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2017/03/30

眞實に生きようとするもの   山村暮鳥

 

       眞實に生きようとするもの

 

[やぶちゃん注:本詩篇と次の詩篇は異様に長いので、必要な場合は、各連末に注を附した。]

 

妻よ

お前はジアン・フランソワ・ミレーを知つてゐるだらう

それを本で讀んだことがあつたらう

あの畫描きのミレーのことだ

自分達はよく彼のことをはなした

彼がいかにまづしくあつたかをはなしあつては胸を一ぱいにし

自分達の境遇をなぐさめ

凡そ地上に芽ぶいたものは

そして一きは高く蒼天をめがけるものは草木ですら

みんなかうだと

彼によつて自分達の仕事はいまもはげまされるのだが

それでも二人はいくたび熱いなみだをふいたことか

ほんとに彼のびんぼうは酷かつた

彼等のことをおもへば

自分達のびんぼうやくるしみなどはなんでもないと言はねばならない

 

こゝは雪もみぞれもふらない國だ

どこへいつても

大きな蜜柑がいろづいてぶらぶら枝をたはめてゐる

こんなところへきて

この南方のあたゝかい海のほとりで

避寒してゐる自分達

避寒してゐるなどときいたら

なんにもしらないひとびとはなんといふだらう

なんとでもいはしておけ

なんとでもおもはしておけ

とはいへ

このさんたんたるせいくわつはどうだ

あの喀血にひきつゞくこのまづしさとくるしみ

このさんたんたるせいくわつを見ろ

雨がふればどこに棲まはう

風がふけばどこに寢よう

あゝかうして廣い野原をさまよふ小鳥のやうな自分達

自分はいゝ

自分だけならいゝ

またどんなことでもそれが妻や子どものためならばしのばう

よろこんでしのばう

けれど世にでたばかりのあかんぼの上にまで襲ひかかるこのあらし

これはどうだ

[やぶちゃん注:「こゝは雪もみぞれもふらない國だ」本詩集刊行当時(大正一〇(一九二一)年五月二十五日。暮鳥三十七歳)の暮鳥一家は大正九(一九二〇)年一月二十七日から茨城県磯浜町(いそはまちょう)(現在の大洗町(おおあらいまち)明神町(みょうじんちょう))の別荘に移っている(転地療養。但し、この前には実は目まぐるしく茨城県内での移転を繰り返している。詳しくは白神正晴氏の「山村暮鳥年譜」を参照されたい)。本篇は本詩集の掉尾から二番目の詩篇であり「こゝ」とはこの磯浜町と考えてよいであろう。ここで整理しておくと、暮鳥は三年前の大正七(一九一八)年の半ば(当時は水戸ステパノ教会勤務)より結核の顕在的な重い症状が認められたようであり、同年九月二十八日には大喀血を起こし、翌大正八年六月初旬には日本聖公会伝道師を休職している。

「大きな蜜柑がいろづいてぶらぶら枝をたはめてゐる」の「たはめいて」はママ。

「けれど世にでたばかりのあかんぼの上にまで襲ひかかるこのあらし」とあるが、すぐ前に「どんなことでもそれが妻や子どものためならばしのばう」「よろこんでしのばう」とあるから、この「あかんぼ」は暮鳥の子ではなく、広く生まれたばかりの赤子たちのことを指しているように私には思われる。彼の次女千草は大正七年九月の出生で既に「あかんぼ」ではないからである。]

 

いかにもよい日和(ひより)の中では

そしてなにふそくなくくらせるときには

どんな立派なことでも言へる

どんな立派なことでも言へ

それでよかつた

だがいま自分は野獸にかへる

これぐらいのくるしみがなんだ

自分はいゝ

自分を打て

自分の上にのしかゝれ

愛するものよ

おまへたちをおもへば自分は人間をわすれる

そして荒野の獸になる

 

