小穴隆一「鯨のお詣り」(57)「鯨のお詣り」
鯨のお詣り
――一度(ど)どうもあなたそれはどつさり鯨が捕れたんでしたつけがねえ どうもそれはどつさり捕れたんですよ ええ 鯨つてえものはどうも大きなものですねえ
どうして丈(たけ)なんざあ大人が寢た位(くらゐ)大人が寢た位もあるんですからねえ 頭なんてものも大きなもので さあこちらの火鉢程ありませうかね ねえあなた なにしろ頭が火鉢位(ぐらゐ)なんですからねえ どうも大層なものですね ねえあなた
一度それがどうもどつさり捕れましてね どうもあなた どつさり捕れたんですが それを濱でもつてね みんなで切りましてね ねえあなた 鋸(のこぎり)で切るんで御座いますね どうもそれを鋸でもつてみんな一尺位(ぐらゐ)に切りましてね どうも鋸でもつてみんな 一尺位に切つてしまつてね 切つてしまつたんですが なんでもその時そこにぶらさがつている樣な囊(ふくろ)がどつさり出ましたんですがね どつさり出たんですよ ええ
――その氷囊(ひようなう)かえ
――ええ そこにぶらさがつてる樣な囊なんですがね ええ なんでもどつさり出ましたよ ええ まつちろなのがぶつぶつ浮いてましたけがね
あなた
それでもつてみんな切つて賣るところは賣り とつとくところはとつとくとこで鹽(しほ)に漬け 賣るところは賣り とつておくとこはとつておくところで鹽に漬け どうも大變な騷ぎでしたがねえ なんですよあちらではお魚(さかな)だらうがなんだらうが女(おんな)がみんな持つて賣りに歩くんですからね どうも女衆(おんなしう)の忙しいことつたら それはなんですよお魚でも捕れるとみんなそれは夜中であらうがなんであらうがそれを持つて擔いでゆくんですからねえ どうしてあなた
さうしてそのまあをかしいぢやありませんか ねえほんとでせうか いつたいこんなことがあるもんでせうかねえ ほゝほゝゝゝゝ
鯨がお詣(まゐ)りするなんて事が全くありますかねえ あなた 鯨がお詣りするなんてねえあなた可笑(をか)しいぢやありませんか あなた ほんとでせうかね そのまあ鯨を切りました人がね 晩になるとそれはどうも大層な熱で苦しんだと申しますがねえ それでもつて御不動樣へ御祈禱を賴みにいきますとね これは鯨はやはたの八幡へお詣りに來たところをまだお詣りもすまさないうちに捕つたのでその祟(たゝ)りだと申しましたさうですがね あなた いくらなんだつて鯨がお詣りするなんてそんな事がほんとでせうかね でもね 御祈禱して貰つたらすぐ治(なほ)つたつて言ひますがね あなた ほんとでせうかね いくらなんだつて あなた ほゝほゝゝゝ お神主(かんぬし)は殺したものは仕方がないから卒塔婆(そとば)でも建ててやれと申したさうですが そのとほりにしたらぢき治つたさうですよ ええ
――さあ鯨は三十ぴきも來ましねかねえ
群鯨參詣圖について
私が「鯨のお詣り」を書いたのは大正十二、三年の頃と思ふ。家の婆やの話が面白くて、そのままに書いておいたのを、芥川さんがまた面白がつてこれに僕が挿畫を畫いて載せようと、いつか先に立つて、「人間」であつたか、「隨筆」であつたかに送つてしまつた。この鯨のお詣りは芥川さんが送つたのではあるが、運わるく、その雜誌社そのものが、芥川さんの折角の畫は板にまでしながら、雜誌に載せもせぬうちに廢滅してしまつて、印刷にならなかつたものである。未だインキに汚れてもゐない凸版の板木は神代種亮がその折に貰つて手に入れてゐた。昭和八年に江川正之が雜誌「本」を創めるに當つて、私はこの自分の鯨のお詣りを江川に贈り、あはせて神代氏から芥川さんの群鯨參詣國の板木を借出すやうにすすめたものであつたが、さうした今日、私は私の隨筆集の上梓に當つて、神代氏も既に亡き人なるを思ひ、いまは誰れがその板木を持つてゐるのか、これを江川に問合せてみた。江川からは、「本」の印刷所に預けたままになつてをりましたが、先年その印刷所が全燒してしまひ、何とも申譯なきこと乍ら炎上いたしてしまひました。といふ返事があり、神代氏所有の板木も既に、神宮繪畫館正面突當りにある愛光堂が全燒の際烏有に歸してゐるといふのである。群鯨參詣圖の原畫の行衞については私は全くの知らずである。ともあれ、芥川さんの、遂に潮を吹上げなかつ畫の鯨を、私は「本」創刊號の寫眞版から再製して、ここに使はせて貰ふこととした。
[やぶちゃん注:以上は、我鬼山人の署名と落款を持つ芥川龍之介の描いた「群鯨參詣圖(ぐんげいさけいず)」(原画では「參」は「参」である)のキャプションとして下にポイント落ちで示されたものである(標題「群鯨參詣圖について」もポイント落ちであるが、それよりも更にキャプション本文はポイントが落ちる)。絵とキャプションは「鯨のお詣り」の本文の途中、左ページを使って挟まれてある。
このキャプションの内容は後の昭和三一(一九五六)年中央公論社刊の「二つの繪」の「芥川の畫いたさしゑ」にも書かれているが、小穴隆一の「ばあや」の話はここでしか読めない。最早、焼失してしまった芥川龍之介の「群鯨參詣圖」と、この「ばあや」の話を一緒に読めるのは、本書以外には、ない。私はそれをこのネット上で再現出来たことを、心から嬉しく思っている。
なお、この「ばあや」の語りの中に出てくる鯨の体内から多量に出て来たという氷囊のような形状の物体ととはなんであろう? 海洋生物フリークの私でも一寸判らぬ。識者の御教授を切に乞うものである。]