春 山村暮鳥
春
野を見よ。
風の溫かき戰(そよ)ぎに觸れて
若草の少女ごころぞ
夢と咲き、
黃に、むらさきに、紅に
かほりぬ、光とろとろと。
かゝる日
溶くるものあらば
「不信」に凝りし石の魂
はた眼縫はれし
囮籠(おとりご)の
小鳥が舌の春の歌。
[やぶちゃん注:「とろとろ」の後半は底本では踊り字「〱」。先に示した白神正晴氏の山村暮鳥研究サイト内の「山村暮鳥年譜」の明治四一(一九〇八)年十二月二十五日の条に『この時期の詩に「若い人の談話」「春」「橇」「石」「朝」』とし、孰れも『秋田魁新報』に掲載された旨の記載があり(この年の十月、彼は秋田県横手町横手講義所にキリスト教伝道師として赴任している)、この「春」のことかとも思われる。
第一連「少女ごころ」は言わずもがな、「をとめごころ」。
同「紅に」は、この独立行では「くれなゐ」と読みたくなるところだが、次行の「かほりぬ、光とろとろと。」との繋ぎを考えるなら、前詩篇「畫」の「紅(あか)」の読みが韻律的にはしっくりくる。
第二連「魂」は「たま」と私は読む。「たましひ」ではあまりにリズムが弛んでしまうからである。この時期の彼の詩篇は、彼がこの前、短歌を盛んに創作していた関係上、文語自由詩乍らも、或る種の定型的韻律から完全には自由になっていない。さればこそ、読みはある程度、定型的な調律に部分的に支配されていると考えるべきであろう。
「眼縫はれし」以上の謂いから「まなこぬはれし」と私は読む。
「囮籠(おとりご)」は、これで同種の小鳥を誘って捕えるために使われる鳥のことを指す。籠の中によく鳴く小鳥を入れておき、それに誘われて寄って来た同類の野鳥を霞網・張網・鳥黐(とりもち)などによって捕える鳥猟に用いるものである。なお、「眼縫はれし」は詩人の勝手なイメージの形容ではない。例えば大型種ではあるが、鵜飼に用いる鵜は、古くは実際に眼を縫って盲目にした囮籠を用いて捕獲した。しかしこの部分は鮮烈であり、本詩篇の核はこのコーダ「はた眼縫はれし/囮籠(おとりご)の/小鳥が舌の春の歌。」にこそ、ある。]

