莊嚴なる苦惱者の頌榮
天日燦として燒くがごとし、
いでて働かざる可からず
――ヨシノ・ヨシヤ――
[やぶちゃん注:添えられた辞は原典では「天日燦として燒くがごとし、いでて働かざる可からず」で一行であるが、ブログのブラウザの不具合を考え、かく改行した。「――ヨシノ・ヨシヤ――」の位置は原典では、更に、ほぼ下インデント位置にある。この添え辞は山村暮鳥の友人で農民詩人であった三野混沌(みのこんとん 明治二七(一八九四)年~昭和四五(一九七〇)年:本名・吉野義也(よしのよしや))の詩句である。福島県石城郡平窪村(現在のいわき市平下平窪)生まれで、磐城中学校卒業後は家業の農業に従事したが、この頃、伝道師としてそこに赴任して来た暮鳥と親交を始め(大正四(一九一六)年秋頃)、その交友は暮鳥が没するまで続いた。翌大正五年一月、好間村(現在のいわき市好間(よしま)町)北好間の菊竹山(きくたけやま:この附近(グーグル・マップ・データ))で開墾を始めた混沌は、翌年、猪狩轍弥と『農夫』を創刊、昭和戦前まで、いわき地域で発行された詩誌の中心的存在であった(同地には暮鳥も開墾に入ったものの、結核の悪化のために退去せざるを得なかった)。一時、上京して早稲田大学高等予科で学んだが、中退して菊竹山に戻り、大正一〇(一九二一)年三月、同じ福島県生まれで小学校教員であった若松せい(明治三二(一八九九)年~昭和五二(一九七七)年)と結婚、本格的な開墾生活に入って、梨の栽培と自給自足の野菜作りに努めた。暮鳥没後であるが、昭和二(一九二七)年三月に詩集「百姓」(土社)、四月に「開墾者」(土社・銅鑼社)を刊行した。戦後は農地委員会小作委員として東奔西走し、昭和二二(一九四七)年七月、草野心平らの詩誌『歴程』」同人となって作品を発表、昭和二八(一九五四)年には「阿武隈の雲」(昭森社)を刊行している。混沌の没後、草野心平の勧めにより七十歳を過ぎてから筆を執った妻吉野せいは「暮鳥と混沌」「洟をたらした神」(本作で「大宅壮一ノンフィクション賞」及び「田村俊子賞」を受賞)「道」を執筆、そこには夫妻の生活が描かれた作品も収められている。以上は「いわき市立草野心平記念文学館」公式サイト内のこちらの吉野の紹介ページ(まさにこの「天日燦として焼くがごとし 出でヽ働かざる可からず 吉野義也」という、いわき市好間町北好間字上野の菊竹山に建立された草野心平揮毫になる詩碑の写真が見られる)及びサイト「文学者掃苔録」のこちらのデータを参照した。
本詩は異様に長い。彌生書房版は二段組で一段二十二行であるが、それで三十二ページ弱、単純行換算で標題添え辞を含めると七百十七行に及ぶ。原詩集で百六〇ページから二五二ページまでで、本詩集全体は奥附を入れずに二五六ページまでであるから、実にほぼ詩集全体の二・八割弱をこの詩が占めていることになる。覚悟されたい。
さらにどうしても言い添えておきたい――私はキリスト者でないどころかバキバキの無神論者であるが、この長詩には心底、心打たれた。何故なら、私が聖書に感ずるところの率直な核心的根本疑義を山村暮鳥は美事にヤハウェに突きつけて指弾しているからである。このキョウレツ極まりない独特の信仰告白詩篇が、キリスト教の伝道師であった彼の作品であるということ自体が、全く以って恐るべきことなのだ、と私は思う。この詩篇の前にあっては、自らを「詩人」と称して恥じない似非詩人や敬虔と自負するキリスト者は蒼白とならざるを得ない。――これを「フン」とせせら笑う輩は、これ、詩人でもキリスト者でも――そして「人間」でも――ない――と断言し得る――]
神樣
神樣
けふといふけふこそはおもひきつて
すつかりぶちまけます
どうぞおいやでもありませうが
一通りおきゝください
神樣
われわれ人間の前驅として
われわれの大遠祖(おほおや)として
あゝ此の世のあけぼのにさびしくも
あのアダムとイヴとがうまれでてから
どれほどになりませう
もうそれは
ちらりとも日光の射さない
深い深いそしてはてしない濃霧の中で
一の古いかびくさい傳説として
その眞實性をすらうしなつてしまひました
その眞實性をすらうしなつてしまつた事實
いまではどんなとしよりでも嗤つて話しておりますが
わたしはそれが悲しいのです
神樣
ようくおきゝください
アダムもイヴも
あなたの御保護をうけて
あなたの樂園では
どんなにたのしかつたことでせう
天空(そら)をとぶもの
地を匍ふもの
ありとあらゆる生き物と
ありとあらゆる美しさをあつめたあなたの樂園では
どんなにたのしかつたでせう
のぞみもなく
ねがひもなく
雪もふらず
餓うれば挘取る手をまつてゐる果實があり
熱くなく
寒くないから
きものもいらず
うまれたまゝの眞ツ裸
そして睡くなればやはらかい草の床です
彼等はかなしいことも
くるしいことも
腹の立つことも
それこそ何一つ知りませんでしたらう
死ぬなどといふことは勿論
生きてゐることすら
それでゐて何の不足もなかつたでせう
さうでせうか
何の不足もなかつたでせうか
すべてのものは
彼等に美しかつたでせう
彼等にたのしかつたでせう
彼等に快かつたでせう
彼等をそしてよろこばせたでせう
だが神樣
あゝ神樣
彼等には一の缺けたものがありました
それは自由でした
神樣
あなたは彼等を創造(つく)りなされた
あなたは彼等を祝福なされた
そしてその彼等に
世界(このよ)の總てのものをあたへなされた
それだのに
あなたは唯一つ
自由をだけは禁じなされた
なるほど彼等があの蛇となつてあらはれた
惡魔の言葉をきくまでは
そんなことも知らなかつたでせう
彼等はいかにも自由のやうにみえました
然しまことの自由は制限をゆるしません
彼等はその制限をやぶりました
如何にもやぶりました
それがいけないと仰言(おつしや)るのですか
それはあんまりです
あなたは「どんな果實をたべてもいゝ
けれど樂園のまん中にある木のだけはいけない」と
さうですか
それです
それです
それが悲しい動機です
それが神樣
何を暗示してゐるかよくあなたは御承知の筈です
あなたは全智全能の方です
それが樂園にはかうした木もあるとそれとなく
ひそかに告げてゐるのです
そればかりではありません
あなたは彼等の一切(すべて)を知つてをられる筈です
その過去はいふまでもなく
現在もまたその未來も
それだのにあなたは彼等の爲るがまゝにまかせなされた
一方で禁じておいて
他方ではゆるされてゐる
なんといふ矛盾でせう
惡はそこから生れたのです
あなたは全智全能の方です
それだのにこれはまたなんとしたことでせう
あゝたまらない
さればとてあなたにくらべては物の數でもない
弱い小さい人間です
たゞ泣き寢入るほかないのです
それはともあれ
彼等は遂にその制限をやぶりました
そしてはじめて自由でなかつたことに氣づきました
けれども遲い
あなたはすぐそれと知るが速いか
かつて一ど見せたこともない
怖しいお顏をして
お眼をぎろりと光らせて
彼等を睨みつけられたでせう
彼等はそれをみると
ふるへあがつてしまひました
そしてあゝ惡かつたとおもひました
その時からです
人間の
人間の此のたましひの奧深くに
暗い影のどこからともなくさすやうになつたのは
暗い影です
罪です
罪です
罪の巣です
神樣
そしてたうとう彼等はたよりなくも樂園から逐出されたのです
あゝそのみぢめさ
そのむごたらしさ
その眼のまへにひろがる大地は
まるで沙漠ではありませんか
生えてゐるものは荊棘と薊ばかり
