聖母子涅槃像 山村暮鳥
聖母子涅槃像
ごろりと家畜のやうにころがつて
むねもあらはに
つきだされた乳房
それにすひついてゐるあかんぼ
あついあつい晝日中
靜穩(しづか)なしづかな疊の上
そしてこゝにも
蚤がをり
蠅がをり
けれどいゝこゑの蟲がをり
窓ぎはにゆれてゐるのは
矮(せびく)の規那鐵葡萄酒の
空罎にさゝれてさいてる石竹の花である
からりとあけはなたれた座敷
蒼空のやうなさはやかさ
ぐつたりと寢ころんでゐる母とその子のまうへをはしり
つゝとはしり
つゝと座敷をつきぬけてゆく
一匹の麥稈とんぼ
あついあついといつてゐるまに
もういつか秋ぐちである
[やぶちゃん注:「矮(せびく)」背が低いこと。ごく矮小な葡萄酒瓶なのである。
「規那鐵葡萄酒」「キナてつぶだうしゆ」と読む。こちらに、『明治四十年代には、「人参規那葡萄酒」ないし「規那鉄葡萄酒」と呼ばれる薬用酒が流行した。これは滋養強壮の目的のものであり、この「人参」とは朝鮮人参、「規那」とはアカネ科の常緑高木キナの樹皮から採れる「キニーネ」、そして「鉄」とは貧血に効くという鉄分を指している。このびんは明治三十九年に創業した星製薬のものであ』るとあり、こちらでその罎が見られる。この瓶は大正八(一九一九)年のものであるから(ここのデータ)、本詩集の発刊年(大正一〇(一九二一)年)の直近で、このリンク先の画像の左側の著しく背の低い座りのよい罎に石竹(ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク Dianthus chinensi)を挿してイメージしてよいように私は思われる。
「麥稈とんぼ」「むぎわらとんぼ」で「麥藁蜻蛉」、所謂、「塩辛蜻蛉」(トンボ目トンボ科ヨツボシトンボ亜科シオカラトンボ属シオカラトンボ亜種(日本産)Orthetrum
albistylum speciosum)のこと。]

