小穴隆一「鯨のお詣り」(35) 「二つの繪」(24)「最後の會話」
最後の會話
[やぶちゃん注:「二つの繪」の「最後の會話」の原型。]
「君、金はいらないかねえ。」
ぶらつと僕の室(へや)に顏を出した彼は、さう言つてにやにやしながら突立(つゝた)つてゐた。
「口止料(くちどめれう)みたいな金は俺はいらないや。」
「死ぬんなら死ぬで俺はいいよ。」
やるな(自殺を、)ときた自分の感じは聲(こゑ)を吐出(はきだ)してゐた。
「まあいいや。」
顏を顰(しか)めて悲しい笑顏になつた彼は、さう言つて自分の前に坐つた。てれてにやにやした彼がそこにあつた。
「僕は、――君は僕の母の生まれかはりではないかと思ふよ。」
何秒かの自分の沈默を見て、かういつて、義足をはづして坐つてゐた自分の膝(ひざ)に彼は手をかけた。彼が女であるのならば、かう言つて彼女は縋(すが)りついた、と、ここに自分は書くであらう。――自分は十一月二十八日生れである。而してこの日は偶然にも、彼の死んだ實母の命日(めいにち)に當る。(彼の言葉に相違なければ、)「君は母の生まれかはりではないかと思ふよ。」自分が挨拶に窮するその言葉を、僕ら鵠沼、田端、の生活で何度も彼は繰返してゐた。――
[やぶちゃん注:芥川龍之介の実母フクは事実、明治三五(一九〇二)年十一月二十八日に衰弱のために新原家で亡くなっている。]
「ここにかうやつてゐると氣が鎭まるよ。」
さう言つて汚ない疊の上に仰(あふ)のけに彼は轉(ころ)げてゐた。
「一寸(ちよつと)でいいから觸らせておくれよ。」
「たのむから僕にその足を撫でさせておくれよ。」
體(からだ)をのばして彼は、切斷されたはうの自分の足に手をかけた。
[やぶちゃん注:小穴隆一は脱疽により右足首から先を切断している。]
「君の暮しは羨ましいなあ。」
彼の嗟嘆(さたん)、――自分にとつては、常に何よりもひびいいてゐたこの彼の嘆きを、また聞きながら、死なうとする人の身の上を自分は考へてゐた。
(二十四日の朝に、彼は冷たくなつてしまつた。その日を七月二十一日と思ふ。十八日にも來て、五十圓の金を座布團の下に入れて歸つて行つた。金の事では決して人に頭をさげるな、と、言つて常に自分の窮乏を補つてゐた彼である故に、この行爲、この程度の金額は自分にとつて異(い)とするにはたらぬ。變、と感じたのは、二三日前に呉れておいた更にまた金を呉れやとする事であつた。瞬間に現行のことを考へ、――「帝國ホテル1」の章參照。――ホテルで、ここに貮百圓ばかり持つてゐる。この金のなかの半分を封筒に入れて、それと、なほ手紙を書いて君に言渡(いひわた)しておかうと思つて、丁度それを書きかけてゐたところだつた。Mが來なければ來ないでいい、一人で死なうと思つてゐたよ。と言つてゐたことと合(あは)せて、いつもよりは纏まつた金を持つてきたと感じた彼を、死ぬ人として自分は觀た。――その金? の行方(ゆくへ)は「雜」の章に説明。)
[やぶちゃん注:「帝國ホテル1」先行するこちら。
「雜」不詳。この後に「雜」といふ章は存在しない。但し、後の「影照斷片」と題する短章構成のパートの中でこの自死寸前の金の話が出るから、当初、小穴隆一はこの「影照斷片」を「雜」という章題にするつもりであったものとは推定し得る。]
「僕はほんとに君が羨ましいよ。」
また仰(あふ)のけになつてしまつた彼は獨言(ひとりごと)のやうにこぼしてゐた。
「死ぬといふことに君は如何(どう)思つてゐるのかねえ。」