ごろごろした塊ばかり
彼等はたゞ呆然としばしは口もきけなかつたでせう
あなたはアダムに言はれました
「大地は汝のために詛はれる
汝は一生のあひだ勞苦してその大地から食物を獲るのだ
汝はその大地の草を食ふのだ
汝は面に汗してそれを食ふのだ
そしてまたその大地にかへるのだ
なんとなれば
汝はその大地の塵からうまれたのだから」
それからイヴにも言はれました
「汝はくるしんで子を産むだらう
われ大に汝の懷姙(はらみ)のくるしみを增す」と
これがあなたのお言葉です
これがどんな響で彼等の耳に達したでせう
おゝ神樣
彼等は曠野につゝ立つてあひかへりみたとき
たがひに犇と抱きあつたでせう
そしてたゞ泣くより外はなかつたでせう
神樣
あなたが大地の塵からつくられた人間でさへ
親はその子を愛してをります
その子のためには
われとわが生命も惜まないのです
人間の親がくるしみなげいてその世を儚なく生きるのも
全くその子のためにです
全くその子を愛するからです
それだのにあなたは
あなたはそれで何の後悔もありませんでしたか
厄介者を逐拂つてそれでいゝ氣持だとお思ひでしたか
それにひきかへて彼等は
いつまでさうして抱きあつてめそめそしてもゐられません
覿面(てきめん)お腹が空いてくるのでした
それをなんとかしなければなりません
といつたところで食べ物はなんにもありません
どうしてもこの曠野沙漠を耕して
そこで草の葉つぱにおかれる露のやうなその生命を
そこでつながなければなりません
だがそれにしたところで
ながいながいその海草のやうにのびた髮の毛がなんになりませう
それからこれも伸びのびた手足の指のその爪
そして木の葉のきもの
武裝といつても
器具といっても
これほかなんにもないのです
けれど神樣
あゝわれわれの大遠祖達の
彼等はしづかにその手で泪を拭ひました
すると不思議ではありませんか
にはかにその身内に
ある噴水のやうなものが感ぜられました
たしかにさうです
それが力です
いまゝでは夢にも知らなかつたものです
力です
彼等はもうびくびくしてはをりません
さあどんなものでもくるなら來いと
彼等は氣強くなりました
彼等は稍氣強くはなりましたが
何をいふにも
何としても
たへられないのは空腹です
彼等はたうとう手當り次第にそこらの草を嚙みました
その草の葉つぱの露を舐めました
そのくるしさは樂園のたのしさがたのしさであつただけ
それだけ酷いくるしみでした
彼等は樂園のことをおもひだすとたまらなくなりました
いつさんに走り歸つて
そしてあなたに罪をわびて
ふたゝびそこであなたの御保護のもとでくらしたいとおもひました
けれどさう思つてふりかへつてみると
どうでせう
あなたの怖しい熖の劍がいつもぐるぐると旋轉(まは)つてゐるではありませんか
こんなことが幾度も幾度もくりかへされました
この度每におもひなほしおもひなほし
だんだんその焰の劍もみむかないやうになりました
さうすると力がその上にその上に加はつてきて
そのくるしみとなげきの中に
小さな望みをまきつけました
それはほんとに種子一粒のやうな望みでした
そんなに小さくはあつたが
それは實に彼等のくるしみとなげきの凝固(かた)まつたものでした
それに喜びの光が照り
それに悲しみの雨がかゝり
それはいよいよかたく
研ぎ磨かれる寳石のやうにいよいよひかりかゞやいてきました
彼等はそれがために
どれほどその生命をそぎ削つたことでせう
而もそれがなんでせう
望みのためです
望みは彼等自身のものです
彼等自身のよろこびです
彼等自身の幸福です
彼等自身の光です
彼等はほつと息を吐(つ)きました
ですが神樣
それもほんの束の間でした
みるとあなたの創りなされたものゝ中には
人間にとつてはそれこそ由々しい敵がたくさんゐました
あるものはおそろしい牙をもつてゐました
あるものは大きな角をもつてゐました
あるものは見えない刺(はり)をもつてゐました
あるものは毒をもつてゐました
あるものは底のないやうな怖しさをもつてゐました
あるものは木でもなんでも引裂いてみせました
あるものは手足の感覺をうばひました
あるものは眩暈(めくるめ)かせました
あるものは死の豫感さへあたへました
まあ何と言ふことでせう
彼等はまるで生きながら地獄に陷(おと)されたやうでした
大概のものが人間の味方ではありませんでした
そこで彼等は考へました
(それは一種の閃きのやうなものでした
彼等にとつては初めてのことです
かんがへるなどといふことは)
これはなんでも抗はないがいゝ
いや抗はないのみでなく
一そすゝんで愛してやる方がいゝと
實際また愛してやるにいゝほど
それらの中にはうつくしいものがありました
柔順なものもありました
然しその大部分はこつちの思慮なんかてんで何とも感ぜず
どしどし突進してくるのです
いゝ匂ひをかぎつけた蒼蠅のやうに群集してくるのです
それが追へば遁げるやうなものではありません
遁げれば猛つて追驅けてくるし
追はれゝば追はれたで
怒り狂つてむかつてくるではありませんか
あゝ人間最初のそして大なる苦惱者
彼等はさうしてそれらを
樹の上にさけ
土窟(つちあな)の奧にさけ
また水の中にさけました
而もいたるところに於て彼等は敵にであひました
ときには衝突もしました
攻擊もしました
そして打倒し傷け殺してやつとその身をまもりました
そして幸に生きながらへたのです
くるしめばくるしむほど
力が加はり
智慧がまし
ますます彼等は強くなるばかりでした
やがて耕した大地はよい穀物をみのらせました
立木をそのまゝの柱にして
大きな樹の下かげに
彼等は家らしいものを造りました
いつしか姙胎(みごもつ)てゐたイヴは
そこでカインを産みおとしました
その時アダムはおどろいて言ひました
「あゝ自分等は神樣によつてここに一人の人間を得た」と
どんなに喜んだことでせうか
それは彼等にとつては
闇夜に一つぽつちりとともる灯をみつけたやうなものでした
すこしも神樣をうらんでなどはをりません
すこしでもあなたに對して不平がましいことは言つてはをりません
見上げたものです
あなたのその殘忍にもひとしい聖旨(みこゝろ)にくらべて
何といふいぢらしいほどの敬虔でせう
だがそれはまた
何といふおほきな海のやうな心でせう
あるひは不平も怨恨(うらみ)も全然なかつたのでもなかつたでせうが
子どものうまれたよろこびで
それらはみんな流れるやうに消え去つてしまつたのかも知れません
たゞ呟言(つぶやき)一つ泄らしてゐないのは事實です
神樣
彼等はさうしたくるしみの中で
よせてはかへし
よせてはかへし
彼等の上にのしかゝるそのくるしみの間にあつて
どうぞおきゝください
ああ呟言(つぶやき)一つ泄らしませんでした
[やぶちゃん注:「いまではどんなとしよりでも嗤つて話しておりますが」の「おりますが」、「あゝそのみぢめさ」の「みぢめさ」はママ。「あなたの怖しい熖の劍がいつもぐるぐると旋轉(まは)つてゐるではありませんか」の「熖」の用字とその三行後の「だんだんその焰の劍もみむかないやうになりました」の「焰」の用字の違いはママ。
「挘取る」「むしりとる」。
「自由をだけは禁じなされた」底本としている早稲田大学図書館蔵本(PDF画像)では「を」の部分は幾ら拡大しても空きマスとしか見えない(何かの活字の跡らしきものが左上部に見えはするが、文字を確定出来る程度のものではない)。当初、空欄として電子化しようと考えたが、参考までに国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館蔵本であるが、同一の同日刊行の版本)の画像を拡大視認したところ、薄くしかし確かに「を」の字を確認出来たのでかく補った。
