小穴隆一「鯨のお詣り」(18) 「二つの繪」(7)「一人の文學少女」
一人の文學少女
鵠沼の暮しがあと一ト月で始まらうとする前のことであるが、胸がふさぐ彼の身の上、我が身の上を、熱苦(あつくる)しいアツパルトウマンのなかに過ごしゐて、如何に打開したものかと、自分は、途方を失つて、ただ考へあぐむばかりゐた。
[やぶちゃん注:「胸がふさぐ彼の身の上、我が身の上」前者は彼に自死を告白した芥川龍之介のそれ、後者は小穴隆一が、ある女性関係の問題で、ある決断(本章の最後の方にそれらしい匂わせが出るが、その具体的な全体像は現在も不詳である)を迫られていたことを指すものである。]
――その當時に、自分は一人の女性の訪問を受けた事がある。
最初はこの婦人が夕暮、僕の留守に來て暗い玄關先で宿(やど)の娘を捉(とら)へて、一人で早口にしやべつてゐたといふのであるが、娘には何かただ是非僕に會はなければならない風であつたとしか、解らない人であつて、風采で聞けば、(これはを自分の事で來た女ではない。)とだけは自分には解つた人であつた。
その婦人が再度二三日の後(のち)に自分を訪ねて來た時も亦留守にしてはゐたが、さうして二度目には婦人のAなることは判然としてきたが、Aとは言葉をまじへた記憶を持たなかつた自分は、Aをなにか芥川龍之介のことで、(當時既に、彼の神經衰弱に關しては若干のゴシツプが飛んでゐた。)來たと察し興味と不安を持(ぢ)して彼女を待つことにした。
――Aは三度目の来訪であつた。僕は會つた。
「世間では、芥川さんが支那梅毒でああいふ風になつたのだと言つてゐるのですが、それは本當のことですか。」
「はつきり教へて下さい。」
彼女は、彼女は實にいきなり自分に突然意外の質問を發してきた。
「をかしい。それは。」
彼の話。「支那へ行く前に星製藥に行つて、××××××をくれと言つたら、店の者は、隨分御(ご)さかんですなあ。といつて出してくれたよ。けれども、僕は支那に行つたら實際に使はずに、あつちこつち步いて、みんな人に配つてしまつたが、まるで星の廣告をして步(あ)るいたやうなのだよ。」等々。
[やぶちゃん注:「二つの繪」の「一人の文學少女」の原型。
「××××××」「ルーデサック」。オランダ語(roedezak)は「コンドーム」のこと。「二つの繪」版「一人の文學少女」で復元されてある。]
彼の土産話を聞いてゐる者には實にをかしいが、僕の一笑を亜kの序は叱つた。さうして、「□□の杉田直樹にもその病氣について相談はしてみたが、わたしが自身に直接支那へどうしても行つて、さうして、芥川さんの步いた跡をどこまでも訪ね廻つて、病氣のもとをはつきりさせた。旅費の點は、實業之日本社(じつげふのにつぽんしや)の社長から出して貰へることに話ができてゐる。」等々の、
奇々怪々なる言葉を以つて、(彼女に同意さへすればすぐにでも支那へひつぱられると思言つた。自分は、)――、歎願の色さへ示してその病氣のまことの話をせがんだ。
[やぶちゃん注:「等々の、」の後の改行新段落化はママである。
「□□」「二つの繪」版「一人の文學少女」では「をぢ」と復元されてある。彼女を特定出来ないので(この後の女性のその後の病態記載から特定を憚られる)、「伯父」か「叔父」かは不明。]
澄江堂でみてゐた時とは、これまた別個のAの顏に、
「あなたは芥川龍之介にどうかされたとでもいふのか。」
むしろ、狂女(きちがひ)! と怒鳴りたかつた自分は大聲でさう言ひきつた。さうして、
「一體そんな支那梅毒でまごまごしてゐるやうな芥川龍之介とでも思つてゐるのか。あの男がそんな馬鹿か如何(どう)かは考へてもわかることではないのか。」
「支那旅行後も、ああやつて子供も生れ、その子供に梅毒の症狀もみられないではないか、」と言ひ加へた。
僕が怒鳴つたが故にA女は得心がいつたらしかつた。が彼女は皮肉にも僕を、(齊(ひと)しくお同じ思ひに生きる。)と解したらしい。引續いて何か、不吉を豫期せしめずにはおかぬその姿を現はした。(A四度目の来である。)
取止めのないことばかり一人でしやべるA女を、その日も部屋の障子を開(あ)け、入口の部屋の障子さへ開けて、廊下から見える位置に置いた椅子に腰掛けさした。
――彼女は立上つて部屋の物をみまはし、朗讀でもしてゐるかのやうに胸を張つてしやべりだした。貧しいが新調の着物を着て來て舞ひでも舞ひさうな模樣である。
[やぶちゃん注:後の単行本「二つの繪」版では書き直されているものの、「立上つて」が「立止つて」となっている。これは前の部分の描写から見ても、本書の「立上つて」でないとおかしく、単行本「二つの繪」のそれは誤植の可能性が極めて高いもののように感じられる。]
――後略――
「スパイ! 狂人(きちがひ)のスパイ!」
疲れきつてゐた腦裡(なうり)にはさうとしか映らなかつたAの來訪を、甚だ迷惑する、と自分は堅く斷つた。
……
顏に袂をあてて僕の室(へや)を飛出して行つたきりの女は、一年の後(のち)、芥川龍之介が自殺をした直後に國民新聞社にタクシを乘りつけて、わたしが芥川龍之介の妻である。わたしは彼の死の本當の理由を知つてゐる、といふ言葉を述べたててゐたAその女(ひと)である。國民新聞は當時Aを一頁(ページ)にわたつて種(たね)としたが記事の末尾に、瘋癲(ふうてん)病院に送られた消息を載せてあつた。それを考へると、彼女を常人として扱つてはゐなかつたやうである。
