小穴隆一「鯨のお詣り」(74)「一游亭雜記」(5)「初戀の味は年金」
初戀の味は年金
初戀の味については演説の必要もないであらう。
僕はここに、「初戀の味」といふことばを考へた、世にも幸福なその一人の人物を人々に紹介してみたいのである。
始めに、彼は地方の中學の漢文の教師であつた。と書かなければならない。およそそれに似合はしくもない漢文の教師が「カルピスの味は初戀の味」といふ言葉を得た。ともかくも彼はそこに初戀の味といふ言葉を考へ得たとみえる。先生が斷じた「初戀の味」といふ言葉をカルピス社が拾つた。會社は、初戀の味に關する東西古今の文獻、小説、戲曲などについて、改めて調査する事一年の長きに亙つたといふが、結論して現はれてきたものも、初戀の味といふものがやはりさう惡いものではない。唯(たゞ)、それにつきてゐたといふ。結果、會社がこれを廣告用の字句として採用することに一決して、羨むべし漢文の先生! 先生は先生が考へた「初戀の味」といふ言葉に對して、カルピス會社から光榮ある年金を獲得するに至つたのである。
自分がこの話を書く今日、時遲く、すでに肝心の漢文の先生は幸福にも地下に眠つてゐる。先生の年金も亦今日では先生の遺族扶助料に變じてゐるといふのである。(江川正之から聞いた話。)
[やぶちゃん注:ここに記されていることは事実で、「カルピス㈱」公式サイトの「創業者三島海雲」にも記されている。この考案者は三島の学生時代の後輩で、当時の中学校国漢教師であった驪城(こまき)卓爾である。それによれば、大正九(一九二〇)年、驪城が『甘くて酸っぱい「カルピス」は「初恋の味」だ。これで売り出しなさい』と提案したが、海雲は一度は『とんでもない』と断ったとあり、結局、それが採用されて最初に用いられたのは、大正一一(一九二二)年四月の新聞広告のキャッチ・フレーズとしてであったとあり、その画像も小さいながら、見ることが出来る(視認するに『カルピスの一杯に初戀の味がある』とある)。彼は少なくとも大阪府立今宮中学校に奉職していいた時期があり、こちらのページで驪城氏の顔写真も見ることが出来る。
「江川正之」出版者。純粋造本を志向した江川書房の創立者として知られる。]
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