「そしてたうとう彼等はたよりなくも樂園から逐出されたのです」の「逐出された」は「おひだされた」と訓じておく。同様に後の「逐拂つて」も「おひはらつて」である。
「蒼蠅」「あをばへ(あおばえ)」。有翅昆虫亜綱双翅(ハエ)目ヒツジバエ上科クロバエ科 Calliphoridaeに属するハエ類の中で体色が緑色や青色を呈するハエの俗称。キンバエ(クロバエ亜科キンバエ族キンバエ属キンバエLucilia caesar)などが該当する(キンバエは「金蠅」であるがこの「金」は金属光沢のことを指す謂いである。キンバエは緑色・青緑色・銅赤色などを呈し、暮鳥の言う「蒼蠅」とか或いは「青蠅」の方がしっくりくると私は思う。]
神樣
神樣
どうぞよくお聽きください
彼等の望みはカインをかれらの手にいだかせて
さらに何をか求めてゐました
つゞいてアベルが大きな太陽をみにでてきました
アベルは羊を牧ひました
カインは土を耕しました
二人ともその父母のやうにあなたの前に柔順でした
けれどあなたは公平を缺いでゐました
あなたはカインの供物をしりぞけて
アベルのそれだけうけられた
それはどういふ譯です
なんでそんな依估ひいきの事をなさつたのです
カインの腹立つたのは當然です
あなたが腹を立たせたのです
そしてカインをして
大逆非道の血をながさせたのです
あなたがアベルを殺したもおんなじです
あゝ大地は血塗られました
あゝ殺すなかれとおしふるあなたが
かうして人間に罪の歷史をかゝせるのです
かうして人間を汚すのです
かうして人間をその生けるかぎりくるしめるのです
愛するがゆゑに鞭打つのだとは
それは人間のうつくしいそしてけなげな言葉です
それはあなたのお言葉ではありません
あなたはちやうど人間のこどもらがその玩具(おもちや)とあそぶやうに
われわれ人間に對してゐられるやうです
可愛がつてゐるでせう
だがこはれるまでその手から離しはしません
必然(きつと)いつかは壞はします
而も責任なんか感じはしません
こはれたら棄てるまでゞす
泪なんか流しはしません
よし流したところで
それはおもちやを愛してゞはなく
それによつて自分自身が傷つけられたからです
あそぶ對手(あいて)がないからです
自身に腹を立てゝ
神樣
彼等はつひに老ひ衰へて死にました
アダムもイヴも死にました
アベルを殺したカインも死んでしまひました
そのあとからぞろぞろ生れたものも
みんなくるしんでくるしんで
くるしみぬいて死にました
誰だつてみんな死んでしまふのです
あなたはさう人間をつくられたのです
人間がなんでせう
人間がなんでせう
よろこびもかなしみも
榮譽も努力も富も權威もそれがなんでせう
たゞ死です
酬いられるものはそれだけです
神樣
まつたくあなたにはかなひません
まつたくあなたのさづけた運命どほりです
まつたく人間は慘めなものです
まつたくあなたの勝利です
だが神樣
それで總てゞはありません
おきゝください
われわれはくるしみくるしんできたあひだに
いつとしもなく強くなりました
運命をすら嘲るほどになりました
くるしめられるのをかへつて喜ぶやうになりました
くるしむといふことによつて
一きわその體(からだ)においても靈魂(たましひ)においても強く
純くそして美しくなることをまなびました
死ぬためにうまれるやうな人間も
いまはその死すら怖れてはゐません
それは多勢の中にはよくよく意氣地のない人間もあります
如何にもかれらは死を怖れます
怖れてゐるやうです
然し彼等といへども死の不可避であることは知つてゐます
だからと自暴自棄に陷入りません
ある諦認をもつてゐるから
事實その死に面接しても決してあはてふためくやうなことはありません
寧ろある快感にすら自己をあたへて
靜に眠つてゆくのです
神樣
あなたは人間に運命のその最終最惡のものとして
死をあたへられました
そしてそれがあなたの決定的な勝利です
さうです
はたしてさうでせうか
神樣
それはあの鰻がつるりと指と指とのあひだを辷りぬけるやうに
御覽ください
人間は精神的にひよつこりとその死のうしろに現れて
赤い舌をぺろりとだして笑ふので
それほど人間は怜悧(さか)しくなりました
われわれの大遠祖が智慧の木の實をたべたからかも知れません
それほど怜悧しくなつてゐることをどうしませう
そればかりは如何なあなたでも
あなたの全智全能をもつてしても
どうしやうもありますまい
それもこれもくるしみくるしんだその經驗の賜物です
あゝ此處でのみです
人間が人間らしくそれ自らの意志で生きてゐられるのは
ぶつ倒されるとも曲げない意志
曲げられるとも折れない意志
殺されるとも死なゝい意志
大地の塵でありながらその大地をも踏みつける意志
さては創造者であるあなたですら
その意志にかゝつては火に觸れたやうに手を燒くでせう
詩人はきつぱりと言ひました
息絶ゆるとも否と言へ
それでこそ人間だと
けれど神樣
人間がこの意志をかちうるまでに
ながした泪
ながした汗
ながした血
それはまことに普通(なみ)大抵のものではありませんでした
みんなあなた故です
智慧の木の實のことは言はないでください
食べてならないやうなものを
なぜあなたは彼等の眼の前にをかれたのです
それもみれば食べたいやうに美しくして
それではまるでおとしあなでもこしらへておくやうなものです
それもわが子としての人間に對して
いやいや神樣
こんなことはすべて泣き言のやうに聽こへて耳ざはりです
さて神樣
すべて優秀な人間は運命にもてあそばれません
また死にも呑噬(のみこ)まれません
刄金(はがね)のやうな意志として
あなたですら尊敬しなければゐられないやうな光を射つのです
世にはあなたを信じ
あなたに賴るたくさんの人人があります
あなたを信じ
あなたに賴り
あなたを崇め
あなたをあふいでをりながら
それでゐてそれこそろくでなしの人人が少くはありません
大抵さうした人間は意氣地なしです
さうかとみると
あなたのことなどは何にも知らず
また知つてゐても信ずるでもなし賴るでもなし
而も立派な人間があります
あなたは信じられたよられて
その人人に乞食のぼろのやうにぶらさがられるのがお好きですか
それとも冷淡なやうには見えても獨立自尊
そして喋舌(しやべ)らず跳ねず
堂々とそれこそ靜肅(しづか)にをもをもしく
その自らなる天眞唯一の道をゆくものがお好きですか
優秀な人間はいたずらに信賴しません
よつてたかつて騷ぐのは蛆蟲です
「われに來れ
われ汝らを休息(やすま)せん」とおつしやつて御覽なさいまし
蛆蟲はよろこんで群りますが
人間の中の人間はそれにお答へします
「ありがたうございます
これぐらゐのことは何でもありません
私などよりもつともつとあなたの必要な人人がをります
私にはどうぞお構ひなく」と
その人はたいそう疲れてゐるやうです
然し健氣にもさう言ひます
そればかりではありません
神樣
そのひとはそのときかへつて何かあなたがこまつてゐるとすれば
それを自分で代らうとさへ言ひ出すかも知れません
そのひとは神樣にすら手傳はうとします
蛆蟲のやうなあなたの信賴者には不可能なことです
彼等は唯、主よ主よとよばはつて
それで貴い日を暮らすのです
