小穴隆一「鯨のお詣り」(42)「河郎之舍」(5)「訪問錄」 / 「河郎之舍」~了
訪問錄
[やぶちゃん注:「二つの繪」の「訪問錄」の原型。こちらもこれで「河郎之舍」パートが終わっている。底本では句の前書等でポイントを落しているが無視した。]
私共の游心帖時代に全く大きな句點を打つてしまつたもの、それが訪問錄である。
二十五字詰めの原稿紙を綴ぢた物に半紙の表紙をつけて訪問錄と書き、それを順天堂の私の病室の枕もと置いのは碧童さんであるが、私はここにその訪問錄のなかの芥川さんの筆蹟を收錄してこの河郎之舍(かはらうのいへ)の終結としたい。
大正十一年十二月
十八日
一游亭足の指を切る
人も病み我(われ)も病む意(い)太(はなはだ)蕭條(せうでう)
初霜や藪に鄰(とな)れる住み心(ごゝろ)
冬霜や心して置け今日あした
[やぶちゃん注:最後の句は「二つの繪」では最後の句は「冬霜よ心して置け今日あした」となっている。そこからここの「や」は単純な判読の誤りと採る。この句は他に類型句がない特異点の句であるが、小穴隆一は「二つの繪」で改稿する際に実際の「訪問錄」を確認したと信じる。さればこそ「よ」と〈訂正〉したと考える。そもそもここは「や」では片足首を切断した病者への贈答句としては甚だ欠礼に過ぎるからである。]
二十五日
小穴隆一、遠藤淸兵衞、成瀨日吉(なるせひよし)の三氏に獻ず。
時(とき) 千九百二十二年耶蘇(やそ)降誕祭
處(ところ) 東京順天堂病院五十五室
[やぶちゃん注:以下のト書きは底本では全体が三字下げで、続く台詞の柱も底本では一字下げであるが(台詞が二行に亙る場合は行頭まで上っている)、ブラウザの不具合を考え、再現していない。最後の「(未完)」はポイント落ち。]
患者一人ベツドに寢てゐる。看護婦一人(ひとり)病室へ入(はい)り來り、患者の眠り居(ゐ)るを見、毛布などを直したる後(のち)、又室外へ去る。室内次第に暗くなる。
再び明るくなりしとき、病室の光景は變らざれど、室内の廣さは舊に倍し、且つ窓外は糸杉、ゴシツク風の寺などに雪のつもりし景色となり居(ゐ)る。此處にトランプのダイヤの王、女王(ぢよわう)、兵卒の三人、大いなる圓卓のまはりに坐り居(ゐ)る。圓卓の下(した)に犬一匹。
ダイヤの王 ハアトの王はまだお出(いで)にならないのか?
ダイヤの女王 さつき馬車の音が致しましたから、もう此處へいらつしやいませう。
ダイヤの兵卒 ちよいと見て參りませうか?
ダイヤの王 ああ、さうしてくれ。
ダイヤの兵卒去る。
ダイヤの女王 ハアトの王はわたしたちを計りごとにかけるのではございますまいか?
ダイヤの王 そんな事はない。
ダイヤの女王 それでも日頃かたき同志ではございませんか?
ダイヤの王 今夜皆イエス樣の御誕生を祝ひに集(あつま)るのだ。もし惡心(あくしん)などを抱く王があれば、その王はきつと罰せられるだらう。
ダイヤの兵卒歸つて來る。
ダイヤの兵卒 皆樣がいらつしやいました。ハアトの王樣も、スペイドの王樣も、クラブの王樣も、‥‥
ダイヤの王(立ち上りながら)さあ、どうかこちらへ。
ハアトの王、女王、兵卒、スペイドの王、女王、兵卒、クラブの王、女王、兵卒、等(ら)皆(みな)犬を一匹引きながら、續々病室へ入(はい)り來(きた)る。(未完)
あけくれもわかぬ窓べにみなわなす月を見るとふ隆一あはれ 龍之介
耶蘇降誕祭以後訪問錄には我鬼先生の筆(ふで)がないのである。
[やぶちゃん注:「ふたつの繪」版の私の注に記した通り、この一首は龍之介の作品ではなく龍之介弟子である渡辺庫輔の短歌である可能性が高い。]
十六日 十八日右足第四趾(し)切斷致すべく候ふ。二十九日足頸(あしくび)より切斷の宣告あり、既に右足の趾(ゆび)二つは切つて落せり、大正十二年一月四日足頸を落して、病み臥せばあけくれなくてをりをりに窓邊にいづる月は浮べり。その脱疽の苦しみから全く逃(のが)れ去ることも出來、私の病院生活はなほ續いたのではあつたが、最早訪問錄も不用になつてゐた。私はただ自由に步けなくなつただけで自由にしやべることはでき溝たのだ。十二年の夏は病院を出た身を鎌倉の平野屋に橫たへた。私はそこで芥川さんと同じ部屋に起居(ききよ)してゐた。私共の鄰には岡本一平さん夫婦とその子太郎君がゐた。一日(にち)、かの子さんは、何をあげてよいかわからないので東京驛でこれを買つて、きましたと言つて私に小さいゴム人形を一つ呉れた。芥川さんと私は震災五日前に平野屋を引上げてゐたが、岡本さん夫婦の部屋は眞先に潰れたと聞いて、私は自分が宿の部屋に殘してきたままのそのゴム人形が、潰されてピイと泣きはしなかつたか、それがかの子さんに聞えはしなかつたかなぞと思つた。後には每朝の新聞記事の三面に出てくる人の身の不幸な話に、ぽろぽろと淚を流してゐるやうに瘦せ細つた澄江堂といふ名より、私はあの平野屋で、あの平野屋の風呂番は、まだ足頸に繃帶をしたままでいる[やぶちゃん注:「いる」はママ。]私がいくら湯をうすめようとて怒(おこ)りはしなかつたが、一日(にち)、いつしよにはいつてゐた芥川さんに、芥川さんがうすめてゐると間違へて、窓のそとから怒鳴つた。その時、どうしたものか芥川さんは俺は風呂番にチツプをやらんぞと怒つた。芥川さんにしては珍しい怒りかたではあるが、私は弱つてしまつた澄江堂主(しゆ)より、ああした元氣のあつた紆我鬼先生のはうが好きなのである。
牛久沼河童の繪師の亡くなりて唯よのつねの沼となりにけり 小杉放庵

