ、この「元活動女優」……さても……誰なのか……強く――知りたい…………]
うちいまねてましとすか。廊下までどないして行(い)つたどつしやろ、あて、いつのまにどないして廊下まで行つたんやろ――
日ざかりの祇園の廓(くるわ)、廓のなかの茶屋、廊下廊下の部屋のどこかには仲居頭(なかゐがしら)もながながとして眠りをむさぼる。私は廣間に陣取つて舞妓はんを待つ、さうして寫す。それは去年のことであつた。
[やぶちゃん注:京都弁の台詞が出来損ないの夢幻能のそれのように――響く――それが――この〈出来損ない〉だが、いい部分だ…………]