それで救はれるとおもつてゐるのです
てんでもう自分のことばかり
それも牡丹餅で頰つぺたを打たれるやうな幸福ばかり
それを祈りもとめてゐるのです
その周圍になげき悲しんでゐるひとびとの聲が聞えないやうです
またその慘めなすがたも覩えないやうです
いや、きこえないではありません
みえないのでもありません
よくきこえてゐるのです
よくみえてゐるのです
そしてよく知つてゐるのです
ですがもう癰瘋病(ちゆうぶや)みのやうにあなたに凝固まつた彼等は
あなたを信賴して
それに滿足して
それにすつかり惑溺して
もうまつたくその麻痺的悦樂に
その指一本それがために動かすのすらものういのです
それがあなたの忠實な信者です
彼等はあなたに醉つてゐるのです
あなたのためには親も子も夫婦もなんにもありません
あなたのためには自分も他人も
眞理も美も理性もなんにもありません
まるで狂人(きちがひ)です
さうしたひとびとをつかまへて
「たゞ信ぜよ
信ずるものは救はれる」と
あゝそもそもの誤錯(あやまり)はそこにあるのです
あなたがそんなことを
あなたのお教へとして傳へさせなさるからいけません
一切教へてはいけません
何もをしへないでください
人間はどんなことでも自然にそれをさとります
そして終にはあなたに手傳ふまでになるのでせう
いや手傳ふのではありません
一しよに仕事をするのです
そのひとです
人間の仕事と神樣の仕事とになんの差別もおかないのは
それが優秀な人間です
神樣
だがそのひとは決してあなたに盲從しません
あなたをすら批判します
あなたをすら試練します
あなたが完全圓滿でないなら
その缺點を指摘します
あなたを自分の神樣とするためにはほくろ一つほどのことも
そのまゝには見遁しません
而もそのひとは自分が大地の塵であることを知つてゐます
そのひとの謙讓には底がありません
そのひとは人間の知識を天空(そら)の星の一つともおもつてはゐません
それでゐて
そのひとは自分を棄てません
これを優秀な人間といひます
間違つてゐませうか
そのひととは私の事です
[やぶちゃん注:太字は原典では傍点「ヽ」(以下、同。この注は略す)。「けれどあなたは公平を缺いでゐました」の「缺いで」の濁音はママ。「どうしやうもありますまい」のどうしやう」、「なぜあなたは彼等の眼の前にをかれたのです」の「をかれた」、「こんなことはすべて泣き言のやうに聽こへて耳ざはりです」の「聽こへて」、「堂々とそれこそ靜肅(しづか)にをもをもしく」の「をもをもしく」、「優秀な人間はいたずらに信賴しません」の「いたずら」はママ。
「純く」「きよく」。
「諦認」見かけない熟語で音読みするのも佶屈聱牙でいただけない。「あきらめ」と当て訓しておく。
「あなたを崇め」この一行、彌生書房版全詩集では「あなたを崇む」となっている。従えない。
「それとも冷淡なやうには見えても獨立自尊」この一行、彌生書房版全詩集では「それとも冷淡のやうには見えても獨立自尊」となっている。従えない。
「またその慘めなすがたも覩えないやうです」頭の「ま」は原典では活字が左向きに転倒している。実は原典では「覩えない」は「賭えない」となっている。しかし「賭」ではおかしく、ここは前後からも「みえない」(見えない)と訓じていることは明白である。されば私はこれは「覩」の誤記或いは植字ミスと断じ、特異的に本文を訂した。彌生書房版全詩集はそのまま「賭えない」としてあるが、従えない。]
神樣
私はあなたを認識します
私はあなたを體驗します
けれど私はあなたにたよりはしません
多くのものはあなたを認識しません
また體驗もしません
唯、賴るのです
唯、賴るばかりです
たよつてそしてその應顯を求めるのです
もとめてそして得られないと
失望してつぶやくのです
つぶやきながらも尚も求めるのです
然しそれでも得られないと
そこであなたをうらんで憎んで棄てるのです
無神論者といふのがあります
卑しい利我的な慾望の孵へつたものです
みかけはいかにも寂靜で
淡然としてゐるやうだがそれは欺いてゐます
とにかくたよるからいけないのでせう
たよつて何になりませう
人間のそのときどきに變る天氣模樣のやうな願望のために
儼然たる宇宙の法則がまげられますか
一體、宇宙は人間のためにあるのでせうか
それとも人間がかへつて宇宙のためにあるのでせうか
また願望は法則のためですか
法則が願望のためなんですか
私は宇宙の法則といひました
それはあなたの聖旨(みこゝろ)といつてもおなじことです
また萬人は萬樣のこゝろをもつてゐます
したがつて萬樣の生活をします
その願望も萬樣です
傘商(からかさや)には雨の日がよく
染物屋には天氣がいゝのです
如何にも萬人一樣の願望はあります
けれどそれはあなたにたよるものゝ願望ではありません
あなたにたよるひとはあなたを體認してゐるやうで
實はさうでありません
眞にあなたを體認してゐるひとは決してあなたにたよりません
眞にあなたを體認してゐるひとは萬人共通のこゝろを持つてをります
私はあなたにたよりません
あなたは人間のたよるべきものではありますまい
神樣
私はくりかへして言ひます
私はあなたにたよりません
私はあなたを體認します
此の體認がすなはち私の信仰です
此の信仰は懷疑的です
此の信仰が深くなればなるほど懷疑がそれだけ大きくなります
懷疑は勇敢です
懷疑は眞實です
懷疑は火花をちらします
懷疑は悲痛です
懷疑はより大きな信仰をもたうとするものゝとほらねばならぬ道です
私はあなたを體認します
あなたに對する私の體認はむしろ反抗的です
あなたは私の敵です
敵といふ言葉が穩かでないとすれば對象と言ひませう
あなたは私の對象です
あなたは人間の對象です
あなたなしに私は一日たりとも生きてはをられません
あなたはわれわれの理想です
願くば無限に大きな理想であれ
神樣
われわれはあなたを理想として見ます
どういふものでせう
一つの癖です
ところが實際のあなたは
われわれ人間ですらが顏面(かほ)をそむけるやうなことを平氣でなさるのです
われわれ人間ですらと言つたのは
開闢以來くるしめくるしめられてきた間に
いつとなく
その手にしつかりと摑んだ惡です
われわれは惡い人間です
いかにも惡い人間です
あなたの罪の子です
けれどそしてほそくはあるが良心とやらいふ一とすぢのうつくしい煙を
猶おのおのそのゝ燻香の壺から立てゝゐます
われわれは恥を知つてゐる
あなたにはそれがありません
あなたの御業はすべて神聖でそして慈悲深いやうに誰も思ひます
さうでせうか
それはあなたの御相(おすがた)も時代によつていろいろと
それこそ猫の眼玉のやうに變轉して
いつもおんなじではありませんでしたが
それにしてもなかなかわれわれの理想とすることのできない
そんなことをなさることがたびたびありました
樂園追放のことはいひました
創世第一の人殺しのこともいひました
それからさまざまのことがありました
そのなかでもあなたが惡魔もしないやうなことをなされたのは
バベルの塔のことです
その場合のあなたはまるで賽の河原の鬼です
それが生めよ殖えよ地にみちみてよと
祝福なされてゐるあなたの人間に對する御業です
それからノアの大洪水です
凡そ世にざんにんといつてもぼうぎやくといつても
これほどのことがありませうか
言葉以上のことです
感情以上のことです
人間あつて以來の
それこそ人間にとつては言語に絶した大兇禍でした
二どとないことです
