小穴隆一「鯨のお詣り」(22) 「二つの繪」(11)「死場所」
死場所
死場所として、海には格別の誘惑を感じはしなかつたやうである。(水泳(みづおよ)ぎが出來るからと言つてゐたのは言譯(いひわ)けで、濱邊(はまべ)に轉がる死體よりも、行方不明になりきる死體を心配してゐたと言つて差支(さしつか)へはない)。深山幽谷(しんざんいうこく)には多少の關心があつたやうである。これとても糜爛(びらん)しきつて發見されることは嫌つて、死體が木乃伊(みいら)になつてゐるのそれならば興味があるといふ贅澤(ぜいたく)なものであつた。
大正十五年、當時の鵠沼には未だ震災で潰れたままの廢屋(はいをく)と言つてよろしい物があちこちにあつた。彼が一日(にち)自分を散步に事よせて案内した所は、實(じつ)に死ぬ者にとつての安全な場所である。――さう自分も亦考へた程の、成程、ここならば白骨か、木乃伊になるまでは、發見されないだらうと思へた一軒の潰れた家(いへ)であつた。(〔悠々莊〕」に非ず。)何時の間に獨りであすこを見付けてゐたか。彼がその場に於いて活潑に先頭に立ち、ぐるぐる廻つて實地檢證をした事は驚く。
然し如何なる所よりも結局――一番心靜かに死ねるであらうと思つてゐたと考へる、自身の家で死ぬことを考へてゐたやうである。但し、彼とても、自身の家(いへ)で變死をすれば、やがては家を賣るだらう。それを考へれば養父に迷惑をかけるには忍びないが、自身で建てた書齋なら、あすこさへ潰せば大した事もなからうかと相當迷つてはゐた。(自身家を建てた經驗を持つ者は他人の家では容易に自殺は出來なからう。)
[やぶちゃん注:「二つの繪」の「死場所」の原型。]
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