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2017/03/31

春   山村暮鳥

 

  

 

はるだ

はるだ

そしてあさだ

あめあがりだ

ああ いい

 

しつとりぬれたつちから

たちのぼるすいじようき

そのうへに

ひとむれのはむしがゐる

こなゆきのやうな

ごみのやうなはむしだ

ふわふわ ふわふわ

 

はむしはちつたり

またかたまつたり

なんといふ

たのしさうなことだらう

 

ふわふわ ふわふわ

 

わづかにいちにち

せいぜいふつかのいのちだけれど

ああしてはむしは

そのいのちのかぎりを

たのしんでゐるのだ

 

みんないつしよにむつまじく

ふわふわ ふわふわ

はるのあさの

このひかりのなかをおよぎまわり

そのひかりをすひ

そのひかりにいきて

そしてよろこびたのしんでゐるのだ

 

みてゐると

まるでダンスでもしてゐるようではないか

じぶんたちにはきこへないが

きつとうたもうたつてゐるだらう

ああ いい

 

はるだ

はるだ

そしてあさだ

あめあがりだ

 

それだのに

じぶんたちにんげんにばかりは

どうしてかうもくるしみやかなしみが

それこそはぐさのつるのやうに

からみまつはつてはなれないのか

 

それとも、ああして

ただよろこびたのしんでゐるようにみえる

むしけらにもそれがあるのか

あのつかのまのいのちのむしけらにも

いや いや

そんなことはあるまい

それにしてはあまりにはかないいきものだ

 

ああ、ただいのちをもつてゐるといふばかりに

むしけらはむしけらとて

よろこびたのしみ

にんげんはかなしみそしてくるしむのか

だがそれでいい

それでいい

いつかはじぶんたちも

このかなしみくるしみをつきぬけて

そこにまことの

とこしへのひかりをみつけるだらう

こんなはるの

こんなうららかなあさ

そのときこそはじぶんたちも

このいのちのかぎり

ふわふわ ふわふわ

ふわふわ ふわふわ

そのとこしへのひかりのなかで

ゆうゆうとたれもかれもみんなめいめいに

たましひのそのおほきなつばさをひろげるだらう

ゆめのようなはなしだ

ゆめのようなはなしではあるが

そこにじぶんたちの

そればつかりでいきてゐられるのぞみがあるのだ

 

おのおののゆめをげんじつに

おのおののげんじつをゆめに

 

ふわふわ ふわふわ  ふわふわ

 

[やぶちゃん注:「すいじようき」「ふわふわ」(総て。歴史的仮名遣なら「ふはふは」が正しい)「およぎまわり」「してゐるようではないか」「きこへない」「たのしんでゐるようにみえる」「ゆめのようなはなしだ」と次の「ゆめのようなはなしではあるが」は総てママ。一部、改頁箇所の空行は、前後ページの印刷端位置を定規で計測してかなり厳密に推断して施した。印刷業者のミスでなければ、間違ない自信は、ある

「はむし」ここは「こなゆきのやうな」とあるから、「羽蟲(羽虫)」で広く小さな羽のある虫全般を指している(狭義にはコウチュウ目カブトムシ亜目ハムシ上科ハムシ科 Chrysomelidae に属する種群を指すが、それではないという意味である)。

 本篇も彌生書房版全詩集のそれとは大きく違う。全十三連構成であることに変わりはないものの、実は原典と彌生書房版で連の切れ方が大きく異なっており、さらに原典の第十一連の「だがそれでいい」の次の「それでいい」が存在しない。以下に彌生書房版を示す。

   *

 

  春

 

はるだ

はるだ

そしてあさだ

あめあがりだ

ああ いい

 

しつとりぬれたつちから

たちのぼるすゐじようき

そのうへに

ひとむれのはむしがゐる

こなゆきのやうな

ごみのやうなはむしだ

 

ふわふわ ふわふわ

 

はむしはちつたり

またかたまつたり

なんといふ

たのしさうなことだらう

 

ふわふわ ふわふわ

 

わづかにいちにち

せいぜいふつかのいのちだけれど

ああしてはむしは

そのいのちのかぎりを

たのしんでゐるのだ

 

みんないつしよにむつまじく

ふわふわ ふわふわ

はるのあさの

このひかりのなかをおよぎまはり

そのひかりをすひ

そのひかりにいきて

そしてよろこびたのしんでゐるのだ

 

みてゐると

まるでダンスでもしてゐるやうではないか

じぶんたちにはきこえないが

きつとうたもうたつてゐるだらう

ああ いい

 

はるだ

はるだ

そしてあさだ

あめあがりだ

 

それだのに

じぶんたちにんげんにばかりは

どうしてかうもくるしみやかなしみが

それこそはぐさのつるのやうに

からみまつはつてはなれないのか

 

それとも、ああして

ただよろこびたのしんでゐるやうにみえる

むしけらにもそれがあるのか

あのつかのまのいのちのむしけらにも

いや いや

そんなことはあるまい

それにしてはあまりにはかないいきものだ

 

ああ、ただいのちをもつてゐるといふばかりに

むしけらはむしけらとて

よろこびたのしみ

にんげんはかなしみそしてくるしむのか

だがそれでいい

いつかはじぶんたちも

このかなしみくるしみをつきぬけて

そこにまことの

とこしへのひかりをみつけるだらう

こんなはるの

こんなうららかなあさ

そのときこそはじぶんたちも

このいのちのかぎり

ふわふわ ふわふわ

ふわふわ ふわふわ

そのとこしへのひかりのなかで

ゆうゆうとたれもかれもみんなめいめいに

たましひのそのおほきなつばさをひろげるだらう

ゆめのやうなはなしだ

ゆめのやうなはなしではあるが

そこにじぶんたちの

そればつかりでいきてゐられるのぞみがあるのだ

おのおののゆめをげんじつに

おのおののげんじつをゆめに

 

ふわふわ ふわふわ  ふわふわ

 

   *

ここまで刊行詩集原典と有意に異なるということは、最早、彌生書房版全詩集の「土の精神」は山村暮鳥の原稿に基づくものであって、刊行された詩集「土の精神」の再現ではないと考えるしかないようだ。甚だ不満なのは、同全詩集がそうした基礎底本や校訂方針及び訂正経緯等を一切記していない点にある。このような不親切な「全詩集」は私はあってはならないものと思う。

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