それともあなたは氣まぐれですから
そのお腹(なか)の蟲のゐかげんで
どんなことをやりだしなさるかも知れません
だが神樣
人間はもうくりかへしくりかへし酷い目にばかりあつてゐるので
善い經驗をしてをります
それで強くなつてをります
あなたのくだす天の災害にあつても
もうぴよこぴよこと頭をば地べたにすりつけぬほどになりました
それはさて
ひとびとのこゝろがあなたを慕ふよりは
各々飮み食ひめとりとつぎなどしてたのしむやうになつたといふ理由で
あなたは腹を立て
あなたのすきなノアの一家族をのぞいての外はことごとく
彼等を水に溺らしてしまひなされた
大逆殺です
人間界に於てならその一人を殺しても
それは不倶戴天の罪惡なのです
相助けるに術(すべ)もなく
相呼びかはし
相擁き
一すぢの髮の毛ほどのものにすら
すがりすがつて生き存らへようとした彼等の
その悲鳴をあなたは
小氣味よくおきゝなされてか
あなたは神樣です
なんでもできます
なんでもしようとおもへばできるだけそれだけ
あなたの御眼からみるならば人間が一ぴきの蟻をみるそれほどでもなからうものを
まことに憐憫(あはれみ)の無いなされかたです
われわれは馬鹿な子ほど可愛いといひます
もつともです
馬鹿なもんだから
馬鹿でないものより一層愛されなければならないのです
それがあなたになると
なんでもかんでも運命的です
あなたに嫌はれたが最後です
あなたはいかにも正しいやうです
正義の神樣のやうです
正義のためには愛もなさけもないやうです
あゝ正義
善を善とし惡を惡とする秋霜烈日のやうな威嚴
ひきぬかれた刄のやうな精神
それはいゝ
けれどあなたの正義はあてにならない
あなたは神樣です
だからあなたにあてる尺度はない
あなたは自ら尺度とならねばならない
だがあなたの氣まぐれを尺度としたら此の世界(よ)は闇です
これでもどうかかうかやつてゐるといふのも
全くわれわれ自らの生活にあてはめて
その最も善美とするところを
われわれ自らの意志でつくりあげたその道德によつてゞす
あなたによつてゞはありません
あなたは道德圈外の存在者です
われわれの中には道德はあなたからきたといふものもありますが
それは空想です
その兄の家督權を巧妙な詐欺によつて橫取りした
あのヤコブを愛し保護して
あの大家族の家長としたほどのあなたではありませんか
何が攝理です
攝理とはあなたの氣まぐれのことですか
まつたくあなたの御心は解らない
[やぶちゃん注:終りから八行目の「われわれの中には道德はあなたからきたといふものもありますが」の「われわれ」の後半は原典では踊り字「〱」。
「應顯」「わうけん(おうけん)」と読むしかなさそうだ。ヤハウェへの純粋で一途な信頼を示すことでそれにヤハウェが応じて絶対の真理を示し顕(あら)わすことととっておく。
「體認」「たいにん」。自分のものとして体験的に会得すること。
「大兇禍」後の詩篇「父に書きおくる」の彌生書房版全詩集版では「兇禍」に「まがつみ」のルビを当てているから、これは「おほまがつみ」と訓じたい。
「相擁き」「あひいだき」と訓じておく。
「生き存らへよう」「いきながらへよう」。]
あゝ此の世のあけぼのにさびしくも
あのアダムとイヴがうまれでてから
どれほどになりませう
神樣
千年萬年もあなたにはたゞの一瞬のことでせうが
われわれ人間の一生としては勿論
それはとても信じられないほどの距離をもつた長時間です
その間において人間にはさまざまのことがありました
人間は絶えずくるしめられくるしめられてきました
みんなあなたの御掌(おんて)の中にあつてのことです
そしてかなり惡くなりました
人間は惡くなりました
けれど強くなりました
強くなりました
あなたに憎まれ
あなたのくだした運命にもてあそばれて
くるしんでゐるものを見れば
それがあなたであらうが何であらうが
自分自身もまつたくわすれて
用捨なく
逡巡なく
ふるひたちます
切齒(はがみ)します
髮毛をもつて天を衝きます
その天をにらみつけます
その天をずり落さうと腕を鳴らして大地を踏みます
神樣
あなたはわれわれの大遠祖を樂園から逐ひだしなされた
さてこんどはわれわれ人間はこのにんげんの世界から
あなたを追放する時です
あなたはそれほど深い怨恨をわれわれの胸に釀しました
もうわれわれは騙されません
われわれ人間がこんな怖しい企圖をもつたといふのも
みんなあなたの御業ゆゑです
こんなに人間は惡くなりました
いまではこれが天性です
あなたの御業の影響から自(おのづか)らうまれでたものです
こればつかりで生きて行かれる
人間にとつてこれは貴い崇高(けだか)い力です
神樣
人間は自主です
もうあなたの奴隷ではありません
此の貴い崇高い力のうへに立つた人間
御覽ください
この人間のかゞやかしさを
光りかゞやく人間を
まるで神樣です
あなたのやうです
さうです
人間はだれもかれもあなたにかはつてみな神樣であるべきです
各自は各自の神樣であるべきです
あなたは人間最初の男女を塵からつくりなさる時
それをあなたの御像(おすがた)に似せられたといふことですが
似せられたものがいまはほんものになる時です
われわれは自主です
もはや一たび自覺したものです
どうしてまたその檻舍(こや)ほどの意味しかもたない
あなたの樂園にさもしくも豚のやうにかへられませうか
もうかまはないでいたゞきます
指一つ觸れてもくださいませんやうに
これが人間のおねがひです
われわれ人間はもうあなたにかへるべきではありません
それをよく知りました
あなたは人間のたよるべきものではありません
まだその迷宮の闇にゐて
眞實なひかりの世界へ望みの絲をみつけないものもありますが
時はもう近づきました
やがてそのひとびとも知るでせう
何物もたよつてはならない
何物もたよれない
何物にもたよられてもならぬと
すべて自然であれ
たよることでない
たよられることでない
たよらうがたよるまいが眞理はやはり眞理であります
理想としてのあなたもさうでなければなりますまい
だがわたしにはあなたのお心はわからない
神樣
あなたは一體どんなお心です
氣まぐれかとおもへば正しいこともあり
正しいかとおもへばとんでもないことをしでかしなさる
ほんとにわかりません
愛されてゐるのか
憎まれてゐるのか
めぐまれてゐるのか
鞭打たれてゐるのか
さらに人間はあなたの眞の子なのか
それとも全然塵の塊りなのか
まつたくわからない
わかつたつてどうならう
事實は事實です
現在(いま)は現在です
過去は一點一劃のあやまりもなくその通りですし
未來もちやんとなるやうにしきやなりはしません
實に公明です
秋の天空のやうにはつきりとしてゐます
だがあなたのお心ばかりはどうしてもわからない
それもさうだが
神樣
あなたは全體何者ですか
おどろかないでいたゞきます
早晩こんな質問は當然あなたにむかつて發せらるべきでした
何とお答へになりますか
それとも永遠の沈默で有耶無耶のうちに葬り去つてしまはうとなさりますか
その手にはかゝりません
そんなことでおとなしく引込んでゐるやうな人間ではなくなりました
何とか言つてください
耳がありませんか
眼がありませんか
口がありませんか
あなたは何です
形體(かたち)のあるものですか
それとも觀念ですか
實在ですか
空想の所産ですか
あなたは何です
何かであるはづです
力ですか
生命ですか
有ですか
無ですが
なんでもいゝ
なんでもいゝ
