小穴隆一「鯨のお詣り」(7) 「舞妓はん」
舞妓はん
舞妓はんといつたものは、あゝいつた里(さと)の子供達のあこがれのものであり、また舞妓はん達自身も、お稽古場の退屈しのぎに、ちびて、ぼんぼんさんになつた筆の毛を上手にそろへて、ほそい線で、舞妓はんのだらりの帶をみせたその後姿を、よく畫(か)くものであるといふ。以前には、お稽古場に筆と墨が、舞妓はん達の退屈しのぎに揃へてあたものであると、舞妓はんはやめて、女學校にはいつてしまつたひとが、今日(けふ)立寄つて教へていつてくれた。繪のもでるになつてくれたひとは、ふくわげに結つた衿(えり)かへ前の十七歳の舞妓はんで、私は林檎、梨、栗、玉蜀黍(たうもろこし)などのついた着物が、めづらしかつた。もつとも私にはなんにでも感心するといつた癖があつて、よくひとに笑はれてゐる。
[やぶちゃん注:太字「もでる」は底本では傍点「ヽ」。
「ふくわげ」「吹く髷」で、輪をふっくらとさせたもの。江戸後期から侍女などが結い、明治中頃には京都で流行した。
「衿かへ」「襟替え」。舞妓が晴れて芸妓(げいこ)になることを指す。芸妓としてのお披露目の際、着物の襟を、これまでの赤襟から白襟に変えることに由来する。]
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