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« 変な夢 | トップページ | 柴田宵曲 妖異博物館 「赤氣」 / 「妖異博物館」(正篇)~了 »

2017/03/08

柴田宵曲 妖異博物館 「穴」

 

 

 

 寶曆十年頃、加賀吉崎の農夫が畑を打つてゐると、足許の土が急に落ち込んで、深い穴になつた。その深さはどれほどあるかわからぬが、幸ひに口に狹いところがあつて、そこに鍬が引懸つたのに取りすがり、聲を限りに呼んで見ても、附近には誰も居らぬ。漸くその鍬を力にして、地上に這ひ上つて來た。一時は大變な評判で、この穴は西の方へ深く續いてゐるから、極樂淨土に到る近道だらうといふ者もあれば、昔の古井戸か、亂世の拔け穴かに掘り當てたのさ、と簡單に片付ける者もある。歳月の經過するにつれ、風雨每に穴は塞がつて、現在ではもとの田畑になつてしまつた(三州奇談)。

[やぶちゃん注:「寶曆十年」一七六〇年。

「加賀吉崎」この地区は原典(後掲)にある通り、現在も県境域で石川県加賀市吉崎町と福井県あわら市吉崎に分かれる。この一帯である(グーグル・マップ・データ)。

 以上は「三州奇談」の「卷之一」の「吉崎逃穴」である(同書の各標題は総てが漢文調の漢字四字表記であるから、これは「よしざきたうけつ」と読んでおくのが無難である)。二〇〇三年国書刊行会刊「江戸怪異綺想文芸大系5 近世民間異聞怪談集成」を参考底本としつつ、恣意的に正字化した。底本の補正字(底本では( )入り)は丸括弧を外してそのまま本文に繰り入れた。読みは一部に留めた。【 】は原典の割注。

   *

 

    吉崎逃穴

 

 吉崎の里は加賀・越前の堺、則加賀吉崎と云有、又、越前よし崎と云有。水を隔て國境也。地は水によりて山めぐり、不雙の勝景なり。眞宗の中興蓮如上人の舊跡、城山嚴然として、腰かけ石は草間に砥(といし)のごとく、瓶中の松と云(いふ)は、上人佛前の松の一色を取(とり)て指(さし)給ふに、此まゝ榮(さかへ)しとかや。近年、黑き苔付て六字名號の文字をなすと云。松の立樣は、さながら花瓶を出るものゝ如く、七つの道具、皆揃へり。

 こゝに東西本願寺の懸所(かけしよ)ありて、莊嚴巍々たり。三月二十五日には、蓮如上人御忌として、七ケ日が間、隣郷他國の道俗、袖をつらねて夥し。前は瀨越・汐屋の浦を挾みて、波間に加嶋大明神いまそかりける。樹木森々、只一藍丸のごとし。此樹に宿る鴉、必ず加越の地を分つと云。此つゞき長井村は、初め越前に屬して、實盛出來の地と云【一説には越前のうねといふ所を實盛の生地と云】。蓮が浦・竹の浦、皆加越第一の名所也。ことに吉崎は、佛緣の地にこそ、人民篤厚金僊(ホトケ)に奉仕し、平日も肩衣の老人、珠數の老婆多く行かよふ事隙(ひま)なし。

 寶曆十年の比とかや、加賀吉崎の畑を打つ人、何心なく石をはね土を打返し居けるに、足もとどうと落入て、見へぬ斗に埋もれける。大におどろき、土に取つき石にすがりするに、皆落入て、深き穴にぞ成にける。猶奧のいくばくともしれず。幸に口せまき所有。鍬の引かゝりけるにすがりて、聲をばかりに呼といへ共、折節あたりに畑打つ人もなし。深き穴に落入しなれば、遠き所よりは是をしらず。彼(かの)口は葛の根にすがりて、一露の甘きを樂しめば、日月の二鼠、葛の根を喰切とやらん、浮世のたとへも、けふの爰ぞとおそろしくあしきに、いとゞ聲も出ず。去れ共、浮世の緣や強かりけん、からうじて鍬の柄を力に、土に打立(うちたて)打立、漸(やうやう)と上り出ける。其後は覗く人もおそれ驚けるに、誰いふともなく、「此穴極樂へ通じて、西の方へ深き事、斗(はかる)べからず。彼(かの)國近道也(なり)」など云ふらしける。實(げに)も繩をおろして見し人も有しかど、其深さ斗がたく、いつからや、おりおりは異香の薰ずるやうにも聞へける。心なきものは、「むかしの古井戸か、亂世のぬけ道にか掘あてけん」など云し。一頃(ひところ)は頻(しきり)に見物も立つどひしが、風雨ごとに此道ふたがりて、今はもとの田の面になりぬ。是(これ)穴居のむかしの家跡にや、小野篁の忍び路にや。あわれ鎌倉の代なりせば、其奧をもさがさまはしき物を、今は新田が物好きもなかりけるにや、終に地獄めぐりの沙汰も聞へずして止みぬ。里人に尋れば、「今猶此あたりは、其穴の事おそれて、鍬も薄氷に打立る心地して、老鷄の步みを恐るゝに似たり」と、一笑と共に聞へし。或人曰、「佛穴は得がたし。是(これ)畑人、不幸にして出る事を得しぞ」と嘆ぜられし。是一奇談成べし。

   *

流石、「三州奇談」、穴落ち農夫の田舎話に豪華な風雅をサンドイッチしている辺り、著者はやはりタダモノではない。最後の「佛穴(ぶつけつ)は得がたし。」は「仙骨(せんこつ)は得難し。」(杜子春染みた台詞だ。但し、そこでは「仙才之難得也。」であったが。リンク先は私のオリジナル・テクストである)のパロディか?]

