後より來る者におくる 山村暮鳥 / 詩集「風は草木にささやいた」~了
後より來る者におくる
子ども等よ
いまは頭も白髮(しらが)となり
骨が皮をかぶつたやうな體軀(からだ)を
漸く杖でささへて
消えかかつた火のやうに生きてゐるお前達のお爺さんを見な
あれでも昔は若くつて大膽で
君等のお父さん達が
いま鍬鎌を振りまはして田圃や畑でたたかつてゐるやうに
弓矢銃丸(やだま)の間をくぐりむぐつて
いさましいはたらきをしたもんだ
子ども等よ
鐵のやうに頑丈であれ
やがて君達のお父さんがお爺さんのやうになる時
其時、君等はお父さんのやうな大人(おとな)になるのだ
此の時代と世界とを
そして立派にうけ繼ぐのだ
その君達のことを思へば
此の胸はうれしさで一ぱいになるぞ
おお勇敢な小獅子よ
お爺さんよりお父さんより
君等はもつとどんなに强くなることか
こつちをみろ
[やぶちゃん注:詩集「風は草木にささやいた」の巻末掉尾に配された詩篇。
以下、先の本文より、推定で半字下げである。ここのみ一行字数を原典と同じにして表示した。右(原典では下に相当)が揃っていないのは、原典の読点が半角扱いの活字であることによる。
「早坂掬紫」(はやさかきくし 明治二二(一八八九)年~大正一一(一九二二)或いは翌年)仙台の聖公会牧師として山村暮鳥の友人である救世軍兵士であったらしい。前田夕暮の白日社の社員でもあった。暮鳥より五歳歳下。
「平井邦二郞」不詳。識者の御教授を乞う。
「前田夕暮」歌人前田夕暮(明治一六(一八八三)年~昭和二六(一九五一)年)本名は前田洋造(或いは洋三)。本詩集出版に関わって、この時期にはかなり親密な関係にあったらしい(白神氏の「山村暮鳥年譜」に拠る。しかし、ということはこの後は必ずしもそうではなかったということともとれる)。山村暮鳥より一つ年上。]
自分の此詩集が日光の中に出るやうになつたのは親
友早坂掬紫、平井邦二郞、前田夕暮等の友情によつて
であることを大なる感謝をもつてここに記しておく。
更にこれらの名の中に自分は自分の妻ふじ子の名をも
かき加へなければならない。
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