翼 山村暮鳥
翼
よろこびは翼のようなものだ
よろこびは人間をたかく空中へたづさえる
海のやうな都會の天(そら)
そこで悠悠と大きなカーヴを描いてゐる一羽の鳶
なんといふやすらかさだ
それをみあげてゐるひとびと
彼等の肩には光る翼がひらひらしてゐる
うたがつてはならない
彼等はなんにも知らないのだが
見えない翼はその踵にもひらひらしてゐる
[やぶちゃん注:一行目「よろこびは翼のようなものだ」の「ような」、二行目「よろこびは人間をたかく空中へたづさえる」「たづさえる」はママ。なお、最終行の「踵」の字であるが、これは詩集原本では実は、《「路」-「各」+「童」》という異様な漢字活字になっている(底本二本とも確認)。しかし、この漢字は私は知らないし、大修館書店の「廣漢和辭典」にも収録せず、ネットの「Wiktionary」でもこの字を見出すことが出来ない。従ってこの漢字をここに入れ込んでも、まず殆んどの日本人がそれを読むことが出来ないであろうと考えて良いと判断した。されば、ここのみ、特異的に彌生書房版全詩集及び加工用データとして使った「青空文庫」版(底本・昭和四一(一九六六)年講談社刊「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」)に従い、本文自体を「踵」の字として示した。これを公開後、教え子が中国語サイトを調べたところ、「蹱」という漢字が存在することを教えて呉れた。それによれば(以下、彼の通知の引用)、『zhong1 字義:『躘』long2或long3の字義1に同じとあり、同系列サイト上には『躘』aに「子供が歩く様子」とある。用例:機不旋蹱…チャンスは二度と巡ってこない。〔以上、中国語の複数のサイトより〕 総じて足(踝から先)を指すと考えて間違いないようである』とある。しかし、孰れにせよ、それでもそれは「踵」の限定的な意味ではないし、普通の日本人には読めないことには変わりがないので、やはり「踵」への本文変更は戻さないこととした。なお、この「踵」は「かかと」或いは「くびす」「きびす」であるが、特にルビを振っていない以上、暮鳥は「かかと」と読んでいよう。こちらは天使というよりはヘルメスのサンダルのようなものだ。暮鳥の好きなギリシャ神話的イメージである。]