小穴隆一「鯨のお詣り」(31) 「二つの繪」(20)「女 X Y Z」
女 X Y Z
[やぶちゃん注:以下は「二つの繪」の「女人たち」の原型。]
「晩飯を食ひにゆかうや、」
買う誘う彼に從つて、自殺の丁度、一ケ月前に、自分には始めての家(いへ)である淺草のその待合まちあひ)に行つた。
[やぶちゃん注:「二つの繪」版ではこれを昭和二(一九二七)六月二十五日とクレジットしており、現行の年譜では、その小穴隆一の記載に従ってそこに記されてある(因みに、同日は土曜日)。]
食事の時間だけ僕らはその待合にゐたのであるが、(酒も呑まずに、ただ近所から取寄せて貰つただけのもので晩飯にしてゐた。)女將(おかみ)及び藝妓(げいしや)なる者を、彼によつて自分は紹介されたのである。
(半町(はんちやう)ほども歸りを一緒にした芥川は藝妓(げいしや)はお座敷着(ぎ)でもなかつたと思ふが。)
[やぶちゃん注:「半町」約五十四メートル半。]
「あの爪を君は見たか?」
顧りみてさう言ふ彼を、二人となるや自分は見た。
爪色?(磨きのかかつた冷たい黑色(こくしよく)の魅力。)
この反問に點頭(てんとう)した彼は、タクシを拾う間(ま)に、Kが母娘二代の藝者であること、それにしたがふ氣質、皮膚の色なぞについて述べ、Kなぞは江戸の名殘りを
傳へた最も藝妓(げいしや)らしい藝妓なのだと話を結んでゐた。
[やぶちゃん注:「K」芸妓小かめ(小龜)。「二つの繪」では伏字が復元されて「小かめ」の源氏名で出ている。芥川龍之介の可愛がった馴染みで、まさにこの時は最後の別れを告げに行ったのであるとされる。]
三宅やす子、九條武子と芥川との關係は?
――この兩名と如何(どう)彼があつたかといふ問ひに接しては、逆に聞きたい位(くれゐ)如何(どう)なのかを自分は知らない。
芥川は精力絶倫であつたといふことではないか?
嚴しいこの質問は、さういふ時代の彼とは未(いま)だ知合(しりあひ)でもなく、また友達でもなかつた、と斷わる。少くとも自分の「二つの繪」のなかに於ける彼は、事實に於いて去勢されたるも同然の人間として動いてゐるのである。
藝者Kを見せた以前、ホテル事件の後幾何(いくばく)の日(ひ)も經過してゐないうちに、一日(にち)少し步かうと夕方の下宿から自分が彼を誘つた。
[やぶちゃん注:「ホテル事件」先の帝国ホテルでの平松麻素子との心中未遂の一件。現在、この心中未遂は昭和二(一九二七)年四月七日木曜日に比定されている。]
「もうこれで自分の知つてゐる女の、一ととほりは君にも紹介してしまつたし、もう言つておくこともないし、すると‥‥」
下宿の外に出てからかう言出した彼の心は、何氣(なにげ)なしのやうに、各自一つの性格を持つた人々であるが、比較的周圍の近くからの女、例へばK夫人、S夫人、S子、Kのおかみさんといつたやうに、彼のいふ賢い女の名を數へた。――手のつけられない病人、彼の腦神經は棕梠(しゆろ)の葉つぱの裂けたやうなものだ。丁度支那旅行中上海(シヤンハイ)に於いて風で入院してゐた時に、「おつかさん、」と譫言(うはごと)に言つて看護婦に笑はれたといふ話を當嵌(あては)めてもよろしいが、彼は女の中にある母性、又は彼のいふ、姉さん女房、をそれらの女性のなかに考へてゐたのではなからうか。
[やぶちゃん注:「K夫人」後の単行本「二つの繪」での伏字解除から、片山廣子と判る(以下、同じ)。当時は未亡人である。
「S夫人」ささき・ふさ、即ち、佐佐木茂索の妻である佐佐木房子。
「S子」小林勢以子(せいこ)。谷崎潤一郎の先妻千代夫人の妹。女優。
「Kのおかみさん」鎌倉の料亭「小町園」の女将野々口豊(とよ)。配偶者がいるが、彼女とは間違いなく関係があったと推定され、彼女には芥川龍之介は心中を懇請した可能性も深く疑われている。]
(この章をここまで書いて自分の古い原稿用紙の數葉を自分で發見した。以下○をつて示す文字は、自分にのみなまなましく覺えるものであらうか?)
