劇場にて 山村暮鳥
初稿本「三人の處女」に含まれる予定であった詩篇群
[やぶちゃん注:白神正晴氏の山村暮鳥研究サイト内の「山村暮鳥年譜」によれば、実は山村暮鳥は先に示した詩集「三人の處女」の刊行に先立つ一年余前の、明治四五(一九一二)年三月(この年の七月三十日に大正に改元。暮鳥、二十八歳)下旬に企画しており、現在知られる詩集「三人の處女」の本当の詩集名は元は実は「光る噴水」というのが正式名であったという。即ち、詩集「三人の處女」と称するものには、現在の内容とは甚だ異なる詩群が含まれた初稿本が存在しているのである(但し、この詩集は未刊である。但し、不審な点がある。それは所持する後の詩集「聖三稜玻璃」の末尾の広告的な『著作』の箇所には『三人の處女』『詩集(既刊)』とし、その後に『光る噴水(「三人の處女」改題)』『詩集(絶版)』とあることである。しかし実際に初稿本の「三人の處女」が刊行された事実は調べる限り、ない。これは偽りとしか言いようがない。或いは、山村暮鳥の中の期待された詩集刊行の妄想ではなかったか?)。以下ではそれを、例の昭和五一(一九七六)年彌生書房刊「山村暮鳥全詩集」(第六版)の『初稿本「三人の処女」から』を参考としつつ、例の仕儀の通り、恣意的に漢字を正字化して以下に電子化することとする。この電子化もネット上では初めてのものと心得る。なお、そうした経緯を考えると、以下の詩篇は編年体式配列であるなら、これらは或いは厳密には詩集「三人の處女」の前に配すべきもののようにも思われるが、ここは彌生書房版全詩集の配列に準じた。]
劇場にて
銀鼠色(ぎんねず)はかはたれのいろ。
さみしいいろ。
夢のお江戸の春の帝國劇場の
「人形の家」に雨がふる。
音もせずしてふりそそぐ。
しづかに、しづかにふりそそぐ。
そつと幕間(まくま)をぬけいでて
それをながめる
わかいノラさん、
雲雀さん。
何(なん)にもしらない女優さん。
銀鼠色はかはたれのいろ。
お前は、千や二千の拍手(はくしゆ)より
かわいた舌にほんのりと
しみて滅(ほろ)びてきえてゆく
一杯の、淡(うす)い紅茶(かうちや)がほしくはないか。
[やぶちゃん注:松井須磨子(ノラ役)によるイプセン作・島村抱月訳になる「人形の家」の帝国劇場での公演(文芸協会での私演に続く第二回公演)は本初稿本「三人の處女」の企画される四、五ヶ月前に当たる、明治四四(一九一一)年十一月二十八日から同年十二月五日まで、行われている。当時の須磨子は満二十五歳であった。
「雲雀さん」「人形の家」の夫ヘルメル(島村訳では「ヘルマー」と表記)は、ノラのことを何度も『家の雲雀』『家の小雲雀』と揶揄して呼んでいる。「青空文庫」の島村抱月譯「人形の家」を参照されたい。
「何(なん)にもしらない女優さん。」これは前の「わかいノラさん、」「雲雀さん。」と並列で、幕間(まくあい)に一人、雨を眺めているノラ=松井須磨子のことであろう。「雲雀さん。」で句点なのは気になるが、それはこの前二つが戯曲内での呼名であり、後が実際の女優松井志摩子を指しているのだと考えれば、腑に落ちる。]