「腹の中の本當のことを言つてくれないか。」
「生きてゐて樂しい事もなからうし、一緒に死んでしまつたらどうかえ。」
再び起きなほつて、正面切つて彼は坐直(すわりなほ)してきた。
「俺は死ぬのはいやだよ。生きてゐることが、死ぬことよりも、恥辱の場合であれば死ぬさ。僕の場合では、死ぬはうが生きてゐることよりはまだ恥だ。俺はまだこのままで死ぬのはいやだよ。」
勃然(ぼつぜん)と答へてしまつた自分を自分は見た。
[やぶちゃん注:「勃然」フラットに「突然に起こり立つさま」の意が元だが、ここは「顔色を変えて怒るさま・むっとする様子」の意である。]
「ああ! それは本當の事だ、生きてゐることが、死ぬことよりも恥である場合は――本當だ。」
「ほんたうだ。ほんたうだ。確かに君の言ふそれはほんたうだよ。」
頭を抱へて轉(ころ)ぶ目の前の彼を、悲しく、冷やかに、自分ながめてゐた。
(自分は、彼に對する自分の非人情なるその答へを、彼にすまないことを言つたと思つてゐる。
七月二十二日、金曜日である。
不幸があつて大阪から上京してゐた水上(みづかみ)の兄の訪問を、この日の晝に受けた。(弟が世話になつた禮を芥川によろしく言つて呉れと言つてゐた。)僕は田端驛の崖上(がけうへ)にあつた藪(やぶ)で蕎麥を喰つて水上の兄と別れて、夕日があたつた彼の家に廻つた。座に下島勳(いさを)がゐた。(昭和二年、文藝春秋九月號、芥川龍之介氏終焉の前後 下島勳を讀まれたい。)空谷(くうこく)の記事に從へば、その日の氣温は華氏の九十五度といふ。下島空谷が去つた後(のち)の彼は、「また死ぬ話をしようや。」のひそひそ話(ばなし)の彼であつた。――、話が途絶えた時に、冷たい部屋をしみじみと自分は見廻した。華氏九十五度といふ日の夜と、如何(どう)思澄(おもひすま)してみても、さぶさぶとしたぞつとした彼の書齋であつた。――あれをこそまこと殺氣といふべきか、からぢゆうがぞつとして、四五尺離れて坐直(すわりなほ)した彼の顏をそつとしか自分は窺へなかつた。
――口をもごもごと動かして彼が自分に笑ひかけた時に、わつ! と言つて自分は立上(たちあが)つたのかも知れぬ。「俺はもう駄目だ。」と叫んでゐたのかも知れぬ。手を振拂(ふりはら)つて自分の足が階段にかかつたとき、自分を引戾(ひきもど)さうとする無言の彼の手を肩に感じた。摩脱(すりぬ)けて階段の踏板(ふみいた)を摑(つか)んだときに、「子供を賴むよ。」と輕く自分の肩を抑へておいて、部屋に身を飜(ひるがへ)して戾つてしまつた彼である。
――同時にパチンと電燈を消してしまつた音を聞いた。暗いなかで彼は泣いてしまつたのかも知れぬ。
――階段をいつきに自分は飛びおりた。(自分の義足にあせつてゐた。)出合頭(であひがしら)に唐紙(からかみ)が開(あ)いて、彼の家族達の顏を見た。「もう駄目です。」「僕はもう駄目です。」顏で二階をさして、夢中で下宿に歸つて、布團のなかに自分は潛りこんでしまつた。
「なに、いつものなんで、大丈夫ですよ。大丈夫ですよ。」
さう言つてゐた夫人と葛卷の聲をたよりに、眠つて明日(あす)を待たうとする自分があつた。
――以上が彼との最後で‥‥、
彼の家(いへ)に行くことは怖(こは)し、翌二十三日は、一日(にち)宿(やど)に轉(ころ)がつてゐた自分である。
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