小穴隆一「鯨のお詣り」(13) 「二つの繪」(2)「自殺の決意」
自殺の決意
[やぶちゃん注:前条で語られた一つ欠けた北斗七星の絵はここに掲げられている。単に組版の関係で前条に入れられなかっただけらしい。但し、底本のものは褪色激しく見るに堪えぬので、前に出した私の持つ別ソースの画像を再掲した。]
大正拾五年四月拾五日、日曜日
八日(か)は晴れ、九日強風、拾日が雨、拾壹日は暗かつた。
――さうして多數の人々が彼の棺の前で燒香をしてゐたその座こそ、力(ちから)も根(こん)も盡きはてた、と、さけんだ、芥川龍之介の坐つてゐた場所である。
「かういふことを言つていいものだらうか。」
「人にかういふことを言ふべきものではない。が、言つていいだらうか。」
かう切りだす前に、芥川は寢床の上に起きなほつてその細い腕を示し、かてて股間を抑へながら、脾肉(ひにく)をも見(しめ)した。
「これだから僕ももうながいことはないよ。」肉を摘(つま)むで、さう言つてゐた。彼は、だしぬけに立上つた。あああ、と僕は息を殺した。瞬間、茶間(ちやのま)にでる廊下の境目の唐紙(からかみ)を閉めて、一ト跨(また)ぎで振りかへりざまに彼は復(また)もとの座に坐つた。彼の端坐(たんざ)は座を去らせぬ彼の氣色(けしき)をそこに感じさせてしまつた。
「君に言つていいだらうか、」
「かういふことは友達にも言ふべきことではない、が、友達として君は聞いてくれるか。」
自分は默つてゐた。
「どんなこと?」
居合腰(ゐあひごし)に彼がきりこむだ言葉にしのぎもつかず自分は口を開いた。
「それならば僕は言ふが、君と僕とは今日(けふ)まで藝術の事の上では夫婦として暮してきた。(ここに澤山の彼の言葉を省く。さうしてここを、僕は十九の時に自分の體(からだ)では二十五までしか生きないと思つた。だから、それまでに人間のすることはあらゆることを爲盡(しつく)してしまひ度(た)いと思つて急いだ。)――といふ彼の言葉で埋(う)めておく、しかし澄江堂を名乘つてからの僕は、それこそ立派な澄江堂先生ぢや、――僕はかうやつて、ここにねてゐても絶えず夏目先生の額(がく)に叱られてゐるやうな氣がする。‥‥」
無氣味な目で彼の背(うしろ)を彼はさした。
自分はそこの鴨居に依然たる、風月相知(ふうげつあひしる) 漱石 の書を見た。彼は、事露顯(ことあらは)はれて後、事を決するよりも、未然に自決してしまひたい、といふ考へであつた。本(もと)をS女史との唯一度、それも七年前の情事に歸して。――
――彼が話してゐる間(あひだ)自分は妙な氣がしてゐた。といふのは、數日前、六日に、僕ら二人の席に彼女を見てゐたからである。六日であることは錯覺とは思へない。その夜(よ)、彼女は自笑軒(じせうけん)の歸りであると陳べて、妹を連れてゐた。自分よりも後に來て、先に歸つて行つた。自笑軒の茶室の間取りを語り、普請をする彼女自身の茶室を、圖面に依つて、彼にみ説明してゐた。殆ど、それだけの事で歸つて行つた。(書き足すならば、彼女はその場の僕に茶掛(ちやか)けを畫(か)いてくれと言つてゐた。彼女が歸つて行つた後で、君、賴むから畫いてやつてくれるな。と彼が言つてゐた。)
後い、彼女を語る場合には僕らは河童又は河童の代名詞を使用した。○○○子(S女史)それは昔、彼が彼女に一座の人々を紹介し僕をも紹介してゐたときに、順々にお時儀(じぎ)をしてゐながらに何故か「わたし小穴さんには態(わざ)とお時儀をしないの。」と、人に聞えぬ程の小聲をもつて、笑ひをみせながら僕の顏を顧りみてゐた婦人である。大正十二年以前のことであつて、自分が「こいつ、なにかあるな。」と考へてゐた女性であつた。
[やぶちゃん注:「二つの繪」の「自殺の決意」の原型。後半部に大きな追加が加えられている。リンク先の諸注を参照されたい(向後、この注記は略す)。
「脾肉」腿(もも)の肉。
「それならば僕は言ふが、君と僕とは今日(けふ)まで藝術の事の上では夫婦として暮してきた。(ここに澤山の彼の言葉を省く。さうしてここを、僕は十九の時に自分の體(からだ)では二十五までしか生きないと思つた。だから、それまでに人間のすることはあらゆることを爲盡(しつく)してしまひ度(た)いと思つて急いだ。――といふ彼の言葉で埋(う)めておく、)しかし澄江堂を名乘つてからの僕は、それこそ立派な澄江堂先生ぢや、――僕はかうやつて、ここにねてゐても絶えず夏目先生の額(がく)に叱られてゐるやうな氣がする。‥‥」この台詞の中の丸括弧挿入の小穴隆一の言葉、
(ここに澤山の彼の言葉を省く。さうしてここを、僕は十九の時に自分の體(からだ)では二十五までしか生きないと思つた。だから、それまでに人間のすることはあらゆることを爲盡(しつく)してしまひ度(た)いと思つて急いだ。――といふ彼の言葉で埋(う)めておく、)
は、実は底本では、
(ここに澤山の彼の言葉を省く。さうしてここを、僕は十九の時に自分の體(からだ)では二十五までしか生きないと思つた。だから、それまでに人間のすることはあらゆることを爲盡(しつく)してしまひ度(た)いと思つて急いだ。)――といふ彼の言葉で埋(う)めておく、しかし澄江堂を名乘つてからの僕は、[やぶちゃん注:以下略。]
となっている。これでは読んでいて躓いてしまう。丸括弧閉じる位置の誤りと断じて特異的に訂した。
「S女史」「○○○子」秀しげ子。
「七年前の情事」大正一五(一九二六)年四月十五日のロケーションから七年前は大正八年。事実、芥川龍之介と秀しげ子が不倫関係に陥ったのは同年九月十五日に推定比定されている。]
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