季節をつげる漁婦達 山村暮鳥
季節をつげる漁婦達
はるだ
はるだ
なんといつても
もうはるだ
萬物の季節だ
まだ波はたかいけれど
もつともつとこれより
いくばいもいくばいもたかかつた
あのなみのそこから
そのとほくから
春は
いつのまにか
渚近くおくられて來てゐた
御覽、このみどりのうつくしい
いきいきとよみがへつたいのちのいろ
なめらかな磯岩の肌を
汐のひきさしに
ちらちらみえるその肌を
御覽、これがあのおそろしい
あれくるふなみとたたかひ
なみをかみ
よるとなく
またひるとなく
險惡な空をにらみつけ
それこそけだもののむれのやうに
山々に反響する
あの咆哮をつづけてゐた磯岩だらうか
あの黑々とまるで鐵糞の塊のやうにみえてゐた磯岩だらうか
おほきな磯岩
ちひさな磯岩
海底ふかくかくれてゐるもの
頭をちよつぴりだしてゐるもの
そこそこ
蟹、貝、ゑび、たこ、雜魚らの善い巣だ
いくつもいくつもある
たくさんの
どれもこれもおほかた
それぞれの名まへをもつてゐる磯岩
遠いとほい
だれもしらないおほむかしからの
ふるいふるい名まへを
一つづつもつてゐる磯岩
はるだ
はるだ
萬物の季節だ
なんといつても
もう春だ
ああ、そのはるが
磯岩にもかうしてきたのだ
いや、そこからして此の世のはるははじまるといふものだ
御覽、くるりと白いお臀をむきだし
なみの飛沫に
そのお臀までぬらして
その磯岩のあひだをあちこちと
女房達があさりめぐつてゐるではないか
海苔をとり
また鬚ほどの
松藻を採つてゐるのだ
おうい、漁夫の女房達よ
おまへたちこそ
自分達貧乏人のあひだにあつては
ほんとにはるのさきがけの
季節をつげる
海のをんなの神樣なんだ
[やぶちゃん注:「そこそこ」の後半は原典では踊り字「〱」。彌生書房版全詩集版はここは踊り字を用いていない正字表記である。
「鐵糞」「かなくそ」。鉄を焼いて打ち鍛える際に飛び落ちる滓(かす)、スラグ(slag)のこと。
「松藻」不等毛植物門褐藻綱イソガワラ目イソガワラ科マツモ
Analipus japonicus。海産食用藻類として知られ、犬吠埼以北の太平洋岸で採取され、旬は冬から春。
彌生書房版全詩集版。「そこそこ」の部分は前注参照のこと。
*
季節をつげる漁婦達
はるだ
はるだ
なんといつても
もうはるだ
萬物の季節だ
まだ波はたかいけれど
もつともつとこれより
いくばいもいくばいもたかゝつた
あのなみのそこから
そのとほくから
春は
いつのまにか
渚近くおくられて來てゐた
御覽、このみどりのうつくしい
いきいきとよみがへつたいのちのいろ
なめらかな磯岩の肌を
汐のひきさしに
ちらちらみえるその肌を
御覽、これがあのおそろしい
あれくるふなみとたゝかひ
なみをかみ
よるとなく
またひるとなく
險惡な空をにらみつけ
それこそけだものゝむれのやうに
山々に反響する
あの咆哮をつゞけてゐた磯岩だらうか
あの黑々とまるで鐵糞の塊のやうにみえてゐた磯岩だらうか
おほきな磯岩
ちひさな磯岩
海底ふかくかくれてゐるもの
頭をちよつぴりだしてゐるもの
そこそこ
蟹、貝、ゑび、たこ、雜魚らの善い巣だ
いくつもいくつもある
たくさんの
どれもこれもおほかた
それぞれの名まへをもつてゐる磯岩
遠いとほい
だれもしらないおほむかしからの
ふるいふるい名まへを
一つづつもつてゐる磯岩
はるだ
はるだ
萬物の季節だ
なんといつても
もう春だ
あゝ、そのはるが
磯岩にもかうしてきたのだ
いや、そこからして此の世のはるははじまるといふものだ
御覽、くるりと白いお臀をむきだし
なみの飛沫に
そのお臀までぬらして
その磯岩のあひだをあちこちと
女房達があさりめぐつてゐるではないか
海苔をとり
また鬚ほどの
松藻を採つてゐるのだ
おうい、漁夫の女房達よ
おまへたちこそ
自分達貧乏人のあひだにあつては
ほんとにはるのさきがけの
季節をつげる
海のをんなの神樣なんだ
*]

