小穴隆一「鯨のお詣り」(53)「影照斷片」(11)
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本を裝幀してゐるが如くに、墓をも積むと言ふのである。但し、棹(さを)の無い石塔を彼は空想してゐた。彼の註文どほりにゆけば、上野公園などに見るロハ臺(だい)の如き物の小なる物が出來(しゆつらい)する。それがよろしい。誰れにでも腰掛けられるものであつて欲しいと答へてゐた彼であるが。
墓を彼のために考案するに當つて、臺石を平素彼が敷いてゐた二枚の座蒲團(ざぶとん)の寸法に倣(なら)つて定め、全體の型は推(お)していつた。卷紙に圖を畫(か)いて殘した、彼自身家族に示すところの如きものとは、赴(おもむき)を異(こと)にしたかと思ふ。自分が常常(つねづね)彼の墓に御無沙汰してゐるのは、憖(なま)じひに、彼の註文を受けて、墓石(ぼせき)の文字まで、自分の惡筆を刻ませてしまつてゐるからである。
[やぶちゃん注:「出來(しゆつらい)」のルビはママ。
「ロハ臺」「只(ただ)」を分解してカタカナに変え、座るにタダであることから、公園などに設けたベンチの謂い。]
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