小穴隆一「鯨のお詣り」(69)「子供」(7)「角力」
角力
繼母(けいぼ)ができた。私達はまた函館に戾された。さうしてまた東京に來た。私は永代橋の上から一錢蒸気を眺めて暮してゐた。(函館の港のふちで暮した自分は船大工(ふなだいく)になるつもりでゐた。)家(いへ)は深川からまたすぐ本郷に移つた。これでは私の父がルンペンであつたかの樣であるが、その頃の父は郵船の社員で、轉任また轉任が、私の尋常一年を函館、深川、小石川と三つの學校に分けてもゐたのである。
本郷に移つて私にはまだ一人(ひとり)の友達もない。私は家の近所を一人でしよんぼり步きまはつて、いつか路地のなかで角力(すまふ)をして遊んでゐる一團の子供の集りをみてゐた。みてゐるうちに私にも角力が面白く思へた。行司をのぞいた角力のなかで一番強い子供をみてゐると如何(どう)したのか、なんだこんな奴、耳を引つぱつてしまへばなんでもないと思ひだした。
すると腕がむずむずして、
「かててけれやあ」
と言つた。すると、皆が何だいと聞きなほしたから、また「かててけれやあ」と言つた。
「なんだ田舎つぺい、面白いぞ、いれてやれ」といつて皆が角力仲間にしてくれた。私は函館で相撲見物につれていつて貰ひ、何枚かの一枚繪を買つて貰つた覺えはあるが、本職の角力を見物したのは、天にも地にもそれかぎりであるし、まして子供に四十八手もなにもなかつた。ガムシヤラなフンバリで順々に相手を負かし、最後に一番強さうな子が出てきた時に、私はいきなり相手の左右の耳をぎゆつとつかんでフンバツタ。皆がやあやあ言つてゐたが、やあやあもへつたくれもなくガンバツテゐるうちに私の勝になつた。向ふも耳の吊出(つりだ)しの手で、もう一度もう一度でくるのを我慢しとほしたら、「やあ、この田舍つペ強いぞ、またおいで、」と行司がまた遊びにこいと誘つてくれた。
私は私が耳の吊出しで勝つた相手の子と後(のち)に偶然同じ學校で同級生となつた。高木といふ米屋の子であつた。
私は高木の耳をみて大きなとんがつた耳だなあと思つた。
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