朝朝のスープ 山村暮鳥
朝朝のスープ
其頃の自分はよほど衰弱してゐた
なにをするのも物倦く
なにをしてもたのしくなく
家の内の日日に重苦しい空氣は子どもの顏色をまで憂鬱にしてきた
何時もの貧しい食卓に
或る朝、珍しいスープがでた
それをはこぶ妻の手もとは震えてゐたが
その朝を自分はわすれない
その日は朝から空もからりと晴れ
匙まで銀色にあたらしく
その匙ですくはれる小さい脂肪の粒粒は生きてきらきら光つてゐた
それを啜るのである
それを啜らうと瀨戸皿に手をかけて
瘻れてゐる妻をみあげた
其處に妻は自分を見まもつてゐた
目と目とが何か語つた
そして傍にさみしさうに座つてゐる子どもの上に
言ひあはせたやうな視線を落した
其の時である
自分は曾て自分の經驗したことのない
大きな強いなにかの此身に泌みわたるのを感じた
終日、地上の萬物を溫めてゐた太陽が山のかなたにはいつて
空が夕燒で赤くなると
妻はまた祈願でもこめに行くやうなうしろすがたをして街にでかけた
食卓にはさうして朝每にスープが上(のぼ)つた
自分は日に日に伸びるともなく伸びるやうな草木の健康を
妻と子どもと朝朝のスープの愛によつて取り返した
長い冬の日もすぎさつて
家の内はふたたび靑靑とした野のやうに明るく
子どもは雲雀(ひばり)のやうに囀りはじめた
[やぶちゃん注:七行目「それをはこぶ妻の手もとは震えてゐたが」の「震え」はママ。
「瘻れてゐる妻をみあげた」「瘻」の字は、腫れ物・瘡(かさ)・「できもの」の謂いで、読めない。彌生書房版全詩集はこの字で表記している。しかし恐らくは、これで「やつれている」と読んでいるものと思われ、それだと「寠れてゐる」とごく似た漢字がここに当てはめられることが判る(加工データとして使用した「青空文庫」版(底本・昭和四一(一九六六)年講談社刊「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」)でもこの字を採用している)。ここは原典のママとして、かく注を附しおくだけとした。
「大きな強いなにかの此身に泌みわたるのを感じた」彌生書房版全詩集及び上記「青空文庫」版は孰れも「泌みわたる」の「泌」を「沁」に《訂して》いるが、従えない。「泌」には国字としては「しみる」(沁みる・滲みる)の意があり、《訂する》必要を私は認めないからである。]