わたしたちの小さな畑のこと 山村暮鳥
わたしたちの小さな畑のこと
すこし強い雨でもふりだすと
雀らにかくしてかけた土の下から
種子(たね)はすぐにもとびだしさうであつた
私達はそれをどんなに心配したか
そしてその種子をどんなに愛してゐたことか
それがいつのまにやら
地面の中でしつかりと根をはり
靑空をめがけて可愛いい芽をふき
こうして庭の隅つこの小さな畑ででも
其の芽がだんだん莖となり葉となりました
それらの中の或るものなどは
たちまちながくするすると
人間ならば手のやうな蔓さへ伸ばしはじめた
それではじめて隱元豆だとしれました
昨日(きのふ)夕方榾木をそれに立ててやつたら
今朝(けさ)はもう、さもうれしさうにどれにもこれにもからみついてゐるではありませんか
此の外に、蜀黍(とうもろこし)と胡瓜(きうり)と
數種の秋のはなぐさがあります
どれもこれも此の小さな畑のなかで滿足しきつてそだつてゐます
そしてそれらの上に太陽は光をかけ
太陽のひかりは小さな畑から
あたり一めんにあふれてをります
[やぶちゃん注:「こうして」及び「蜀黍(とうもろこし)」のルビはママ。
「榾木」「ほたぎ」或いは「ほだぎ」(これで「ほた」「ほだ」と読ませている可能性もなくはないが、ルビがない以上、それは採らない。私は個人的には「木」が附されているものは「ほだぎ」と濁音で読むのを常としている。元来は囲炉裏や竈(かまど)で焚く薪(たきぎ)のことで、掘り起こした木の根や樹木の切れ端を用いる。ここはそれをインゲンマメを支えるための添え木としたのである。]