芥川龍之介の幻の作品集「泥七寶」のラインナップを推理して見た――
小穴隆一の「鯨のお詣り」の「影照斷片」のここ を読むと、どうしても推理して見たくなるのである。この時点で芥川龍之介が平安朝物ばかりを集めた幻の作品集「泥七寶」に収録しようとした作品はなんだったのか?
この前の彼の作品集は第六作品集「春服」(大正一二(一九二三)年五月十八日春陽堂刊・収録作品十五篇)が、
「六の宮の姫君」・「トロッコ」・「おぎん」・「往生繪卷」・「お富の貞操」・「三つの寶」・「庭」・「神神の微笑」・「奇遇」・「藪の中」・「母」・「好色」・「報恩記」・「老いたる素戔嗚尊」・「わが散文詩」
で(下線やぶちゃん。これが純然たる王朝物四篇)、他に切支丹物三篇・古代物一篇・開化物一篇・中国物(「奇遇」。但し、現代物入子形式)・開化物一篇でこれら歴史小説が計十一篇、それに現代小説が三篇と童話一篇で、これまでの芥川龍之介の面目たる、歴史小説集の体裁を維持していると言える。
ところが、この、ぽしゃった「泥七寶」の直後に出た、第七作品集「黃雀風」(大正十三年七月新潮社刊・収録作品十六篇)では、
「一塊の土」・「おしの」・「金將軍」・「不思議な島」・「雛」・「文放古」・「糸女覺え書」・「子供の病氣」・「寒さ」・「あばばばば」・「魚河岸」・「或戀愛小説」・「少年」・「保吉の手帳から」・「お時儀」・「文章」
で、「おしの」「金將軍」「糸女覺え書」の三篇のみが歴史小説で、しかもこれは近世初期を舞台とするものであり、それ以外は現代小説で埋められ、芥川龍之介の創作志向表明の方向転換が明確に打ち出されていることが判る。
しかも前回の「春服」刊行以降、芥川龍之介は新たな本格物の王朝物を書いていないのである。
則ち、芥川龍之介がこの時期、平安朝物ばかりを集めた作品集「泥七寶」を刊行しようと思ったのは、そうした、文壇への進出と流行、そこで中心核としてきた或いはされてきたところの歴史小説に仮託した創作姿勢への、一つの訣別の記念としての標(しるべ)、墓標としての意味があったと私は考える。
では、そうした観点から、収録を予定していたものは何であったか?
これはそうした彼の歴史小説作家としての前半生へのオマージュである以上、先行する単行本所収との重複や未完成の除外(禁則)はまずは無視してよいであろう(それらも候補としてよいということ、である)。さらに作品集の標題を「泥七寶」と称した以上、芥川龍之介は自作遺愛のそれから「泥七宝」と呼ぶに相応しい独特の色に変じた七篇を選んだと考えて自然であると思う。実は芥川龍之介の平安時代を舞台とした本格的な王朝物は前期に集中し、しかも意想外にそう多くはない。
「羅生門」・「鼻」・「芋粥」・「道祖問答」・「運」・「偸盗」・「地獄變」・「邪宗門」・「龍」・「往生繪卷」・「好色」・「俊寛」・「藪の中」・「六の宮の姫君」
の十四篇が、幻の作品集「泥七寶」収録予定作品の候補の最大公約数と私は考えてよいように思う。
まず消去法で行こう。この内、まず「邪宗門」は確実に除外される。何故なら、この未完中断作品を芥川龍之介はわざわざ既に未完のまま単独一作で大正一一(一九二二)年阿一一月十三日に春陽堂から単行本化しているからである。
次に除外される可能性が高いのは「龍」であろう。芥川龍之介は「藝術その他」(大正八(一九一九)年十一月『新潮』)で、『樹の枝にゐる一匹の毛蟲は、氣溫、天候、鳥類等の敵の爲に、絶えず生命の危險に迫られてゐる。藝術家もその生命を保つて行く爲に、この毛蟲の通りの危險を凌がなければならぬ。就中恐る可きものは停滯だ。いや、藝術の境に停滯と云ふ事はない。進步しなければ必退步するのだ。藝術家が退步する時、常に一種の自動作用が始まる。と云ふ意味は、同じやうな作品ばかり書く事だ。自動作用が始まつたら、それは藝術家としての死に瀕したものと思はなければならぬ。僕自身「龍」を書いた時は、明にこの種の死に瀕してゐた』と世間に告白してしまっているからである(リンク先は私のテクスト)。これは龍之介のダンディズム、否、矜持からも絶対に入れられない(私は個人的には入れたいが)。
次に芥川龍之介が必ず選ぶであろうものを考える。
実際の公的処女作であり、第一作品集の標題ともした「羅生門」は絶対で、漱石絶賛の「鼻」も勿論、その漱石の激励に応えた「芋粥」(当時も今もやや失敗作とされることが多いが、瘧に彼に強い愛着があるはずである)も外せない。
未完と言えるピカレスク・ロマン「偸盗」も龍之介は愛したし(彼の手帳メモなどから明らかに続篇執筆の強い希望があったことが判る)及び、自他共に力作の自信作であった、自身に擬えられたような芸術至上主義者の破滅を描く「地獄變」も当然の如く選ぶと考えねばならぬ。
「藪の中」は私的な愛憎からも必ず入集したであろう。
ここまでで六篇。残り一篇をどうするか。
……「道祖問答」……「運」……「往生繪卷」……「好色」……「俊寛」……「六の宮の姫君」…………
私なら迷わずに「六の宮の姫君」(大正一一(一九二二)年八月『表現』)である。これはまさに王朝物の最後の作品であるが、長く評価の悪い一作であった。私はこの作品はまさに芥川龍之介の王朝物群の中で、〈滅びの美〉ならぬ〈滅びの生の実相〉を描いた鬼気迫るものとしてすこぶる偏愛する作品だからである。
以上、
私の幻の芥川龍之介の王朝物作品集「泥七寶」七篇(推定)のラインナップ――
「羅生門」
「鼻」
「芋粥」
「偸盗」
「地獄變」
「藪の中」
「六の宮の姫君」
である。これなら、絶対、私は買う。買いたいし、続けて読んでみたい。
どうぞ、皆さんもオリジナルな芥川龍之介作品集「泥七寶」を、これ、お考えあれかし――
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