○ 谷崎はもう駑馬(どば)だ。佐藤はあれはまた過渡期の人間だ。われわれ過渡期に育つた人間はもう駄目だよ。あゝ! 君、天下に恐るべきは志賀直哉ただ一人だ。俺は今まで誰も怖れなかつた。然し、志賀直哉に對しては苦しかつた。僕の全部の作品をあげても志賀直哉のどれにも敵(かな)はない。が君、僕の「蜃氣樓」あれだけは、君どうにかなつてゐるだらう?――才能と勉強だけでやつてきた人間は、志賀直哉のあの天衣無縫の藝術に息がきれる。
○ ――僕はあなたの言葉を疑ひません。しかし、おそらくはあなたよりもききに僕の友達が貰つてゐたのではありません? 僕の友達、男性。昨年の十月に鵠沼で、越人が何日(いつ)貰つてゐたかは僕にも風に舞ひたるすげ笠(がさ)‥‥。
[やぶちゃん注:「越人」片山廣子。但し、私は今回、単行本「二つの繪」を電子化注し、更に、かく「鯨のお詣り」を電子化しているこの最中に於いても、小穴隆一が、或いは「越人」という芥川龍之介の秘かな片山廣子の呼称を、平松麻素子と思い違えていた可能性、混同していた疑いを、どうも払拭出来ないでいることを言い添えておきたい(次の「○」条の半可通な記載などを読むと、その不審がいやさかに高まるのである)。]
○ 廣場の前に、また 風に舞ひたるすげ笠(がさ)の詩には、彼自身さへもが二重寫しとなつてゐる。
――二人の女人(によにん)の貌(かたち)が重つてくるのは、僕にとつてといふことをやめて言へば、一の女人にもう一人の女人、片付けて言つてしまへば、われわれは一人のどこからどこまでにたんのうしつくせぬその軌道ではないか。
○ 「君、金澤人(かなざはじん)は、よつぽど氣をつけたまへ、氣をつけないといけない。おそろしいよ、全くおそろしいよ。」
[やぶちゃん注:何故、金沢人なのかは不明。金沢出身の室生犀星のこととも思われないし、芥川龍之介の特に関係の深かった女性の中に、金沢生まれの者はいないように思われる。]
「君も四十二の時を氣をつけたまへ、あぶないよ。おれのいふことがいまわかるか? 四十二を越せば君は天明を全(まつた)うするよ。あゝ、おそろしい! おれはどうせもうゐないからいゝや。」(彼の言葉から)
[やぶちゃん注:「四十二」は所謂、厄年の大厄ではある。芥川龍之介がこうしたことを信じて恐怖していた事実は面白い。しかもその「おれはどうせもうゐないからいゝや」が正鵠を射ていることが、これまた、何とも言えぬではないか。]
(自分はこれらの古い自分のメモに、生きてゐることには疲れきつた彼を、まのあたりに復(ま)たみるのだ。)
――彼は彼のいふその賢い婦人達の名を數へあげた。――事は明らかにM以外また他の婦人に縋らうとする気持ちを傳へる。さうしてその彼の頭のなかには依然として、K夫人を第一に置いてゐるとみえた。K夫人、又は他の婦人いづれにもせよ、ホテルの繰返しをされるやうでは彼のめにも、自分自身にも、たらん事である。
[やぶちゃん注:「M」平松麻素子。
「K夫人」くどいが、片山廣子。ここで小穴隆一が芥川龍之介(晩年の)が「K夫人を第一に置いてゐるとみえた」と言っている観察はすこぶる正しい。]
「相談するならKのおかみさんがいゝ。Kのおかみさんなら、大丈夫後日の間違ひもないし、ことによるとあの人ならいゝ智恵があるかも知れない。」