あゝ、自分は感謝する

この人間としてのくるしみによつて

このくるしみこそ

神の大きな愛だといまは知るから

きたれ

それでも巣はみつかつた

やつと身をいれるにたりるだけの四疊半と三疊との小さな巣

梢にゆれてゐるやうな巣だ

あのうれしさをおぼえてゐるか

ひさしぶりでのんびりと

つかれた機蟲(ばつた)のやうに足を伸ばした冷いうすいあの垢染みたかしぶとんの上を

うすぐらい豆粒のやうな五燭電燈の光のしたでとぢた眼睫を

それでもぐつすりとよくねたあの夜を

だがまた朝となり

めざめればめのまへには雲のやうに湧きあがつて

自分達をまつてゐるくるしみ

大鷲のやうに爪を研ぎ

つかみかゝり

またかぶりつき

たうとう自分達は最後の銅錢一つすらのこさず搔きさらはれて既に十日餘

いまははや一枚の葉書も買へず

手紙は書いても出すことができず

ひげはのび

からだはあかじみた

妻よお前の藥もかへない

玲子よお父さんがおまへにはお伽噺でもしてきかせよう

やりたいけれどやることのできない

これはお菓子のかはりだ

いつしか空つぽになつてゐる罎と甕

味噌も油もまつたくつきてゐるけれど

而もまだ米櫃のそこには穀粒がちらばつてゐる

その穀粒をみると

おのづからあはさる此の手だ

それでいのちはつながつてゐるのだ

絲のやうにもほそぼそと

それもなかつたら

自分達はもうとうにむつまじく枕を一列にならべて

この生きのくるしみから

やすらかにゆるされてゐたんだ

おゝ妻よ

それから死んだおぢいさんよ

なにもかもこれなんです

恨んではくださいますな

[やぶちゃん注:「五燭電燈」以下、Q&Aサイトの答えから纏める。ピンポン玉より少し大きめのボール型球でガラス部分は内面がつや消しの磨りガラスで外側は滑らか。通称を「こだま」(小球又は小玉か)と称し、「五」は五カンデラで、その消費電力をワット表示に直すなら、ほぼ八ワットほどで、主に常夜灯として寝間・居間・トイレ・玄関などに使われた。

「妻よお前の藥もかへない」妻富士の病気は不詳。

「玲子」大正三(一九一四)年六月十八日生まれの長女。

「死んだおぢいさん」前に「妻」を出しているから親族を指すが、実際の祖父であるかどうかも判らぬので不詳としておく。]

 

すべては自分の意志からくる

自分はそれをしつてゐる

けれどこればかりのことでへし折れるやうな意志ではない

びんぼうがなんだ

びんぼうがなんだ

金錢のためにこの首がぺこペことさがるとおもふか

はづかしいのはびんぼうではない

そのくるしみに屈することだ

強い大きな意志をもたないことだ

強い大きな意志をもて

妻よ

それはそれとして自分はおまへのまへに跪く

おまへは女であるけれど

まるで戰場のつはもののやうだ

このせいくわつの戰場で

病める夫をみにひきうけ

わがみのことなどはおもふひまもなく

そのうへ

子どもらを育てはぐくむその忙しさ

妻として母としてのたえまなきこゝろづかひ

自分はおまへが髮結ひをよんだのをみたことがない

いつも自分自身の手でかきあげる

結婚當時はそれでもやゝていねいに

顏や襟首にまでもすこしは氣を配つてゐたやうであつたが

此の頃は髮もかんたんなぐるぐる卷き

ぐるぐる卷きは自分も好きだ

それだとておまへはすきやこのみでするのではない

それはよくわかつてゐる

疊みかさなる苦勞から

あのふさふさした燕色の黑髮も

こんな黃蜀黍(たうもろこし)の房となる

そしていまはそれがかへつてよく似合ふやうな女になつたお前

それから手足のそのひゞやあかぎれ

なりにもふりにもかまはず

否、かまつてゐるまももたないお前

そしてまだ齡若なお前

それらが自分をものかげにつれていつてはよく泣かせる

自分はえらんだ道だからいゝ

自分は自分の道のうへに屍骸を橫へるのだからいい

でもおまへたちまで犧牲にするかと

それが自分をくるしめる

妻よ

子ども達よ

自分はびんぼうだからとてもおもふやうなことはできない

おまへたちにぜいたくはさせられない

それはこんな人間を父にもち夫にもつたものゝふしあはせで

また實にお前達一生のわざはひといふものだ

けれどおもへ

金錢づくではどうともならない

一切のうへに立つもの

一切を征服するもの

一切の美の美

それをこのびんぼうやくるしみはあたへてくれる

みかけだほしではない

正しいほんとの人間にしてくれる

立派にかゞやく人間であれ

内から立派に

おゝ谿間をながれる雪水のやうなこのびんぼうのきよらかさは

切られるやうなこのくるしみの鋭さは

[やぶちゃん注:「金錢のためにこの首がぺこペことさがるとおもふか」彌生書房版全詩集(第六版)は最後の「ふ」が脱落している。これは意味がとれなくなってしまう非常に痛い脱字である。