それが何だつてわれわれ人間はかまひません
どうにもならないからです
あなたの有無が何です
あなたが有らうが無からうが人間は人間です
その人間はくるしんできました
そして惡くなりました
けれど強くなりました
その上、あの原人アダムとイヴとが
一鍬一鍬と曠野(あらの)の土をたがやしたやうに
そしてそこに此の世界のはじめを拓いたやうに
われわれもまたすこしづつでも
すべてのものを
人間のこのびめうな感覺と神經とで
自分自分のこゝろに
自分自分のものとして見出さなければなりません
さいはひにも彼等が智慧の木の實をたべてゐてくれたから
自分達にそれができます
いかにも此の宇宙天體の麗さなどよりみれば
その偉大に幻惑されて
そこにはたしかにあなたがあり
あなたこそまことにその創造者のやうに思はれます
けれど神樣
さうおもふのはわれわれです
われわれにはまたそれが否定もできるのです
われわれの智慧において
あゝ此の智慧
それをこんなに大きくしたのは人問です
それをこんなに莊嚴にしたのも人間です
われわれの力でゝはありませんか
われわれではありませんか
いまこそ人間は一切の上にあります
あなたでもわれわれあつてのものではないのか
あゝ智慧の木の實ばかりでなしに
またとないそのよい機會を
ほんとに、手ついでに
その生命の木の實もたべてしまへばどうでしたらう
私はそれをしみじみ思ひます
然しもうそれは漠々たる太古のことです
あんまりあてにならないことです
なにがなんだか
一切がわかりません
たゞ瞭然たるものはわれわれです
人間です
人間各自の存在です
それだけです
あなたは理想です
無限大なる理想であれ
神樣
もうすこしおきゝください
私にもすこし喋舌(しやべ)らしてください
惡魔にひとこと御禮が云ひたいのです
ごめんなさい
さて惡魔よ
あの時お前さんがわれわれ人類の前驅者である彼等に
あのお美味(いし)い智慧の木の實ををしへて
そして食べさせてくれたばかりに
彼等をはじめその後裔としての人類すべては
それはそれは泣かない日とてはなかつたのです
だがまたそのお蔭で
われわれ人間はいまこのとほりな怜悧(さか)しいものとなりました
ありとあらゆる物の上に立つてゐるのもそのためです
神樣にすら運命にすら
だらしなく跪かなくなつたのもそのためです
一にはそのながいながい苦しい經驗にもよりますが
その動機はと云へば
お前さんの手引からです
われわれはお前さんに何と感謝したらいゝでせう
ところがこれも神樣の嫉妬からのことだが
お前さんとわれわれの間は
一尾の魚を二つに截切つたやうにされてしまつた
そればかりか
お互はおなじく酷い目にあつてをりながら
相互になぐさめ合はうとはせず
かへつて眼を雙方でむいて睨めあつてゐるのだ
いつまでこんなことをしてゐてよいものか
どうして理解出來ないのか
どうして和睦出來ないのか
人人はもう惡魔ときけば震へあがつておそれてゐる
それでゐて降服はしない
降服しないのはいゝ
降服しなくてもいゝから
和解しろ
ところがそれもできないんだ
神樣の御機嫌を損じたらそれこそことだとおもつてゐるのでだ
何といふ意氣地のないことだらう
神樣もまた神樣なんだ
「敵をも愛せよ」などとをしへておきながら
隨分、嚴しいんだ
それこそ敵とみたらなかなか人間が蚤や虱をみるのとは違ふんだ
おそろしい神樣なんだ
一刻の容赦もないんだ
一寸の躊躇もないんだ
徹頭徹尾なんだ
絶對的なんだ
もう本質としてゆるさないんだ
お前さんもよく知つてるだらう
ずいぶんつらからう
「汝はアダムとイヴとを誘惑し
かの智慧の木の實をくらはせたるによりて
諸(もろもろ)の家畜と野のすべての獸よりもまさりて詛はる
汝は腹匍ひて一生のあひだ地の塵をくらふべし」
神樣がはら立ちまぎれにさう言つてからの
お前さん達は實に慘めなものになつた
わたしはそれを氣の毒におもふ
そればかりではないんだ
神樣は御自分の疳癪玉をとこしへにお前さん達と人間とのあひだにおいて
絶えず爆發させようといふんだ
そして御自分はそれを高みでの見物さ
「われ汝と婦女の間
および汝の苗裔(すゑ)と婦女の苗裔とのあひだに怨恨(うらみ)を置かん
かれは汝の頭をくだき
汝はかれの踵をくだかん」だと
いゝ顏面(つら)の皮だ
なるほど最初はわれわれの大遠祖達もお前さんをよくは思はなかつたらう
お前さんさへ誘惑してくれなかつたらと
つらいめにあふにつけ
かなしいことにあふにつけ
さう思つたにちがひない
けれどだんだんいろいろと事と物との眞相がわかつてくると
お前さん達はもう人間の敵ではなくなつたのさ
却つておんなじやうに酷い運命のあらしにあつてゐる友達なんだ
それがわかつたんだ
それがわかると人間の生活もさらりと一變しましたよ
お前さん達をはじめ
あらゆる生物に對して人間は
人間同志の間にしかもつてゐなかつた愛情を
汎くそして普くもつやうになつたんです
神樣はそれが氣に喰はないんだ
でもまさか愛してはならないとも言へないので
知らん顏をしてゐるんだ
見ないふりをしてゐるんだ
何故なら萬物を人間がその對象とするやうになると
唯一存在と自認してゐる神樣は
神樣としてのその面目をうしなつてしまふからだ
で内心頗る怒つてゐるんだ
「自分以外の何物をも拜んではならない
自分の創造物を拜んではならない
また汝等のつくつたものを拜んでもならない
自分は天地の神である」
あの馬鹿正直なモオゼに
あの頑愚なひとびとの指導者モオゼに
その頑愚なひとびとにむかつて
鐵面皮にもさういはせたが
それも線香花火のやうなものであつた
まあ見な
これが神樣のお言葉だ
何といふ自己推擧だらう
何といふことだ
いまどきのあのずうずうしい商人などの自家廣告もこれまでだ
かうなると
へん、何んとでも言ふがいゝや
どんなにでも威張るがいゝや
拜みたけりや催促されないたつて拜みますが
拜みたくなけりや
この口をふんざかれるつたつて拜みやしねえよ
とでもつひ言ひたくなるんだ
またさうした自由を實際にわれわれはもつてゐるんだから
お前さん達も時々退屈まぎれの惡戲(いたづら)から
われわれの生活がそれで
ちよいと蚯蚓ばれになるぐらゐのことはするが
それはほんの惡戲だ
名からして惡魔なんだから
それつばかりのことは敢て咎めるまでもないのさ
神樣の遣り口からみると
ほんとに句愛いぐらゐのもんだ
人々は一切の不幸災禍をみんなお前さん達にしてゐるが
あれは全然まちがつてゐる
一切の運命は神樣のお手のものだ
死ですらさうだ
決してお前さん達のすることぢやない
何でもかでもみな神樣のすることだ
それを善いことは自分のものとして
惡いことはみんなお前さん達になすりつける神樣
すべてがそれです
またそれを眞正直にその通り信じきつてゐる馬鹿ものもあるんだ
だがもう夜は明けなければなりません
人間はみんなめざめなければなりません
その時が來たんです
誰でも自分で自分をやしなつてゐるのです
自分で自分をまもつてゐるのです
自分で自分をなぐさめてゐるのです
自分で自分を鞭打つてゐるのです
自分で自分を導いてゐるのです
自分々々です
それ外無いのです
それはちやうど燕などが海上でもわたるやうなものです
ひとのことなどは言つてゐられないのです
然しそれでいゝのです
そればつかりでおたがひは強く仲善く生きられるのです
さうです
そのやうにしてまづ自己が確立してゐなければ
どうしてひとの上にだつてその手がやさしく伸べられませう
人間はそれを知りました
