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2017/03/16

金雀花   山村暮鳥

 

  金雀花

 

我が罅(ひび)多き腦盤はけむりの如く、

かすかな痛みにくもり、

けむりの如き痛みはやがて雨となり

微睡(まどろみ)のつかれに沈む。

 

我が罅多き腦盤はけむりの如く、

舖石(ペエヴメント)の如く、

影と愁ひの混雜に梢は光り、

梢よりこぼれて花は腦盤に夢と

黃色の滴りをまだらに殘す。

 

我が瞳孔(ひとみ)に小さき音樂あり、

沁みゆく花あり、

されどその瞳孔をひらいて笑ふ

三味の音の弛きを好む。

 

(あゝ呼吸(いきづ)くやうな金雀花(えにしだ)よ!)

 

見よ街上をかたりさゞめく群は

電燈の光りに並ぶ、

夜、

人々はみな若くしてうつくしい。

 

我が罅多き腦盤はけむりの如く、

わが金雀花は、

かすかな痛みにくもり匂ふ。

 

[やぶちゃん注:「燈」は底本の用字。これより後は自由詩社の詩誌『自然と印象』へ投稿した独立詩篇と思われる。

「金雀花」マメ目マメ科エニシダ属 Cytisus の鑑賞用花卉低木としてのそれらを広く指すが、狭義には同属エニシダ Cytisus scoparius を指す。ウィキの「エニシダ属」によれば、『原則として黄花だが、白花もあり、交配種には、赤・牡丹色・ピンク・オレンジ色や、それらと黄色の複色花になるものもある』。原産地は地中海沿岸で、『開花期は春。明治期に導入され、湘南地方など海岸沿いの温暖な砂地の庭木や公園用樹として植えられている。また、この種は成熟すると殻が激しく爆発することで遠くへ飛んでいくことが知られている。時には』十五メートルほども『飛んでいくこともある。全草にスパルテイン、サロタムニン、ゲニステイン、スコバリンなどのアルカロイドを含み、有毒である。『西洋ではエニシダの枝から箒(ほうき)を作った。魔女がまたがって空を飛ぶという箒もエニシダの枝でできているという』ともある(下線やぶちゃん)。この事実から「金雀花」を詠み込むこと自体が、当時は我々が想像するよりも遙かにハイカラで鮮烈な印象(そもそも本篇ではこれまた強い現像性を同時に保持してた詩語としても使用されているのである)を持っていたことが判る。そのようなものとしてイメージする必要を欲しているものとして読まねばならぬということである。

「腦盤」聴き慣れない熟語であるが、磐(いわ:岩)のような、ろくでもない、罅だらけの、今にも崩れ壊れそうな、塊りとしての自分の脳味噌、といった卑称表現であろう。

「舖石(ペエヴメント)」「ペエヴメント」は「舖石」(しきいし)のルビ。“pavement”(舗装道路・舗道・舗装・舗装した歩道)。言わずもがなであるが、かくルビするのは、「舖石」という物体や一つの敷石(“a paving stone”)或いは敷石としての一枚の板石(“a flagstone”“a slab”)ではない、例えば夜の街に続く「舖石道」の持つような、複雑な光の照りや反射反映をイメージさせることを意図している。

「弛き」普通は「たゆき」で、力なくダルな感じを指す。ここはややフラットに「ゆるき」と訓じている可能性もなくはない。しかし全体のメランコリックな雰囲気と、後のそれを「好む」と名指すところからは私は「たゆき」がよいように思う。]

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