「ぐるぐる卷き」「櫛巻(くしまき)」か。和装女性の髪形の一つで髷(まげ)を櫛でくるくると巻いた形のもので、女髷の中では最も簡単なものの一つである。

「みかけだほしではない」の「みかけだほし」はママ。歴史的仮名遣なら「みかけだふし」でなくてはおかしい。]

 

あれあれ御覽

あの遠天に小さくみえて鴉が二羽

けふのこのときならぬ強風に

この風をつきぬけ

この風をつきぬけ

この大空を橫切つて飛ばうとしてゐる

そしてこの強風とたゝかつてゐる

その下は荒狂ふ大海原だ

どこへゆかうとする鴉らか

遙にめざすかなたには巣でもあるのか

かあいゝ雛でもまつてゐるのか

人間はみな二十日鼠のやうにみすぼらしくも

終日家にとぢこもり

氣をくさらし

火に獅嚙みつき

而もなほ縮み上つてゐるであらうに

妻よ

なんといふ雄々しい鴉だらう

あゝ莊嚴である

相愛し

相勵ましてとべ

この強風をつきぬけろ

餓ゑかつあらそひののしりさはいでまつてゐるやうな怖しい波間に

いまにも叩き落されさうにみえ

それでゐてなかなか強い翼の鴉ら

人間もおよばぬほどの勇敢な鴉ら

ひらひらと木の葉のやうに

さうかとみればひきはなたれた弓矢のやうに

自分は耻ぢる

耻ぢながらも自分は讃へる

おゝ自分達夫婦のやうな鴉ら

[やぶちゃん注:「獅嚙みつき」「しがみつき」。

「餓ゑかつあらそひののしりさはいでまつてゐるやうな怖しい波間に」の「さはいで」はママ。

「耻ぢながらも自分は讃へる」の「讃」は原典の用字。]

 

わが妻よ

しかしもはや暴風雨は自分達のうへを通過する

ミレーは彼等をたづねてきたその友になんと言つたか

よくきてくれた

君がきてくれなかつたら自分達はどうしただらう

自分達はもう三日間も食べない

だが子どもらのパンはさつきまでやつとまにあつた

それから妻君にむかつて

その友のもつてきたものをてわたしながら

おい、これで薪木を一束買つてきてくれないか

寒くつてたまらない

みればミレーは汚い木箱に腰をかけ

眞蒼な顏をふせ

ぶるぶるふるへてゐたといふではないか

妻よおまへも聽いたらう

これがミレーの言葉だ

これが眞實に生きようとする人間の言葉だ

この言葉は力強くも

自分を生かす

人間を生かす

 

何もかもしのんでおくれ

しばらくしのんでおくれ

いまは冬だが

自分に新しい芽のふくまでだ

翼の強くなるまでだ

そして飛び且つ驅出せるやうになるまで

跳ねかへれ、力よ

躍りあがれ、力よ

こんな自分は自分でない

こんな自分はいまにほんものゝ自分が生れ

一こゑ雄獅子のやうに咆えるとき

尻尾をまいてこそこそ逃げだす野良犬のやうな自分だ

いまにみろ

いまこそ自分は自分を信ずる

妻よ子どもたちよ

よろこべ

このまづしさを

このくるしみを

すべてはこのさんたんたるどん底から來る

 

[やぶちゃん注:この長詩「真実に生きやうとするもの」は大正八(一九一九)年の年初に発行された『苦悩者』に掲載された「真実に生きやうとする自分の詩」が初出形かと思われる。この詩に対し、本詩集で序を寄せた有島武郎から二月二日附で推讃の手紙を受け取っている(白神氏の「山村暮鳥年譜」に拠る)。]

 

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