譚海 卷之二 飛州・甲州豪家の富の者の事
○天下の豐饒(ほうぜう)は飛驒國と甲府なるべし、いづれも豪富にくらすもの多し。飛驒の國は、博奕(ばくち)家ごとに行(おこなは)るる所にして、家内數十人くらす主人までも、上下ばくちをせざるものなく、京都へたよりよく四方の人集(あつま)る所にして、自ら無賴(ぶらい)のものもつどふゆゑに、ばくち行るるなるべし。甲府は貧(ひん)なるもの少(すくな)し、大體(たいたい)金をたくはひ持(もた)ざるものなし。甲府に中の田の園市左衞門が質(しち)にとらざる所少(すくな)し。此市左衞門、先年むすめを江戸見物に同道せし時など、甚(はなはだ)過奢(くわしや)なる事也。盜人(ぬすびと)に金二千兩出しあたひける程のもの也。
[やぶちゃん注:「博奕」「ばきえき」「ばくやう(ばくよう)」と読んでいるかも知れぬ。
「中の田の園市左衞門」不詳。津村がかく書く以上、その頃(本書の見聞記事は安永五(一七七七)年から寛政七(一七九六)年の間)には相当に知られた大尽であったはずなのだが? 識者の御教授を乞う。
「盜人(ぬすびと)に金二千兩出しあたひける」これは直前の「甲州強盜の事」の甲府の押し込み強盗の周到にして凄絶な責めの恐怖を受けての謂いであろう、だから、この金額、変に納得した。]