人間はそれを知りました
まあ何といふすばらしいことでせう
人間にとつては
第二の天地開闢です
第二ではありません
これが眞の曙です
人間の靈魂の曙なのです
如何にもあのときアダムとイヴとは生命の木の實をたべませんでした
だがそれがなんでせう
人間は自分の足でこの大地を踏まへてゐるのです
自分の手でさまざまの戰爭の器と生業(なりはひ)の器とをつくり
自分の眼で見
自分の耳できゝ
自分の鼻で嗅ぎ
自身の舌で味ひ
自分の口でいひ
自分の頭腦にふかくこもつたその智慧でどんなことでも考へます
かぎりなきいのちすらいまは知つてをります
運命などはもう人間にとつてなんでもありません
われわれはそれをすつかり逆にすら考へることが出來ます
もう人間は自由です
人間は永遠の意味をしりました
そしてその永還を瞬間に生きてをります
[やぶちゃん注:「それが何だつてわれわれ人間はかまひません」の「われわれ」と、「それこそ敵とみたらなかなか人間が蚤や虱をみるのとは違ふんだ」の「なかなか」と、「いまどきのあのずうずうしい商人などの自家廣告もこれまでだ」の「ずうずう」の箇所は原典では後半が踊り字「〱」。「何かであるはづです」の「はづ」、「とでもつひ言ひたくなるんだ」の「つひ」はママ。
「麗さ」「うるはしさ」。
「かへつて眼を雙方でむいて睨めあつてゐるのだ」の「睨めあつてゐる」はママ。
「諸(もろもろ)の家畜と野のすべての獸よりもまさりて詛はる」この部分、実は原典では「諸(もろもろ)の家畜と野のすべての獸よりもまさりて咀はる」となっている。しかしこの「咀」(嚙む・喰らう)では意味が通じない。更にここは明らかに「旧約聖書」の「創世記」の第三章第十四節の引用で、例えば、明治訳「旧約聖書」の同節は、『ヱホバ神、蛇(へび)に言(いひ)たまひけるは、汝、是(これ)を爲(なし)たるに因(より)て汝は諸(もろもろ)の家畜と野の諸の獸(けもの)よりも勝(まさ)りて詛(のろ)はる。汝は腹行(はらばひ)て一生の間(あひだ)塵を食(くら)ふべし』であるから、これは明らかに「詛」の誤りで「詛(のろ)はる」とよむことが明らかである。されば、特異的に訂した。彌生書房全詩集はやはりお目出度くも「咀はる」のママである。話にならぬ!
「われ汝と婦女の間」「および汝の苗裔(すゑ)と婦女の苗裔とのあひだに怨恨(うらみ)を置かん」「かれは汝の頭をくだき」「汝はかれの踵をくだかん」は前に注した「旧約聖書」の「創世記」第三章第十四節の次の第十五節の引用。明治訳「旧約聖書」では、『又、我、汝と婦の間および汝の苗裔(すゑ)と婦の苗裔の間(あひだ)に怨恨(うらみ)を置(おか)ん。彼(かれ)は汝の頭を碎き、汝は彼の踵(くびす)を碎かん』である。「踵」は「かかと」のこと。
「自分以外の何物をも拜んではならない」「自分の創造物を拜んではならない」「また汝等のつくつたものを拜んでもならない」「自分は天地の神である」これは「旧約聖書」の「出エジプト記」の第二十章の冒頭で偶像崇拝をモーセがヤハウェの言葉として民を戒めるシーンに登場するが、山村暮鳥は詩篇の流れに合わせるために後ろを簡略に操作している。明治訳では、「神、この一切(すべて)の言(ことば)を宣(のべ)て言(いひ)たまはく、我は汝の神ヱホバ、汝をエジプトの地その奴隷たる家より導き出(いだ)せし者なり。汝、我面(わがかほ)の前に我の外(ほか)何物をも神とすべからず。汝、自己(おのれ)のために何の偶像をも彫(きざ)むべからず。又、上(かみ)は天にある者、下(しも)は地にある者ならびに地の下の水の中にある者の何の形狀(かたち)をも作るべからず。之(これ)を拜むべからず。これに事(つか)ふべからず。我(われ)ヱホバ汝の神は嫉(ねた)む神なれば、我を惡(にく)む者にむかひては、父の罪を子にむくいて、三、四代(さん よだい)におよぼし、我を愛し。わが誡命(いましめ)を守る者には、恩惠(めぐみ)をほどこして千代(せんだい)にいたるなり。汝の神ヱホバの名を妄(みだり)に口にあぐべからず。ヱホバはおのれの名を妄に口にあぐる者を罰(つみ)せでは、おかざるべし』(以下、まだ続く)である。あまり理解されていないと思うので言っておくと、敬虔なキリスト教徒は、引用の最後の箇所で述べている通り、「ヤハウェ」とか「エホバ」とかを基本口にしてはいけないのである。]
神樣
あなたの創られた愚かな人間どもの中には
あなたを愛の神樣だなどとあがめて
それでいゝ氣になつてゐるあんぽんたんがをります
それがかなり澤山をります
あなたは愛の神樣ですか
いまもむかしもあなたは決して愛の神樣ではありません
あなたは苦痛の神樣です
あなたは怖しい神樣です
あなたは暴逆な神樣です
あなたは無情な神樣です
あなたは貪慾な神樣です
あなたは身勝手な神樣です
あなたはきまぐれな神樣です
あなたは眞實のない神樣です
あなたは自惚な神樣です
あなたは酒好きです
あなたは喧嘩好きです
あなたはをんな好きです
あなたは人間の泪をこのみ血をこのむ神樣です
人間と人間とのあらそひ
人間と人間以外の生物とのあらそひ
人間と自然とのあらそひ
すべての爭ひの種子を播くのはあなたです
あなたが不吉の火元なんです
かの大洪水で全人類をこの地上からすつかり滅亡ぼしつくされた時
お氣に入りのノアとその家族だけは殘されました
そしてたいへんなあの長雨の雨上りに
大空にうつくしい虹などをみせてよろこばれ
ノアにむかつて
その子孫をかぎりなく祝福すると云はれてゐながら
あなたの本性(うまれつき)はまるで空をゆく雲です
そんな契約などをまじめくさつて守つてゐるやうなあなたではありません
噓吐きのあなたは
けろりとした顏をして
すぐ人間窘(いぢ)めにとりかゝりました
あなたの人間窘め
あなたの弱い者窘め
それはもういまはじまつてのことではありません
めづらしいことではありません
まがなすきがそれです
ひまさへあるとそれです
日々のことです
夜の目もそれです
とても一々ならべたてられたものではありません
人間あつて以來ずつと絲のやうに引きつゞいてきたことです
いまといふいまゝでそれがためにどんなに人間は泣いたでせう
あゝおもへばよくもよくもこんなに憎まれて來たものです
こんなに憎まれ苦しめられながら
生きてきたのが不思議です
生きてゐるのが不思議です
いや、それでこそ人間なのです
たくさんくるしめてください
それが人間に堪へられるか
根競べです
力をゆるめないでください
可哀さうだなどとはゆめにもおもつてはくださいますな
愛されたくないのです
愛されると弱くなります
強いところが人間の價値です
そればかりです
意地です
此の意地があるのでばかり生き存へてきたのです
あゝ此の人間
神樣
おきゝでせうか
どうぞよくおきゝなすつてください
あなたは混沌から此の世界をばつくりなされた
あなたは光をつくりなされた
あなたはその光と闇とをわかちなされた
あなたは朝と夕とをさだめなされた
あなたは夜と晝とをさだめなされた
あなたは穹蒼をつくりなされた
そしてその穹蒼と大地とをわかちなされた
その穹蒼を天とよび
地に水のあつまれるところを海とよび
地には靑草と
實蓏(たね)を生ずる草と
おのづから核をもつところの樹々と
それらのものをつくりなされた
あなたはまた
夜と晝とにしたがつて
季節をさだめ
日をさだめ
時をさだめ
かゞやく二つの光をつくり
その大なる光をして晝を司どらせなされた
それが太陽です
