柴田宵曲 妖異博物館 「消える灯」
消える灯
筑後國に住む士の家に奇怪な事があつた。用心のため、夜は廣間に有明(ありあけ)の灯を置くのに、夜半人靜まつて後、必ず消える。主人は家來どもの怠慢を責め、從者は油を多く湛へ、燈心を太くして注意してゐても、夜半過ぎて睡る頃になると、灯が消えるのである。これたゞ事にあらずと騷ぐ時、小童の利口者が進み出て、今夜は私が番をして、何で灯が消えるか見屆けませう、と云つた。主人は喜んでこれを命じ、小童は夜に入ると共に燈の下に假寢して居つたが、もとより少しも睡りはせぬ。果して夜半過ぐる頃、その童の聲で、化物をつかまへました、皆さん、來て下さい、と叫ぶので、家來達が集まつて見たら、正體は大きな梟(ふくろふ)であつた。古く住み荒した家の事で、破風の壞れたあたりから入つて、天井の中に住んでゐたものであらう。それが鼠を捕つて食ふため、夜半人しづまつて後、天井の破れから廣間へ飛び下りる。その羽風で灯が消えたものとわかつた(醍醐隨筆)
[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここの左下末から視認出来る。今回、国立国会図書館デジタルコレクションから同書をダウン・ロード、今まで不明であった箇所は総てリンクさせたので確認されたい。]
梟や木兎(みみづく)が鼠を捕る話は聞いてゐるが、それが古家の天井に住み、鼠を捕るために飛び下りて、有明の灯を治すのは意外であつた。ちょつと考へられぬ事柄だけに、昔時も化物扱ひされたものであらう。
[やぶちゃん注:「梟や木兎」鳥綱フクロウ目フクロウ科 Strigidae のフクロウ類の内、羽角(うかく:兎に「耳」のように毛が立っている部分)を持つ種群を「木兎(みみずく)」(単に「づく(ずく)」、古くは「つく」と呼称した)、羽角を持たず、つるんと丸くなっている種群を「梟(ふくろう)」と通称する。ウィキの「ミミズク」によれば、『分類学的には単一の分類群ではなく、いくつかの属からなる。これらはフクロウ科の中で特に近縁ではなく、系統をなしてはいない』。『ミミズクの種の和名は「〜ズク」で終わるが、「〜ズク」で終わっていても』フクロウ科アオバズク属Ninox(アオバズク Ninox
scutulata など)には『羽角はなく』、『ミミズクとはいえない。また、シマフクロウ』(フクロウ科シマフクロウ属シマフクロウ Ketupa blakistoni)『のように「ミミズク」と呼ばれなくとも羽角があるフクロウもいる』。因みに、『英語にはミミズクを総称する表現はない。羽角のあるなしにかかわらずowlと総称する』。以上のように、鳥類学的というより、生物学的分類では全くないので注意されたい。]
酒井家の臣淺井亦六といふ士が草津に湯治した時、綺麗な家があつたので、泊らうとして宿賃を問ふと、先づお泊り下さいまして、思召次第でよろしうございます、といふ。それは怪しい答へだ、初めにきめなければ泊れぬ、と云つたところ、この家は三日と逗留する人がございませんので、家居も損じませず、他より綺麗に見えます、とにかくお泊り下さいまし、愈々御逗留となりましたら、世間竝のところを申上げませう、といふ變つた挨拶である。何で人が泊らぬか、そのわけを聞かう、と重ねて問へば、この宿は夜中に怪しい者が出て、人をたぶらかすといふことで、お客樣は一二晩とお過しなさらずにお歸りになります、私どもの住みます方は何事もございませんが、宿の方は右樣の次第で、と亭主が云つた。それは面白い、旅中の慰みにもならう、と亦六は主從二人で泊ることにし、一晩中寢ずに待つてゐたけれども、遂に何も出ない。亭主を呼んでさう云つたら、それは御勇氣に恐れて出ないのかも知れません、もう少しお試し下さいまし、といふ。晝は湯に入り、夜になれば待ち構へてゐるほどに、夜更けてうとうとした時、小兒のやうな者が來て灯を消した。すかさず拔打ちに斬り付け、僅かに手ごたへはありながら、人を呼んで明りをつけさせて見ると、何の形もない。かういふ事が二晩續いた。三晩目には亦六も考へて、今までは脇差を用ゐたから、短くて屆かなかつたかも知れぬと、刀を橫たへて待つた。何分三四日の間、晝は入湯し、夜は徹夜であつた爲、この晩は宵のうちから熟睡してしまつたが、曉近い頃、何者か灯を消し、膝より這ひかゝつて、額に觸れたものがある。目を覺すが早いか、橫なぐりに打ち拂ふ。強く手ごたへして逃げ去つた模樣であつたが、明りをつけさせて見れば、例の如く何の形もない。たゞ血が少しこぼれてゐたので、夜が明けてから亭主を呼び、血の筋を尋ねて見ろ、と命じた。庭には更に血の痕が澤山ある。土地の者三四人、血の筋を辿つて行つたら、一里ばかり先の山の麓に小さな穴があつて、血はこゝまで續いて居り、穴の中に古狸が橫に斬られて死んで居つた。爾來この宿の怪は止んだ。亦六は武術に達し、殊に居合の名人で、錢を高く抛らせて、落ちるところを二刀づつ斬り放したさうである(窓のすさみ)。
[やぶちゃん注:「酒井家」話柄は江戸であろうから、元三河国の在地領主で譜代大名となった、一族から大老や老中を輩出した「大老四家」の一つのそれであろう。
「淺井亦六」不詳。通称の方は「またろく」であるが、「淺井」の読みは「あざい」の可能性もある。
「思召」「おぼしめし」。
「右樣」「みぎやう」。右に述べた通りの様子。
「窓のすさみ」以前に述べた通り、所持しないので原典は示せない。]
前の梟が燈を消したのは、半ば偶然のやうなものであつたが、後の狸は灯を消して後、惡戲をしたらしい。そのため宿泊者が絶えたのを、亦六に𢌞り合せて自ら命を殘す結果になつた。
[やぶちゃん注:「𢌞り合せて」「めぐりあはせて」。]