 武藏と上野との境に當る往來の街道に、人が踏むと甚だ響くところがある。附近の人は久しく怪しんで居つたが、寛政六年の春、里人が集まつて掘つてゐるうちに、やがて金石の如く堅いものに掘り當つた。すはこそと掘り續けてゐると、土中に空虛があつたと見えて、一人の男が落ち込んだ。人々は慌てて立退いたが、地下からは助けてくれと叫ぶ聲が聞えるので、繩を下げて引上げた。さてこの中はどんなであるかと尋ねたところ、何ともわからぬが、底には土がない、金石のやうに堅く、四方は廣くして暗い、恐ろしくて堪らぬから、動きもしなかつた、と答へた。更に作業を續けることになつて、あたりを廣く掘つて行くと、大きな佛像が橫さまになつて、土中に埋もれてゐるものとわかつた。佛像の腹に大きな穴があり、前の男は佛像の腹中に落ち込んだのである。とにかく大きな佛像であることは慥かで、庄屋などが寄合つた結果、もしこんな物を掘り出したら、公邊へ屆けたりして甚だ面倒である、このまゝ埋めて置くに如くはない、といふので、例の穴には厚い板を當て、またもとの通り埋めたさうである(北窓瑣談)。

[やぶちゃん注:「寛政六年」一七九四年。

「もしこんな物を掘り出したら、公邊へ屆けたりして甚だ面倒である、このまゝ埋めて置くに如くはない」このような異物発見事件は藩に申し出てしまうと、その藩からの検分や接待費用は総て現地の村人らの負担となった。「兎園小説」に載る、驚天動地の常陸の浜辺にUFOが漂着、そこから謎の異国の美女が立ち出でた話「うつろ舟の蛮女」でも、『この事、官府へ聞こえあげ奉りては、雜費も大かたならぬに、かゝるものをば突き流したる先例もあればとて、又もとのごとく船に乘せて、沖へ引き出だしつゝ推し流したり』と、同じ仕儀をしている。リンク先は私の「やぶちゃんのトンデモ授業案:やぶちゃんと行く 江戸のトワイライト・ゾーン」(オリジナル)である(他に同じ「兎園小説」の「あやしき少女の事」及び、「耳囊」の「不思議の尼懴解(さんげ)物語の事」の授業案を併載)。何度か実際の授業でやったので懐かしい諸君もおろう。ご覧あれ。

 以上は「北窓瑣談」の「卷之四」の以下。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。柱の「一」は除去した。

   *

武藏國上野(かうずけ)界(さかひ)の地に、往來の街道に、人踏めば甚だ響く所あり。其あたりの人、久しく怪しみ居たりしに、今年寛政甲寅の春、里人寄合(よりあひ)て掘穿(ほりうがち)て試しに、やがて金石の如く堅く響く所に掘當(ほりあた)れり。すはやとて、大勢集りて掘たりしに、土中に空虛ありて里人一人落入たり。人々驚きあはてゝ迯のきたりしに、土中よりはるかに其人の聲して、助けくれよと呼はるにぞ扨は未だ死せざりしとて、皆々集り繩を下して引上たり。其人に内はいかなるやうにやと尋(たづね)しに、何ともしれず底には土なく、唯金石のごとくに堅く、四方甚だ廣く眞暗(まつくら)にして唯恐ろしかりしかば、動(うごき)も得せざりしといふにぞ。さらば猶々掘(ほれ)とて、其あたり廣く掘たりしに、大なる佛像の橫ざまになりて、土中に埋れたるなり。其佛像の腹に穴ありて、里人(さとびと)、佛像の腹中に落入たりしなり。其大なる事甚だし。庄屋など寄合て、かゝる物を掘出さば、官所(くわんしよ)に訴などして一村の騷動なるべし。此まゝに埋置(うづみおき)て事なきには不ㇾ如(しかず)とて、件の穴の所には厚き板を當(あて)て、もとのごとく埋終れりとぞ。畠中觀齋(はたなかくわんさい)方へ東國より申來りしとて物がたりなりき。

   *]

 不意に穴へ落ち込むことも同じ、落ちた人間が一人であることも同じ、最後に事前の狀態に還ることも同じである。下手に大きな佛像などを掘り出して、あとで面倒になつては困るといふところに、事なかれ主義の昔の人の心持が窺はれる。

[やぶちゃん注:前の注で述べた通り、里人が公に知らせなかったのは、実際の村の負担が尋常ではなかったことが最大の理由である。ここでの柴田の視線は、民を見下す似非知識人の感じがして、いただけない。]

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