秋の日の事實 山村暮鳥 / 詩集「三人の處女」~了
秋の日の事實
Ⅰ 噴水
――譬喩(たとえ)は、悲し。
秋の日の、
噴水の、
やすらかに眠れる。
こしからに
搖げるは
ひめにし「幸(さち)」か、
いたまし。
玉の如く、
なやむ心の
さてこそ、
脆き、その夢。
[やぶちゃん注:ルビ「たとえ」はママ。]
Ⅱ 所現
その眼にとめた
空は餘(あまり)に悲しかろ、
そして小(ち)さかろ、
赤とんぼ。
秋の入日の
うつくしや、心の如し。
[やぶちゃん注:「所現」は仏教用語ならば「唯心所現(ゆいしんしょげん)」或いは「三界(さんがい)唯心所現」で、三界(欲界・色(しき)界・無色(むしき)界から成る自己を存在させている喜怒哀楽を現象とする全現実世界総体)は実はその総てが、ただ自分自身の心の現われとして立ち現われて見えているに過ぎないとする考え方を指す。暮鳥はキリスト者であるが、そうした意味でここでもこれを使っていると考えて私はよいと考える。]
Ⅲ 屋根の草
靑い心にかがやくものは屋根の草、
いとしや「明日(あした)」を繰返し
又雨のひそひそと‥‥
屋根の草は黃(きいろ)い花をつけて濡れ、
わが神經は白金(プラチナ)の樣に眠る。
女よ、女よ。愛はおぼれて暗がりを螢の樣に
ぽうと飛ぶ。
[やぶちゃん注:六行目は「螢の樣に」が改行されているが、これは一字下げが施されてあって明白に前行からの続きであることが示されているものであり、かく繋げて示した。]
Ⅳ 不可解
ながれ行く――
雲はかなしや――
音のなし
…
秋の日の
その雲――
わが愛の如き
もろさに――
ふく風の、うつくし‥
[やぶちゃん注:ダッシュも印刷が擦れて断続しており(それは再現していない)、リーダも非常に不鮮明でドット数を確定出来ない。素直に考えれば三行目も最終行も二点リーダの四ドットとすればよいのであろうが、取り敢えず二本の初版を拡大してもこれしか視認は出来ない。
なお、本詩篇を以って詩集「三人の處女」の本文は終了している。この後に初版では目次があるが、省略した。]