[やぶちゃん注:「Kのおかみさん」これもくどいが、鎌倉「小町園」の女将野々口豊。大正元(一九二六)年十二月三十一日から家人に告げることなく、鵠沼から鎌倉「小町園」に行き、田端からの帰宅要請にも拘わらず、翌年一月二日の夜まで帰らなかったプチ家出はつとに知られる事実である。]
「ほんとに君もさう思ふかね。」
「ほんたうだよ。ほかの人では駄目だよ。」
ほかの女に話したら、芥川龍之介といふ者は、もう全く糞味噌だと考へた自分は、一かばちか、何年にも會つた事のないKのおかみさんの人物を想起して、「あの人に會つてみたら。」と彼に勸めた。
「ほんとに君もさう思ふのかえ。」と急ににこにこして彼は自分の顏を見た。
――當時の自分にもう少しの勇氣があつたならば、さういつて念をおす彼に、「K夫人は成程聰明なる女性ではあらう。然し、彼女を尊敬する男子達の頭のなかから文學的な氣持ち、加ふるに彼女ならび彼等の文學的背景を剝取ればどれだけの存在價値があるか。」とたづねたところだ。――
[やぶちゃん注:「K夫人は成程聰明なる女性」これで百%確実に片山廣子であることが判る。]
上着も着てゐない格好の自分であつたし、羽織も着(き)ずに草履(ざうり)をつつかけたうな姿の彼であつたし、(斯樣な姿の彼は鵠沼の暮し以後のものであらう。)話しのまま彼の家(いへ)の門を潜(くゞ)ることに自分は思つてゐた。が、彼は自身の家の垣根沿つて素通りしてしまつた。
――中略
今度こそはほんとに靑酸加里(せいさんかり)を手に入れたよ。一寸、君、と言つて藥屋に這入(はい)つて行つた彼を神明町(しんめいちやう)の入口の角で其日見た。目藥の罎(びん)よりも小さい空壜(あきびん)を買つて、透(すか)してみながら、やつとこれで入物(いれもの)ができたよと嬉れしさうにみえてゐた。
後日、汽車に乘つてKのおかみさんに會ひに彼は行つた。突然で驚いたのも事實であらうが、困つた彼の訴へ事(ごと)を彼女は笑ひもしなかつたやうだ。落込(おちこ)まずして落着いた注意を彼の身の上に配つた事も疑へない。然し、一月(つき)、二月(つき)の間(あひだ)に、既に死體となつてしまつた彼である。‥‥
[やぶちゃん注:自死の凡そ二ヶ月前から自死前から一ヶ月前の期間内で芥川龍之介が鎌倉に行った可能性は、現行の年譜では自死の約一ヶ月前の六月十五日に佐佐木茂索を鎌倉に訪ねた折りしかない(この日は鵠沼に一泊したと年譜にはある)。そもそも二ヶ月前の五月は十三日に改造社円本全集の講演旅行に出発、東北・北海道を回って月末に帰還しており、そのようなゆとりはなかったと私は考える。]
昔、この本が古本屋にあつたら是非買つておいておくれ、ジユオルジユ・リヰヱールのルノワール・ヱ・セザミーの中の SUR LA TERRASSE の繪を見る時、
「僕はかういふ顏の婦人が好きなのだ。」さう本氣の顏色(かほいろ)でゐた彼の目を浮かべながら、「どうもさうらしい。」と自分も思ふ。
[やぶちゃん注:「二つの繪」の「女人たち」の私の注で掲げた、ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir 一八四一年~一九一九年)の一八八一年の作“Sur La Terrasse”(「テラスにて」)をリンクさせておく。因みに私は、このルノワールの絵の女性は誰より、文夫人に似ている、と思うのである。]
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