自分はそれ以後のAの消息は全くもつて知らない。
また、世の誰が、彼と結んでは考えられもしない一婦人の消息を云々しよう。
――自分は不快なる記憶のなかに彼女を弔ふ。――文學少女の一つのサンプルでしかない貧しい不幸な暮しのなかにゐたAは、彼女が芥川龍之介を思慕するに於いて、何か女らしい若(も)しくは女であるとの感情がこじれて、僕にはうまく説明は出来ぬ。もやもやとさいたものを何か自分ででつち上げてゐたのであると信ずる。(自分は婦人のかかる現象について婦人科醫に説明を求めた。然し職を大事とする醫師は診察の結果に待つことを欲してゐる。或は心理學の畑(はたけ)のものなのであらう。)
アツパルトウマンに於ける一夜(や)、既に、鵠沼へ移つてゐた芥川龍之介から暗號樣(あんがうやう)の電報を(電報の説明後述)僕は受取つた。これによつて彼に會つた其時にAの話ついても自分で觸れた。僕らは庭にならんで立話(たちばなし)をしてゐたのであつたが、泣きだしさうな悲しい目を緣側にゐる夫人に向けて彼は、「Aまでそんなことを言つてゐるさうだ。」と言つた。訴へてゐたと言ふのが適當の彼の態度であつた。をかしい位(くらゐ)我(われ)われに大事にしてゐた「河童」の書きかけの原稿を、田端から持つて行つて書きつづけてゐたのではあつたが、(雌河童は世の中にいつぱいに生きてゐる。)さういふ彼自身の實感は當時にあつての僕をしてさへ、むしろ彼を悲哀なる者に見せてはゐた。ときよとしてゐたときだ。
[やぶちゃん注:「二つの繪」版「一人の文學少女」で注してあるが、この「河童」の原稿云々は事実とは齟齬し、小穴隆一の勘違いと私は踏んでいる。]
電報の説明‥‥日附印、15・7・12(大正)
スクキテクレ アクタカワ
飜譯すれば「スパアニツシユ・フライを持つて直(すぐ)に來て來(く)れ。芥川」である。
[やぶちゃん注:「來(く)れ」の本文及びルビはママである。]
スパアニツシユ・フライの名は「自殺の決意」の章によつても既に讀者が承知と思ふ。が、彼芥川は? 未だその話の時にはフライと云ふからは蠅(はへ)であらうといふ以外絶対對に、何等(なんら)そのスパアニツシユ・フライその物を知らず、スパまた醫學的に言つてカンタリスが、如何に危險を含む滑稽作用をきたす物か、それさへも勿論承知してはゐなかつたのである。(僕は祕露(ペルー)から歸朝早々の蒔清(まきせい)についてその物の質(しつ)を委細に知つてしまつてゐた。)――一夕(せき)急にアツパルトウマンに僕を訪づれた彼が、「君は詩にもつくつてゐる位(くらゐ)だから、そのスパアニツシユ・フライを持つてゐるのだらう。呉れ給へ。」と要求した。この事實によつても人は僕と共に今日(けふ)、谷崎の殺人小説よりは芥川その者が彼自身自殺小説を計畫してゐたと言へるであらう。
――後日。フライの實物を見てはゐなかつた自分は、よこはま、神戸の港を頭に浮かべて辛(からう)じて僅かに一匹の小さな世にも綺麗であるところのスパアニツシユ・フライを手に入れてゐたのである。――
[やぶちゃん注:「よこはま」平仮名はママ。]
僕の「彼女」は母を捨てて上京する。さうして自分の待つてゐた日はいよいよに迫つた。彼女を途中に待つには一つきりの義足を修繕に出してしまつてゐた不幸な自分の場合に、彼は暗號電報をよこした。狼狽はしたが步くのは恐れつつ、松葉杖をとりだして直(すぐ)に車で田端の彼の家に駈付けた自分は、葛卷義敏(彼の姉の子)をたづねて、明朝僕に附添つて鵠沼に同行してくれと賴み、併せて彼の決意が冗談にもあらざる旨を老人達に覺られぬやう戸外(そと)に於いて話をした。十三日朝、卽ち電報の翌日自分は鵠沼に於ける彼に、鵠沼で會つたのだ。
[やぶちゃん注:「戸外(そと)」は二字へのルビ。]
なほ、Aと前後して一度、彼の從弟にあたると聞いてゐた人の訪問を受けたことが、小石川のアツパルトウマンに關聯して記憶される。といふのは、芥川龍之介がこの人と同行してブラジルに移住しようかとも考へてゐたからである。尤も、或時はフランス、或時は支那、彼の考へるその何(いづ)れの國へも一人で行く氣力は最早瘦せららぼへた彼の持つところのものではなかつたが。――
とるにもたらぬ僕に、「何くれの事は賴む。」と言つてくれた唯一度會つたきりの彼の從弟(今日(こんにち)でもブラジルに居るのであらうか?)その人を思ふ時に、不覺にも即自分はまた今日(けふ)の淚にむせぶ。身を投げだして人に恥ぢると同時に、僕如き者をさへ友として考へねばゐられなかつた芥川龍之介をただ憐れめ。斯く人に言ひかけたいものが自分にある。
[やぶちゃん注:「彼の從弟にあたると聞いてゐた人」これは芥川龍之介と同い年で東京府立第三中学校時代の親友であった、芥川龍之介の妻文の母方の叔父に当たる山本喜誉司の誤認である。]
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