その小さな光をして夜をまもらせなされた
それは月です
あなたはまた水には魚ら
天には鳥と羽ある蟲蟲
地には獸とすべての這ふもの
それら諸(もろもろ)のものをつくりなされた
いやはてにあなたは大地の塵より人間を
この人間をつくりなされた
それを男となし
女となし
男にはすべてのものに名をつけさせ
女をばすべてのものゝ母となされた
そしてすべてのものをその人間に與へなされた
その人間卽ちわれわれの大遠祖に
すべてのものをあたへなされたといふ
すべてのものをあたへなされたといふが
何一つあたへなされはしませんでした
それこそ何一つ
けれどいま人間は一切の所有者です
此の一切はみんな長い長いその年月のあひだの
くるしいくるしい努力からかち得たものです
われわれ自らのものです
いまからおもへば
あなたのわれわれ人間のためにつくられた此の世界は
それはそれは人間にとつては
不都合極まるものでした
われわれ人間の生活を脅かすものがみちみちてゐました
いまも頭を列べてをります
而もいつかはみんな降參させてしまふでせう
それを考へるとたのしみです
いふにいはれぬよろこびです
とにかく世界は
此の世界のはじめは
荊蕀と薊と石ころばかりのそこはひどい曠野でした
それをこんなにしたのです
それは人間です
人間が此の世界を拓いてこれほどにしたのです
かくもよくしたのです
かくも美しく見られるやうにしたのです
[やぶちゃん注:「可哀さうだなどとはゆめにもおもつてはくださいますな」の「可哀さうだ」はママ。「それら諸(もろもろ)のものをつくりなされた」のルビ「もろもろ」の後半、及び「われわれ人間の生活を脅かすものがみちみちてゐました」の「みちみち」の後半は原典では踊り字「〱」。
「まがなすきがそれです」「まがなすき」で一単語ととるしかないから、これは副詞の「間(ま)がな隙(すき)がな」後ろの「がな」(副助詞で例を挙げてと仄めかす意)の「な」を除去して勝手に名詞化したものか、或いは「な」の脱字で実は「まがなすきがなそれです」なのではなかろうか? 「間がな隙がな」の「間」「隙」は特定されない時空間を示し、「暇さえあればどんな時もどんな場所でもいつでも・しょっちゅう・ひっきりなしに」が副詞としての意味であるが、次の一句が「ひまさへあるとそれです」とあるからには、実は「な」の脱字である可能性が非常に強く疑われるのであるが、取り敢えず、ここは暫くママとしておく。]
もうやめます
いくら言つても際限のないことですから
神樣
どんなにかおきゝぐるしかつたでせう
すみません
だがかうして何もかも言つてしまふと
この胸がせいせいします
これはいゝことです
かうして何のかくしだてもなくすべてを披瀝することは大切なことです
うるはしいことです
お互いの理解の上に
これほどいゝことはありません
たゞわれわれにものたらないのは
あなたのお心のわからないことです
あなたは永遠の祕密ですか
さうです
さうです
そんなことは何だつていゝのです
こちらのこゝろさへわかつてゐてくだすつたらそれでいゝのです
神樣
世はさまざまで
世の中にはあなたを知らないものも澤山あります
あなたを知らないのです
知らないからたよらないのです
それでも生きてゐます
あなたを拜んだり
あなたに大願をかけたりするために
一錢半錢のはしたがねをあなたの賽錢箱にうやうやしく投げ込む人々より
またあなたをお宮の中に祭りこんだり
眼ざはりにならない神棚の高いところへ押上げたりして
あなたを鼠の族と同棲させ
あなたを埃だらけにしてゐながら
それでも自分は信心深いと自惚れてゐる人々より
彼等はあなたを知らなくとも
彼等はあなたをたよらなくとも
彼等がいかに淳朴ですか
彼等がいかに善良ですか
あなたを知らないだけそれだけ彼等は天眞爛漫です
たまたま彼等のあるものが
ちよつとまちがつたことでもすれば
すぐ大袈裟にもあなたを知らないからといふ者はあるのです
あなたを知らないからでせうか
或はさうかも知れません
そんならあなたを知つてゐないといふ理由で
彼等を責めないでください
人々の中にはあなたを知つてゐるといひまた知つてゐながら
惡いことをする者があります
あなたを知らない彼等などより
それはそれは大へんな罪を犯すものがあります
それにくらべれば
彼等はあなたを知らないのです
知つてゐて大罪を犯すのより
いくら恕す可きであるか解りません
寧ろ不憫とすらおもはねばならないものが多いのです
如何にも彼等はあなたを知らないから
惡いことをします
けれど善いこともします
あなたを知り
あなたをたよつてゐるものは
なるほど惡いことも少いでせう
絶對にではありません
たゞ比較的にといふほどのことです
惡いことが少いのです
さうです
そして善いこともしないのです
あなたは神樣です
あなたの信者をもすこし何とかしてやることはできませんか
神樣
もうやめませう
私はいろんなことを云ひました
瀆神此の上もないやうなことまで口走りました
すべての私の正直からです
眞面目からです
惡くおとりになつては困ります
あるひとびとはいひます
みんな噓だといひます
私のいふ事
あなたの事
みんな噓だといひます
噓でせうか
さらに天地開闢のこと
アダムとイヴのこ
その子等のこと
大洪水のこと
バベルの塔のこと
その他のこと
みんな一つとして眞のことではないといひます
さうでせうか
私もさうおもひます
みんな噓であればいゝと思ひます
みんな噓であれ
だがこれだけはどうしても疑ふことが出來ない
それは人間の惡いことです
それは人間の善いことです
それからその善い惡いの上にたつて
その善い惡いを自らで審判(さばい)てゐることです
そして人間の弱いことです
そして人間のみすぼらしいことです
けれどそれとゝもに
人間の強いことです
運命のつきだすその槍の穗尖をほゝゑんでうけうるほど
それほど強くなつたことです
あゝ神樣
われわれの大遠祖達があの樂園を逐はれてから
もうどれほどでせう
そのながいながい
とても信じられないほど長い年月のあひだに於て
そのくるしいくるしい日日の經驗から
これは獲得したものです
人間の性です
そればつかりで生きてゐられる人間の唯一のものです
あゝ神樣
創世以來の神樣
ふるい神樣
幻滅の神樣
噓のやうな神樣
人間はめざめました
あなたはもう消えてなくならなければなりません
けれど神樣
眞のあなたである神樣
理想としての神樣
それをわたしはわれわれ人間にみつけました
眼ざめた人間がそれです
あなたに詛はれた此の大地を
ともかくも樂園とした人間です
その人間です
おゝ新しい神樣
[やぶちゃん注:「一錢半錢のはしたがねをあなたの賽錢箱にうやうやしく投げ込む人々より」の「うやうや」の後半、「それをわたしはわれわれ人間にみつけました」の「われわれの」後半は孰れも原典では踊り字「〱」。
「あなたに大願をかけたりするために」彌生書房版全詩集ではここが「あなたに大願をかけたりするためには」と「は」が加えられてある。異様に不審である。
「人間の性です」老婆心乍ら、この「性」は「さが」である。
「あなたに詛はれた此の大地を」これは原典では実は「あなたに咀はれた此の大地を」となっている。先と同様、この「咀」は明らかにおかしい。読めない。されば特異的に「咀」は「詛」で「詛(のろ)はれた」の誤記或いは誤植として訂した。彌生書房版全詩集は「あなたに咀はれた此の大地を」とそのままである。どう読むつもりなのか?!]